第54話 毒麦

 それで、校長とともに山菜を集め、説明を聞いて、大喜びで帰ってきた。この姿を見て逃げたのが山菜嫌いなガットである。それだけではなく、テティスも顔を引きつらせて逃げ出した。

「その草はダメです」

「ダメなのか」

 シレンツィオは草扱いされた山菜を見た。小さな白い花を咲かせた三角形の小さな種を持つものである。アルバにも生えていて、これを財布の草と呼んだ。当時の財布は紙幣がない関係で三角形だったのである。三角形だと硬貨が取り出し易かった。

”ぺんぺん草ですね。これ”

”ぺんぺん草、なにがぺんぺんなのだ”

”秋津洲の弦楽器に使うバチの形ですね。幼児語でペンペンというんです”

”なるほど。秋津洲では食うのか?”

”ええ。春の七草に入っていて、粥にいれますね”

”なるほど”

 テティスやガットには別のものを用意することにして、シレンツィオは早速、粥を作ることにした。固くなったパンを砕いて牛乳で煮るところに、刻んだ財布の草を入れるのである。味は塩で整えた。

 味見していると、ボーラが慌てた。

”シレンツィオさん、粥と言ってもお米で作らないと!”

”米とは湿地帯に生えている毒麦のことか”

”とんでもない名前がつけられていますけど、ええ、それだと思います。なんで毒なんです?”

”文字通りだ。少量なら問題ないが大量だと腹を壊す。南方へいく船乗りではよく知られている話だ”

 アルバの衣鉢を継ぐ国家は現代でもいくつかあるが、いずれも保険当局によって米については一日の摂取量が定められている。研究によれば、アルバやニアアルバの人々は米をうまく消化できないという。三食米を食べ、異国に行けば米を恋しがる本邦とは大きく異なる。

”か、可哀想な人たちなんですね”

 ボーラの感想を聞いて、シレンツィオはそういうものかと考えた。

”そんなにうまいならそのうち食べてみよう”

”食べましょう食べましょう”

 それでペンペン草のパン粥を食べてみたのだが、なんとも普通だった。僅かな辛味、以上というところである。苦味もあまりない。

「ふーむ」

「死にたくなってしまいましたか」

 テティスがそんなことを言う。シレンツィオはテティスの心配そうな顔を見た後、頭を撫でた。

「俺が食べても普通としかいいようがない。むしろ癖がないな」

 えぇ? という顔で驚かれる。

”ボーラはどうだ”

”私達はもとから食べてましたし。まー、そうですねえ。普通ですねえ。おひたしにいいかも”

”ふむ”

 シレンツィオは少し考えた後、口を開いた。

「子供の頃は苦いや辛いが苦手なものだ。そういうものかもしれん」

 テティスはパン粥を見た。

「そうなのですか?」

「ああ」

 テティスとガットは顔を見合わせると、食べてみたいと言い出した。大人の食べ物とか言われると食べたくなるのが子供の心理である。

 そして二人して顔をしかめた。

「苦くてピリピリします。口全体が熱いです」

「熱がでそう」

「そこまでか」

 シレンツィオは食べさせるのをやめて慌てて別の料理を作って出した。

 翌日、校長にこの話をすると、笑いながら答えを教わることになった。

「春の山菜はそうなのよ。最近の子は体ができてからでないと、時に熱が出るわね」

「大人のエルフは問題ないのだな?」

「ええ。健康になるような、そんな気分になるわ」

 そこは人間と同じか。シレンツィオは腕を組んだ。自分の感覚では前日テティスが喜んで食べていたアスパラガスが大丈夫ならぺんぺん草でも大丈夫そうなものではある。なにか違いがあるんだろうか。

”これだから北大陸のエルフはダメなんですよ”

 ボーラはそんなことを言いながら透き通った羽を広げた。つんと顎を突き出して、見下している様子。

 対してシレンツィオは、静かに反論した。

”誰しも子供のときはある。それを責められるものはいない。たとえ神々でもな”

”子供の話じゃなくて北大陸のエルフの話です”

”どういうことだ?”

”教えませーん。そもそも羽妖精の女王に話すことが禁止されているんです”

 ここでも禁止である。シレンツィオはしばし考えて、少し笑った。笑顔を母親の腹の中に置き忘れたと言われている彼にしては、たいそう珍しいことではあった。

「面白い。実に面白い」

”シレンツィオさんて、本当に役に立たないことばっかりに興味がありますね?”

”お前は俺について回っているが、それは俺が役に立つからか?”

