第60話 蕎麦のフリコ
それから、蕎麦料理の日々が続く。蕎麦ばかりだと身体が持たないので、小麦も混ぜる。このあたりに、栄養=熱量であるこの時代における蕎麦の価値の低さがある。
価値の低さと言えば、蕎麦は稲や小麦のように一斉に色づき、実が生ったりしない。同一土壌、同一日照時間であっても開花も結実もかなりばらける。このため作付面積の割に収量がいいとはいえない。荒れ地でもいいとはいえ、収量が少ないために小麦や黒麦がつくれるような場所では積極的な栽培はほとんどされなかった。
小麦と混ぜるため、シレンツィオはいつもと違って幼年学校にある食堂に付属する厨房に通っている。そこには石臼があった。
脱穀した蕎麦の実を石臼でひいて粉にするのである。石臼は、これでなかなか技術と熟練が必要なのだが、シレンツィオは慣れたものであった。船上でも火薬などの調合に石臼を使っていたからである。あまりに小さく、均一に綺麗な粉挽きをするものだから、後、仕事として依頼されるほどである。エルフより身体能力の高い人間のこと、さぞ活躍したであろう。
そうやって粉にした蕎麦粉に小麦粉を混ぜて、山羊の乳を少しずつ入れる。
”牛乳でもいいんだが、今は在庫切れだ”
”今度麓に行きましょう。また牛酪作りましょうね”
”ああ”
雑談しながらこねる。そしてこねる。形が整ったら、薄くのばして整形する。
”パンですか。シレンツィオさん”
”いや、発酵させないで焼き上げる。いつか栗を入れたフリコを食べたろう”
”おー。あんな感じになるんですね”
”そうだ”
銅板で厚切りベーコンと卵を焼き、フリコの上に載せて折り畳む。味付けは塩胡椒である。これに香り付けの香草を散らす。
完成である。
”おいしそうですね。でも私はベーコン抜きでお願いします”
”分かっている。アスパラガスを入れてやろう”
”わーい”
それで一人と一妖精で、うまーと食べていたら、ふらふらとマクアディがやってきた。目の前の席に座ってじぃとシレンツィオの食べる様子を見ている。
”どうした”
”シレンツィオさん、口、口を使わなきゃ”
「そうだった。どうした、ソンフラン」
「どうしたもこうしたもないよ。すごいおいしそうなにおい! 食堂で食べてる人たちみんなが見てるよ!」
「そんなものか」
他人のことなど一切気にしないシレンツィオである。周囲の注目には無頓着を通り越して冷淡ですらあった。
「食うか!?」
「本当!?」
最初からそれ狙いだった気もするが、単に腹が減っていただけかもしれぬ。思えば以前料理していたときも、ふらふらやってきていたなとシレンツィオは思い直した。
しかし。
「いやまて、駄目だ」
「ひどいよ!」
「これには蕎麦が入っているんだ」
マクアディを思っての言葉だったのだが、本人はひどいよぉぉぉと涙まで浮かべそうだったので、シレンツィオは根負けして小さなフリコを焼いている。
出自のせいか、手づかみでフリコを頬張るマクアディは口に入れた瞬間に目を見開いた。
「痺れたか」
「美味い!!!」
思わず大声をあげたマクアディに視線が集まった。食堂中の者がうらやましそうな顔をしている。営業妨害もいいところなのだが、マクアディはそんな事まで頭が回っていなかった。純粋純真な少年だったのである。
参ったなと思っていたら、テティスとエルフリーデが横に座った。
「おじさまは私に料理を出すべきでは」
「お腹が空きました」
それだけでなく、続々と料理を貰おうとする者が出そうな始末である。
今後のことも考えると、ここでこの厨房と事を構えたくない。
シレンツィオは一口でフリコを食うと、右手にテティス、左手にエルフリーデを抱えて走って逃げている。ちなみにガットは背中に捕まっていた。
”この人たちも捨ててきてよかったのでは”
ボーラが半眼でそんなことを言った。
”逃げた後に事情を説明するのが面倒くさい”
”本妻がいる、でいいじゃないですか”
”料理の話だぞ”
”そんなことは分かっています”
ボーラはあっかんべえをすると襟の中に隠れている。
「いいか、食堂では食堂のものを食うのが掟だ」
「あら、おじさまは違ったではないですか」
テティスはすました顔でそう言った。
「俺は事前に話をつけていた。そもそも今日は蕎麦を使うから駄目だと言っておいたろう」
「お腹がすきました」
エルフリーデが言った。先ほどからそれしか言っていない。シレンツィオは二人を交互に見た後、ため息をついた。
「蕎麦のフリコしかできんからな」
「はいっ」
「お腹がすきました」
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