第56話 蕎麦粥

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 翌日、シレンツィオの部屋にマクアディ・ソンフランが遊びにきている。食堂にでる無料の昼食に、珍しいものがでると伝えに来たのである。エルフ年でこの時八歳。人間の年なら三二歳、元気で利発なエルフの少年である。

「ソバが出るって」

「ソバ……。蕎麦か。エルフも食べるのだな」

「出る出る。人間も食べるんだね」

「地方によってはそればかりを食べているな」

「うわぁ、どんな罰だよ」

 マクアディ少年は蕎麦が好きではないようである。

 蕎麦は雑穀類の中ではもっとも生産量の多い食物である。シレンツィオの影響で本邦ではもっぱら麺にして食べるが、他国では練った塊を茹でて食したり、粥にしたり、薄く生地にして焼いて食べる。蕎麦の麺が発明される前は本邦でもそうであった。今では蕎麦と言えばそのまま麺を意味する言葉になっているので、想像しづらい話ではある。

 シレンツィオは、重々しく頷いた。

「罰、か。まあ確かに皮を剥くのは面倒極まりないが」

「え?」

 マクアディとシレンツィオは顔を見合わせた。話が噛み合ってないことに気付いた。

「まさか簡単に皮むきができるのか?」

 シレンツィオが尋ねると、マクアディは首を横に振った。

「いや、でもまあ、俺の生まれた田舎にも粉引き屋はあるし」

「ほう。エルフの国では粉引き屋が麦以外もやるのだな。アルバでは麦以外は法律で許されていない。さておき、じゃあ、何が罰なのだ」

 シレンツィオが面白がって尋ねると、マクアディは首を傾げたあと、口を開いた。

「そりゃあだって、蕎麦食べると子供は熱でるし、そもそもピリピリするし」

 シレンツィオは目を白黒させた。知っている蕎麦と、全然違った。

「それは俺の知る蕎麦なのか」

 それ以前に、この話と同じ話を聞いたことがある。

”ぺんぺん草か”

 シレンツィオは心の中で思うと、早速蕎麦を食べに行っている。

 襟が、揺れた。

”蕎麦! 私も食べたいです!”

”秋津洲では珍しいのか”

”いえ? 普通ですけど。私の場合は物珍しさじゃなくて故郷の味だからですねえ”

”なるほど”

 それで訪れた食堂は、まったくと言っていいほど人がいなかった。

”閑古鳥(ルビ:カッコウ)が鳴いていますよ。シレンツィオさん!”

”どういう意味だ?”

”寂しい様をいいますね”

”俺の国では時を告げる鳥なんだが”

 本邦では鳩時計と半ば意図的に誤訳されているが、鳥が出てくる壁掛け式の機械式時計の鳥は、本来閑古鳥である。おそらくは訳する時に閑古鳥ではなんとも侘びしくなるので鳩にしたのではなかろうか。

”まあ、それはいい。それでは食うか”

”わーい”

 でてきたものは蕎麦粥であった。それも、蕎麦だけのものである。粥というには水分少なく、炊いてあるようにも見える。上に香草がちらしてあった。

”財布の草(ルビ:ペンペン)だな”

”ガラガラな理由がわかりました”

”それが、どうも蕎麦も同じらしくてな”

”北大陸のエルフは味覚が壊れているんじゃないですかね”

 人がいないのでボーラは顔を出した。並んで蕎麦粥を食べる。しばらくの沈黙のあと、一人と一妖精は顔を見合わせた。

”まずい。俺が作ったほうがうまい”

”そうですか? 至って普通の味な感じがしますけど”

”そうなのか。香ばしくもないし、匂いが立ってない”

”うーん。シレンツィオさんというかシレンツィオさんの国は美食にこだわりそうですもんね”

”しかし、見事に人がいないな”

”いませんねえ”

 食事はすぐに終わった。シレンツィオとしては物足りないが、ボーラは満足だったようだ。

”食い足りない”

”シレンツィオさん大きいですからねえ”