”そうじゃないですけど……”

 ボーラはそういった後、少しすねた顔をした。

”私の場合はシレンツィオさんだけです。でもシレンツィオさんは誰にでも何にでもそうじゃないですか”

”そんなことはない”

”そんなことはあります。ばーか”

 ボーラは襟の中に引っ込んでしまった。シレンツィオはそういうものかなと考えた後、すぐに興味の向く方へ歩き出した。まるで糸の切れた凧のごとき動きである。

 前日に引き続き中庭で山菜採りをしていた校長に挨拶すると、シレンツィオはなんとはなしに同じ中庭にある池の方へ向かった。夏には蚊が発生するとのことで不人気な場所なのだが、冬は氷遊びをするものもいる。蚊対策で定期的に掃除されているようだったが、冬の間は放って置かれていたらしく、氷の下の水は緑色になっていた。

 その池を前に座っている女生徒が一人いた。考え込んでいるのかじっとしている。

 人間の感覚で言えば一四、一五というところ。エルフでないのが面白い。ぱっと見人間であるが、うまく隠したつもりの耳の位置がずれている。獣人であろう。種類までは分からない。

 シレンツィオは、特に反応もせずに眼の前を通り過ぎている。

”なにか面白いものはないものか”

 そう考えて虚空を見たところで、黒い外套に抵抗を感じた。引っ張られている。

「私を放っておくのはおかしいとは思いませんか」

 先程まで座り込んでいた女生徒だった。シレンツィオは一切の表情変化もなく口を開いた。

「思わんな」

「人間ですよ、こんな異郷に居合わせた同種族! どうですこれ。恋愛小説の始まりぽくないですか」

 人間のふりをしているのか。そう思ったが、口にしたのは別の事だった。

「人間はもう十分見てきた」

 シレンツィオの言葉は中々常軌を逸している。思わず女生徒の手が離れた。

 シレンツィオは特に興味もなく歩く。校長に教わった山菜を拾い集めるのに忙しい。外套の襟が揺れた。ボーラが顔を出す。

”シレンツィオさん、テレパスで心読みましたけど、あれ、アルバの秘密諜報員みたいですよ”

”そうか”

”興味なさそうですね”

”興味ないな。俺は羽妖精の機嫌を取るのと、山菜と子供の味覚と魔法の仕組みで忙しい”

”ふ、ふーん”

 ボーラは出てきて肩の上に乗ると、ハンカチでできたスカートをまくって太ももを見せた。

”まあ、シレンツィオさんにしては中々の言葉だと言っておきましょうか”

 シレンツィオは少しだけ笑っている。彼からだと高い襟に阻まれて太ももなぞ見えはしないのだが、それも含めて面白い。

”しかし、あの秘密諜報員、私とキャラ被りの匂いがしますね。ほっといていいんですか”

”不幸な女に声をかけるのはアルバの男としての唯一無二の神聖な義務だ。それで命を失ってもまあまあ仕方ない。だが彼女は不幸に見えん。俺が声を掛ける道理はない”

 無表情でそう思うシレンツィオは、どうにも格好良く見える。

 揺るぎない信念というものを見た気がして、ボーラは少々恥ずかしい顔をした。シレンツィオをただの女好きと思ったのを恥じたようであった。シレンツィオは余人に感銘を与えるくらいの女好きであった。最近それに羽妖精好きや子供好きも増えた。

”ええ、まあ、そうなんですが。あれ、私がうっかり鳥屋に捕まってたのは正解だった?”

”不幸でないほうがいいに決まっているだろう”

”でも、それがなければシレンツィオさんと親しくなってなかったろうなあと”

”お前の不幸せに釣り合う話ではない”

”それは私のほうがアルバより価値あるって思っていいんでしょうか!!”

”喜ぶようなことか。大抵の女がアルバより価値あると思うぞ”

 陸地(国)のことに興味を示さず、海という環境で生涯を過ごすアルバの男ならではの価値観である。これのせいで彼の国の軍隊は本領である海を除いて、どうにも強くない。国を守るという意識が希薄で、戦う意味や意志をそこに見いだせないのだった。

 それでも、ボーラは喜んだ。彼女の出身地である秋津洲にあるイントラシアでは、国という言葉には格別の重さがあった。

 全身で喜びを表すように、空中を飛んで踊っている。

”えへへー。私は国より価値があるー”

“むしろ女より価値のある国なんてあるのか”

”シレンツィオさんにはそうでしょうね。それでいいんですけど”

”そうか”

”いいんです。今は喜ばせてください。シレンツィオさん、絶対私のこと大好きでしょう”

「あのー」

 シレンツィオとボーラは同時に振り向いた。人間に擬態した風の女生徒が、まだついてきていた。

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