第62話 そばがき
数日、思案の日々が続く。
魔力の件もあるのだが、それ以上に買ってしまった大量の蕎麦を消費せねばならない。さりとて蕎麦粥は飽きずに食えるといってもあまり量を消費しないし、フリコにしてもそうである。小麦と混ぜるから、量が少なくなるのだった。
”一日の消費量は四〇〇gくらいですね。シレンツィオさん。この調子だと消費までにあと一〇〇日くらいかかります”
”新しい料理を作るか”
”何を作るんです?”
”まずはそばがき、次にパンだな”
”わーい。そばがきすきです”
そばがき、蕎麦掻き、そばねりとも書く。蕎麦粉を熱湯で練ったものである。世界中にこの食べ方はあって、味付けもまた様々である。
”アルバにもそばがき、あるんですねえ”
”俺としては羽妖精がそばがきを知っている事が興味深い”
”元はエルフの食べ物だときいたことがあります”
”そうなのか?”
”北大陸のエルフではないですよ。秋津島のエルフ様です。同じエルフでも月と太陽ほども違います。秋津島のエルフは思慮深く賢いのです。我々羽妖精には塩対応ですが”
”そうか”
”北大陸のエルフより、ずっと古い歴史を持ちますね。四〇〇〇年といいます”
”アルバの古代遺跡並だな。さておき。そばがきだ。なんでボーラはそばがきという言葉を知っている?”
”さっき言ったとおりにエルフが……”
”いや、人間がそばがきを知っていることに驚いていたということはしらなかったんだろう”
”はい”
”単語はどうした? 俺はエルフ語でそばがきをなんと言うかはしらん、そっちもアルバ語でそばがきという言葉をしらんのではないか”
”あー。そういうことですか。テレパスは思考を読みとったり思考を送ったりする能力なんですが、このとき言葉の種類は関係ないんですよ。言語野が動いていればいいんです”
”なるほど。魔法だな”
”魔法ですがなにか”
シレンツィオは頷きながらアルバ風のそばがきを作っている。熱湯の中にそば粉を入れて練り、のし棒で形を作るのである。普通は単なる丸い固まりなのだが、シレンツィオはテティスやボーラが美しい形のパスタを好んでいたことを覚えていた。
花の形に整形する。もっとも蕎麦だけだと形を作るのが困難なので、小麦も混ぜている。小麦を二割はいれないと、すぐちぎれてしまう。
”形が不格好なのは許せ”
シレンツィオがボーラに言うと、ボーラは恥ずかしそうに満面の笑みを浮かべた。
”私のことを考えてくれるシレンツィオさんが好きです”
”そうか”
味付けは、塩とオリーブ油。香草も散らす。本来は香草をそばがきにまぜるのだが、テティスなどが食べた際のことを考えたのである。
”んー。油と聞いてびっくりしましたけど、これはこれでおいしいですね。ひと味足りない気もしますけど”
”そばがきだけを食べることもそうそうなかろうしな。まあ分かった”
それでは作るかと、シレンツィオはボーラのために魚の出汁を入れて汁物を作っている。これにそばがきを入れて食べるのである。この魚はガットとたまに取りに行く魚の残り物というか、魚の骨をあぶった後で、湯に通した汁である。塩とオリーブ油、檸檬で味を調えていた。
今度は好評であった。
”おいしいですね!”
”ニアアルバでは汁物の具にも使うが、挽き肉を包んで煮ることもある”
”へぇぇ。人間は変わった食べ方をしますね”
”肉を食わない羽妖精はともかく、エルフではやらんのか?”
”聞いたこともないですね”
”そうか”
”この汁物だけでも一品になりそうです”
”そうか”
シレンツィオの故郷であるニアアルバでは、タマネギや野菜くず、それと海産物の残りを雑に入れた汁物が広く愛されている。雑に入れてはあるのだが、アクを取りながら一日近く日に掛けるので、料理そのものは雑ではない。
高級料理になると改良されて複雑ながらも雑味のない上品な味わいになるのだが、このときシレンツィオの作ったものはそれらと比較すると、非常に質素なものであった。そもそも煮る時間が少ない。
”うまい汁物を作らねばならんな”
”わーい。でもどうしたんですか、藪から棒に”
”さてな”
そう返事するとボーラは顔を近づけて笑った。
”シレンツィオさんの優しい顔が好きです”
”そうか。表情を母親の腹に置き忘れた男だと良く言われるんだが”
”私ほどのシレンツィオフリークだと違いが分かるのです”
”そうか”
続いて蕎麦のパンを作る。今度は小麦粉を混ぜず、全量を蕎麦粉で作った。焼きたてはもちもちした感じで悪くはないが、冷えるとまずい気がする味だった。
”このパンは日持ちが難しそうですねえ”
”そうだな。まあ休日に焼いてすぐ食べる分にはうまいだろう”
”平日どうするかですね”
”蕎麦粥とそばがきだけですごすのもおもしろくないからな”
そこまで話をしたところでシレンツィオはボーラをみた。
”ところで羽妖精はそばがきをどんな味付けで食べるんだ”
”醤油ですけど”
”それはどういうものだ”
”エルフの伝統的な調味料ですね。今では人間も作ってますよ”
”秋津島の人間か”
”もちろんそうです”
”なるほど。試してみたいが”
”シレンツィオさんの国でいうと魚醤みたいな味ですよ”
”あれに似たものがあるのか。おもしろい”
”んー、でも、手に入れるのは難しいんじゃないですか? 北大陸と秋津島はそもそも行き来があるませんし、こっちのエルフは醤油の作り方も忘れてそうです”
”そうなのか。よし、聞いてみるか”
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