第64話 グァビア

 醤油を楽しみにしていた翌日。食堂に行ったところで厨房で働く料理人に声をかけられた。

「おうい、人間の」

 随分と雑な呼ばれ方だが、この幼年学校に人間はシレンツィオしかいないので問題にはならない。

 声をかけたエルフの名をグァビアという。由緒正しい名前らしいが、本人も由来は良く知らないという。かれこれ二〇〇年以上料理人をやっているというエルフで、学校の食堂で一番偉いわけではないが、一番の古株ではあった。

 シレンツィオは、顔を向けた。

「なんだろう」

「身構えないでいいぞ。食堂の騒ぎは、ありゃわしも一部始終をみていた。人間に非はない」

「それはありがたい。それで、用とは?」

「実は粉挽きをを頼みたくてな」

「小麦か?」

「いや、蕎麦だ。実は最近の若造はみんな蕎麦嫌いでな、ゆゆしき問題となっていたところだ」

「蕎麦の注文を増やそうというのか」

「今は、それ以前だからな。手をつけるものが皆無だ」

「俺の知り合いもそんなところだ。それも一人じゃない」

「ああ。特に最近はひどい」

 グァビアは自分のはげ上がった頭を叩いた。

「そこでお前さんはうまいことやったみたいじゃないか。それに一部のお偉いさんが目をつけたってわけだ」

「目をつけられるような話だったのか」

「悪い意味じゃないから身構えないでくれ……要するに、年寄りの回顧だよ。昔のエルフはみんな蕎麦を食っていた。若い頃の自分と違うのが気にくわんのだ。どうした」

 シレンツィオは、言われて自分の片眉が上がっていることに気づいた。

「不思議な話だ。それでは麦が採れるような畑で蕎麦を作るらせるようなものではないか。かつて飢饉があったにせよ、今、麦がとれるなら麦の方がいいに決まっている。畑あたりの収量が麦の方が何倍も優れているだろう」

「それなんだが、飢饉は関係ない。飢饉と関係なく昔はエルフみんなが、蕎麦を食べていたんだ」

「事実としても信じられない話だな……。蕎麦ではこの国のエルフを養うのは無理だろう」

 グァビアは苦笑を浮かべている。

「人間の昔とは桁が違う。ずぅっと昔の話なんだよ。それがよ。どれくらい昔かと言えば人間は文明はじまってないかもしれん」

 シレンツィオはエルフの文明が人間より後にできていることを知っているが、あえて口には出さなかった。そのまま言葉を促す。

「大昔、エルフはこの山とその周辺だけに住んでいたのよ」

「ほうほう」

「んで、そのころはまあ、この周辺見ればわかるだろう。見渡す限りは山だからな。当然麦なんざ無理だ。そもそも水量が足りん。結果、蕎麦ばかり食っていたというわけよ。そのうち戦争をして人間を追い出しながら領土を広げた。お、すまんかったな。いらん話までした」

「いや、それはかまわない。むしろいい話だった。しかしこう。思い出のために蕎麦を食うのか」

「バカなことだと言ってくれるなよ。そいつはうちの料理人みんなが思っているところだ」

「そうか」

「そうなんだ」

 シレンツィオは表情を変えずに頷いた。

「宮仕えのつらいところだな。分かった。それで粉挽きだが」

「金はたんまりと出す。これくらいでどうだ」

 エルフは伝統的に金額を口に出さない。かつてお金にまつわることを口にして魔法が発動することが多く、事故が多かったからだと言われている。このため金額を告げるときは指の形で伝えるようになっていた。

 グァビアの指の形を見て、その金額にびっくりする。量にもよるがかなりの金額である。

「この金額なら、水車を借りた方が安くあがりそうだが……」

 水車で石臼を回して粉を挽くのは古来どこででも行われていることである。エルフでも同じだろうとシレンツィオは思っていた。

「それが、この山じゃ水車回すのに適切な水量の川がなくてな」

 それはシレンツィオにしても盲点であった。

「そうか、流量が安定していないのか。まあ、山の上のほうだから、川の水の量が少ないのもあるだろうな。分かった理解した」

「受けてくれるとありがたい。それとは別に、この間小僧がうめえと言ってた蕎麦料理、おれたちにもふるってくれねえか。金は出す」

 今度提示されたのは、粉挽きと比べてもずっと高い金額であった。要するに料理の作り方を売ってくれと言う話なのであろう。シレンツィオは頷くと、これも快諾している。

”いいんですかシレンツィオさん。気前よく教えても”

