第71話 昔話とおとぎ話
翌日になるとシレンツィオは食堂に併設する厨房にて、蕎麦粉を使ったフリコの作り方を伝授している。
他方で料理人たちから、雑談という形で醤油やら粥やらについて情報を集めている。料理人ならば、また別のことも知っていようという考えであった。
「ところで醤油という調味料を手に入れてな」
「あー。黒いタレか」
「そう。あれだ」
シレンツィオがそう言うと、グァビアは禿上がった頭を叩いて、随分な苦笑を浮かべた。
「俺も昔貴族の屋敷に雇われていた時使っていたんだが、一〇年も使っているうちにすっかり嫌いになってしまったよ」
「そうなのか」
「ああ。貴族様はなんでも黒いタレを使いたがる」
「その言い方だと、民衆は使わないのか」
「聞いたことがない」
グァビアは周囲の料理人たちにも目配せしている。料理人たちも頷いていた。
「そうだったのか」
「珍しいもんだとか言われて売りつけられたか。災難だったな。あれも大昔には人気だったんだが」
「そうなのか」
「といっても、この国が建国される前くらいだ。何千年も前だな」
「そのころには民衆も醤油を使っていたのか」
「多分な。さすがの俺もそのころは生きてない」
何が面白かったのか、グァビアは笑っている。
「とにか、貴族様は大昔の歴史と伝統とやらを愚直に守っているというわけだ。ご苦労なこった」
歴史と伝統とやらを守る重要性はあるにせよ、それだけで貴族が料理を守るのは弱い気がする。
シレンツィオはそう思いながら、口を開いた。
「それで醤油を使った料理を教えてくれないか。金なら払う」
すると笑いが返ってきた。シレンツィオはグァビアによって背を叩かれている。
「それぐらい無料で教えてやるよ。ああ、だが自分では料理せんぞ。あの匂いはもうたくさんだ」
聞けば、醤油嫌いになったエルフの料理人は多数に上るという。あまり美味しくないと思っているものを毎日扱えばそうもなる。
シレンツィオはこのとき、醤油を用いた汁物の作り方を教わっている。
教わったとおりに作っていると、ボーラが襟から出てきた。
”シレンツィオさん、出汁が入ってませんよ”
”そんな説明はなかったんだが”
”出汁のない醤油味なんて薄めた醤油ですよ”
”意味分からないが、憤るほどのものなんだな”
試しに食べたが、確かに味気ない。塩気が前に出てしまっている。
なるほどとシレンツィオは考えた。
”このレシピを教えたのは貴族に雇われたこともある料理人だったんだが”
”あー。あのエルフぽくない人”
”耳は長かったが”
”太ったエルフはエルフじゃありません。ハゲもそうです”
”ひどい話だな”
”そうですか? あんなんじゃまともに魔法も使えませんよ”
”ふーむ。魔法と容姿は関係あるのか。授業にはなかったが”
”前にもお話したと思いますが、脚を鍛えた羽妖精は重くなって飛べなくなるんです”
”それと同じだと?”
”はい。髪を生やしたり伸ばしたり、男前になったりする魔法をさぼってるんだと思います。どれだけさぼったらああなるんだか”
”そんなものまで魔法でやれるのか”
”いえ、魔法というものは本来そんなものなんです。北大陸のエルフが使う火の玉とか、ああいうほうが邪道です。あれじゃ世界が壊れます”
”なるほどな”
”本当に分かってるんですかぁ?”
ボーラは半眼になってシレンツィオの顔の前で滞空した。
”おとぎ話の中では魔法使いといえば容姿を変えたり、服を変えたりしていたものだ。あれは一端の真実だったんだろう”
”おとぎ話と言うより、それたぶん昔話です……”
昔話とおとぎ話の差はなんだろうとシレンツィオは思ったが、すぐに本題に戻っている。
”そうか。まあ魔法を使わないと衰えるという話だったな。筋肉と同じだ”
”そうですね。魔法に頼れば身体は衰え、身体に頼れば魔法が衰える、というものです”
”両方優れているというものはないのか”
”両立は古代からの夢の一つとされていますね。おすすめできませんが”
”おすすめしない理由はなんだ”
”人間の人生は短すぎます”
”なるほど。もっともな理由だ”
”それと、シレンツィオさんは魔法が使えないで心配いらないんですが、普通の方法じゃうまくいかないと、魔法と身体能力を両立させようと外法や邪法に走るんですよね”
”魔法には良いも悪いもあるのだな”
”ありますね。でもこれ以上は教えられません”
”女王に禁じられているせいか”
”そうです。それに、知らないことは人間にとってもいいことだと思いますよ”
”謎めいた話ではあるが、蕎麦と醤油の方が興味ある”
”ですよね。うーん。最近蕎麦と醤油の料理ばっかりしてませんか”
”喜んで食べているように見えるが”
”それはそうなんですけど”
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