第70話 出汁なき国の料理

 シレンツィオは出汁、というものに知識がない。さしあたっては単なる調味料として使おうという事で、不足する旨味はそれが凝縮されている肉と組み合わせることとした。

”問題は塩漬肉にせよベーコンにせよ、すでにしょっぱいことだな。このうえ醤油で塩味が加わってもあまりうまくはない”

 料理とは塩を使いながら塩を隠すことであると古来アルバでは言う。同地では塩気が前面にくると美味いものとはみなされない。

”魚の汁物があったじゃないですか。あれなんてどうですか”

”悪くない考えだが、手持ちに魚がない”

”今度まとめてとってきてもいいかもしれませんね”

”山を越えた北の方に海があるとも言ってたからな。旨味と言えばキノコでもいいのだが季節が違う。さて……”

 シレンツィオはしばらく考えた後、腸詰を取り出している。

 腸詰とは、その名の通り腸の中に肉や血をいれて固めたものをいう。通常は高温で熱して殺菌して、保存食とする。もっとも、熱では分解しない毒素を持つ微生物もいて、これにあたると、死んだ。アルバ語でこの菌をボツリヌスと呼ぶが、その意味が腸詰であるのは象徴的というべきであろう。なかなかひどい死に方をすることから古くから恐れられていたが、さりとて無毒化方法も見つからず、見分けることもできず、食料を保存する必要もあったことから、腸詰そのものがなくなることもなかった。調理室や食品工場の減菌について広く留意されるまではこの後三〇〇年ほどもかかる。

 とりあえず、腸詰めの味見する。しばらく舌の上において舌が痺れなければ、良いとされる。ちなみに現代ではこの方法は全否定されているので試してはいけない。

「大丈夫そうだ」

 そう言って、薄切りにしていく。大人の腕ほどもある大きな腸詰である。制作時に火が通りにくい分燃料費がかかり、あまり人気はないのだが、作る手間は格段に少ないので、何らかの理由で腸詰に人手をまわせない村ではたまにこういう大きなものが作られる。

 それを炒め、脂が溶けて浮いてきたところで醤油を垂らす。上がる湯気と匂いが、食欲をそそる。シレンツィオは鍋に残った脂と醤油に山菜を混ぜてさらに炒めた。添え物としてだすのはそばがきである。こちらはオリーブ油と塩で食べる。

「食ってみるか」

”秋津洲では野菜に醤油をかけただけでごちそうですよ”

”そうか”

 並んで食す。シレンツィオとボーラは目を合わせた。

「いけるな」

”いけますね”

「テティス、ガット、食べてみるか」

「おじさまがいけるというのであれば」

「にゃーもです」

 四人並んで食べる。ガットとテティスは食べながら親指を上にあげて、その味をたたえた。

「おじさま、この料理、実家で食べた時よりずっとおいしいです」

「それはどうなんだ。この程度は料理といえるかも怪しいのだが」

 簡単だから貴族の家には出てこないかもしれないが、これより手の込んだ美味いものがあるだろう、という推定である。

 シレンツィオの言葉を否定するようにテティスが困った顔をした。

「おじさま、貴族料理が冷めていることをお忘れなく」

「そう言えばそうだった」

 シレンツィオはそう言った後で難しい顔をしている。

「なんとも不思議なものだ。エルフの貴族料理というものは」

”そんなの疑問に思うのは世界広しとはいえど、シレンツィオさんだけですよ”

”だからどうした。他人に興味はない”

”ですよねぇ”

 ボーラとのやりとりの後で、考えていたテティスが口を開く。

「わたくし、祖先は森で生活していたと聞きました。そのころからの影響かもしれません。火を使うことに制限があったのかも」

 しかしシレンツィオの表情は晴れない。いつもと同じ顔、といえばそうなのだが。

「森に住む者が他の地域より山火事を嫌うのは確かなんだが、それは可燃物に囲まれているからでもある。必要以上に遠ざけたりはしないだろう。そもそも腹を壊す可能性がある以上は加熱がどうしてもいるんだ」

「そうなのですね」

「実際、冷めてはいるが加熱した料理が出てきていたのではないか」

「はい。それはもう……あ」

「どうした」

 テティスは手をばたつかせた。余り貴族らしくはないのだが、しかるものはおらず、シレンツィオに至っては表情を少しだけゆるめている。

「おじさま、それで思いだしたのですが、一つだけ暖めたものがありました」

「ほう。それは?」

「お粥です」

「蕎麦粥か」

「蕎麦に限ったものではありませんでしたが、ええ。でも蕎麦もたしかにありました。細かく砕いて、こう」

 シレンツィオは面白そう。

「ひきわり粥か。手間はかかるが、小さい子にはいいかもしれん。それに山羊乳が入る以上、粥が冷えると厳しい」

「いえ、入ってませんでした」

「牛乳だったか」

「いいえ。実家の粥は乳が入っていません。水だけです」

”シレンツィオさん。同じです”

”同じというと秋津洲だな。ふむ”

 シレンツィオは考えたが、答えはでなかった。

「食い物一つにとっても分からないことがたくさんあるな。結構な話だ。退屈しないでいい」

”そんなこと言うのはシレンツィオさんだけですってば”

 食事の後、シレンツィオは紙に備忘録を残している。

 ・なぜ、冷めた料理をエルフ貴族は食べるのか。

 ・なぜひきわり粥は例外なのか。

 ・エルフは海から来たのか。

 ・子供の舌が痺れるとはなにか。

 ・俺の蕎麦だけはみんな食えるのは何故か。

 古来この備忘録はシレンツィオの稚気というか、子供のような心の現れとして評価されることが多かった。実際エルフの子供の素朴な疑問と言われてもあまり疑問には思われないだろう。

 しかし、これらの疑問を解消するためにシレンツィオがやったことが、その後の歴史にもたらした影響は大きい。なるほどシレンツィオの出発点は子供の疑問と余り変わらなかったかもしれないが、やることなすこと、シレンツィオという男は他と違わないようで違っていたのである。

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