 ボーラがテレパスで声だけ飛ばしてくる。

”願ったりかなったりだ。ソンフランのおかげで今後、俺にも食わせてくれという学生が増えるだろうからな。いちいち断らないでいい。それにな”

”はい”

”あの老人は個別に金額を提示して、内訳も事情もきちんと話をした。誠実な取引相手だ。その上、相手の種族を見て話をしている様子でもない。商売相手としてはまず最高の部類だろう。ここは投資する価値がある”

 商売とは一に相手を儲けさせること。二にそれがかなわないなら誠実であること。シレンツィオはアルバに古くから伝わる商売人の心得を口にしている。もちろん一の前には〇があって、自分が儲かることは言うまでもない。それにしてもアルバという国の人々が商売にかける時間が膨大であることが分かる話である。一度しか取引しない相手ならば、このような格言が残るわけがない。長期の取引からくる信用取引が前提にあっての格言であろう。人の命は短いが、アルバ商人のつきあいは長いというわけだ。

”そうなんですね? シレンツィオさんはてっきり美人のほうがいいとか、そういうのかと思ってました”

”それはそれ、これはこれだ”

”美人についていったら駄目ですよ?”

”分かっている”

 ボーラは例によって自分の太股を見せて、シレンツィオを釣ろうとしている。シレンツィオはボーラにだけ分かるくらいに口の端をゆがめると、粉を挽くことにした。

 幸い話し相手の羽妖精がいるので、退屈するということがない。脱穀した蕎麦の実を石臼を回して挽いていく。

 退屈な作業を続けるうちに邪念が払われて無心になる。石と石の間で挽かれていく麦の抵抗が回し棒を通じて伝わる。

 一日でかなりの量を挽くことができた。こんなに早いならまた頼みたいと言われて、シレンツィオは考えておくと言った。

 帰り道、襟からよれよれのボーラが姿を見せる。

”作業してないのに疲れました”

”俺は一つ、考えついたぞ”

”何をです?”

”獣人やエルフの子供が嫌がるものは蕎麦の殻かもしれん”

”そうですか? んー” 

 ボーラは姿を見せると、顎の先に指をあてて考えた。

”殻がまずいのは当然としても、舌が痺れますかね……?”

”わからん。が、まえに食堂で食べた際は風味を増すためだろうが篩にかけるとき殻を多めに残しているように見えた”

”それなら秋津島でもありました。あ”

”どうした”

”そう言えば、秋津島のエルフでは、小さい子の舌が痺れるとか、そういう話をきいたことがありませんでした。割と小さな頃から蕎麦を食べていたはずですけど”

”不思議な話だな。同じエルフでも違うのか。殻はどうだ”

”いえー。そこまで覚えては……ああでも、覚えてないと言うことは普通なのでは”

”そうなのか”

”さらにいうと、他の食品でも覚えがないですよ。舌が痺れるとか。どうもここのエルフや獣人だけが、山菜や蕎麦でやられるみたいで”

 しばらく黙った後、シレンツィオはボーラに心のなかで話しかけた。

”本格的に調べる必要があるな”

”そうなんですか? おもしろいところありました?”

”毒の可能性がある。この山全体が鉱毒かなにかにやられている可能性だ”

”エルフは鉱毒にことのほか弱いというか、それ以前にこの星でもっともありふれた鉱物である鉄にすら火傷を負うような種族ですよ……鉱山を作るなんか信じられませんが……あ、でも、天然の鉱毒が流れる可能性はありますね。なるほど。我々もそれを口にしているかもしれないと言うのなら、確かにほっとけませんね”

”テティスやソンフランの成長にかかわるといけない。可能性がある以上は調べるしかない”

”性悪エルフのことを言うだろうなと思ったのでそれ以外のことを言っていたのに。はー。分かってませんね。シレンツィオさん”

”何をだ”

”女心です”

”そういうのは、分からないから面白い”

”〇点、〇点ですよシレンツィオさん”

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