 そんな会話をしていたら、走って一人の獣人の少女がやってきた。重そうな小袋をシレンツィオに差し出す。

「お待たせしました!」

「なんのことだ」

 シレンツィオの言葉は頭に落とされた鉄槌のごとき効果をもたらした。女はひどい衝撃を受けた顔をしている。崩れ落ちる。

「そ、そんなあ」

”シレンツィオさん、あの人ですよ。アルバの使いっていう”

”ああ”

 シレンツィオは遠い目をしている。本当に忘れていたようであった。思い出すのに、しばしの時間がかかった。

「金か」

「はい、そうです!」

 女は泣きそうであった。いや、泣いていた。シレンツィオはその手を取った。膝を折る。

「苦労をさせたようだ。すまん」

 シレンツィオの瞳は、周囲がわずかに青みかかっていたと言われている。その目に直視されて、女は息をのんだ。

「い、いえ、苦労はしましたがそれほどでも」

「それでもだ」

 この女、確かピセッロと言ったな。

 シレンツィオの視線を受けて、ピセッロは慌てて目をそらしている。

「わ、私に色仕掛けは効かないっすよ! だって」

「だって?」

「私、あんまりかわいらしくないですし」

「それは、今話していることに関係あるのか?」

 ピセっロは恐る恐る視線を戻した。

「な、ないんでしょうか」

「ないな。ともあれありがとう。手間賃はいるか」

「ご安心ください。こう見えても高給取りですので! あの、一人くらいは養えますので!」

”シレンツィオさん、勘違いされてますよ。〇点です。〇点”

”今の会話のどこに誤解するところがあるんだ”

”シレンツィオさんは女心が分かってないのです”

”分かったら、さぞかし世の中は面白くあるまい”

”そういう意味じゃなく!!”

”そうか”

 シレンツィオは、わずかに愁眉を見せた。女は再度息を呑んだ。

”あーもー!!”

 ボーラがテレパスで絶叫した。シレンツィオはかすかに微笑むと、女に向かって口を開いている。

「すまんが、そちらの用件とこっちの礼はあとでということで頼む」

「わ、わかりました!」

 シレンツィオは去っていく。ピセっロはそれを、呆然と見つめた。その後で、両手で顔を隠した。

 それでどうなったかというと、シレンツィオの顔に羽ね妖精がべったり張り付くことになった。抱きついているとも言う。不機嫌そうに透き通った翅をぶんぶんと振っている様は、なかなか面白い事になっていた。

”どうしたどうした”

”シレンツィオさんは私のものです”

”誰かが誰かのものになるのは愚かなことだ”

”そんな話じゃない! シレンツィオさんに一切その気がなくても恋に落ちる人がいるのが問題なんです!”

”恋することはいいことだと俺の国では言うんだが”

”女の敵ですね。その国”

 シレンツィオはそうだったかなと思ったが、怒れるボーラに聞く耳はない。

”だいたいシレンツィオさんの声が無駄にいいのがいけないんです”

”そういう褒められ方をしたのは初めてだが”

”私が思うから私が正しいんです!”

 翅が激しく震え、シレンツィオはそれで反論する気をなくした。鱗粉が顔にかかる。

”苦い。さらに辛い”

”良薬は口に苦しといいますよ。私の体から出ているんですから安全性はばっちりです”

”良薬は苦いとは、俺の国にはない言葉だな。トンボの大島の言葉か”

”そうですね。ああもう!”

 ボーラは暴れたあと、真顔になった。

”私のものって名前書いておこうかな”

”書いてどうする”

”もっと私の方を見てください”

”見てると思うが”

”心底本気で言っているのがムカつきます!”

”そうか”

 シレンツィオは気にした素振りもない。ボーラは頬を膨らませた。

”シレンツィオさん私のこと大好きですよね。誰にも言わないので教えてください”

”真剣そうな顔だ”

”真剣ですから”

”好きなのは間違いない”

 ボーラはシレンツィオの頬に何度か頭突している。

”そういうところですよシレンツィオさん!”

”そうか”

”フラッグブレイク! フラッグブレイカーですよシレンツィオさん。私でなかったら別居してるところです!”

”そうか”

”もう少し優しい声で”

「そうか」

 ボーラは悔しそうな顔をしたあと、心底嬉しそうな顔をすると襟の中に戻った。

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