第53話 魔法語と校長
この日の授業も、魔法が中心であった。シレンツィオは魔法の発動について考えを温めつつ、エルフの魔法語の説明を聞いていた。
面白かったのは、その成立理由である。
「普通の言葉でも魔法が成立してしまうのは日常生活に困る。だから今後は魔法を使う際は魔法語を使いなさい」
そういう説明である。魔法を使うための魔法語と思いきや、日常的に発生しうる事故を防ぐためのものであるという。想像していたことと真逆の方向性であった。
”こっちのエルフは愚かですね”
ボーラはそんな事を念話で伝えてきた。姿を見せて机の上に置いていたシレンツィオの腕の上に座る。
”そうか? 船乗りのようで面白いと思ったが”
”そうなんですか?”
船の上で日常的に発生しうる事故を防ぐために、日常語ではなく船乗りの言葉を使う。左舷をさげんと呼ばずにひだりげんと読むようなものである。聞き取り間違えると大事故になりかねないので、わざわざ読み方を変えている語がたくさんあった。それとおなじようなものであると、シレンツィオは理解したのである。人間もエルフも考えることは変わらんなという感想であった。
”なるほど……いや、それでもこっちのエルフは自然破壊者で酷い奴らなんです”
”自然破壊か。それは羽妖精にとっての重い罪なんだな?”
”世界にとっての重い重い罪です”
”アルバでは風呂を炊き船をつくるための材木を取り尽くした。そういうのも自然破壊か”
”はい。森林の減少は世界環境に多数の悪影響を与えます。保水力の低下や土壌の貧弱化はもちろんマナだって……”
”その情報は、話しても良いことなのか? 遺伝子多様性とやらは伝えることが禁じられていたろう?”
”これについては特別なんです。羽妖精が独占を許される知識ではありません。今の惑星環境下においては知らないことは悪です。最悪世界が滅びます。妖精も人間も死に絶えます”
”それは精霊魔法とやらで割り出したのか?”
しばしの沈黙があった。
”……シレンツィオさんは時々鋭いですね……。はい。そうです。人間風に計算、演算と言っても構わないのですが”
”なるほどな。いや、分かった。俺にできることは少ないかもしれないが、人間の世界には警告を出そう。聞き入れるかは分からないが”
シレンツィオがそう言うと、ボーラはまっすぐと見上げて微笑んだ。
”羽妖精の言うことを真面目に聞き入れてくれるシレンツィオさんが好きです”
”そうか”
横に座っていたテティスが鋭い目つきでボーラを見た。
”黙っていれば何を授業中にしているのですか。おじさまもです。”羽妖精の言うことは全部が嘘という言葉をお忘れなきよう”
”シレンツィオさん、エルフの耳は都合が悪くなると聞こえなくなると言いますよ?”
二人が喧嘩しそうなので、シレンツィオは軽く手を振ってやめさせた。ボーラははーいと言った後、不思議そうな顔をする。
”ところでなんで精霊魔法で割り出したと思ったんですか?”
”大層自慢にしていたからな。自慢にするくらいの成果があると考えるのが普通だろう。他の種族が知らないことをそれで知ったと類推するのはそう不自然でもあるまい”
”なるほど。シレンツィオさんの記憶力を馬鹿にしていました”
”馬鹿にしていいぞ。そちらのほうが口が軽くなるからな”
”馬鹿にしていなくても、口が軽いのが羽妖精ですがなにか”
”そうか”
授業が終わり、シレンツィオは廊下に出た。目指すはエルフの貴族料理を知ることである。できれば実際この目で見て食べてみたい。問題はその伝手もあても、まったくないことであった。
貴族に連なるものとしてテティスがいるが、どうにも、実家とは疎遠らしい。そもそも、テティスを利用するという発想もない。シレンツィオほど損をした者もないとニアアルバではいうが、その過半はこの男の好き嫌いから生まれている。人を助けるときに代価を一切受け取らないのである。例外は組織や国から報奨が出たときだっただ、それもシレンツィオは全額を誰かのために使っている。
”どこかに気のいい貴族でもいないものか”
”前に悪魔をやっつけたじゃないですか、あれの報酬とかどうですか”
”報酬はとっくに使った”
シレンツィオはボーラを学内で連れて歩く権利の他、エルフリーデなどの体育成績の劣る生徒への教育と、彼らへの追加の食事を報酬として願い出て許可されている。
”もう少し要求しても大丈夫だと思いますよ”
”そうでもない。報酬を蒸し返すやつはとにかく嫌われるものだ。やめておいたほうがいい”
”えー。じゃあどうするんですか”
”どうしたものかな”
腕を組んで歩いていたら、ちょうど良いエルフが中庭を歩いていた。シレンツィオは窓から身を乗り出して、一回転半して三階から飛び降りると、音もなく着地している。
「校長は何をされているのだろうか」
「あら、アガタくん。ごきげんよう」
顔をあげたのはこの幼年学校の学長、エムアティである。彼女は微笑むと立ち上がり、手にした草を見せた。
「山菜を取っていたの」
「ふむ。それも山菜なのか。どんな味でどう料理をすればいい?」
「あら、お母さんの手伝いかしら、いいわね。偉い偉い」
エムアティは小さい子を相手にするかのようにシレンツィオに微笑みかけた。この頃の人間としてはそろそろ老境である三一歳のシレンツィオとしては、久しく無い扱われ方である。こういう扱いを憤慨する者もいるが、シレンツィオの場合は、違った。
なんとも面映ゆい顔で、少し照れている。襟が激しくカンフーした。
「どうかした?」
「いや、こういうのも悪くない。そうか、エルフも山菜を食べるのか……」
「むしろ山菜ばかりを食べていたのだけれどね。私達は元々森と山の民だから」
「そうだったのか」
シレンツィオの知るエルフと言えば風魔法や水魔法でで船を動かして遠距離戦ばかりを指向する連中であったから、これは少し面白かった。そういえばかつてボーラが北大陸のエルフを森を捨てた森妖精と言っていたことを思い出した。
「元は森から……」
シレンツィオがつぶやくように言うと、エムアティは口元に皺を作って微笑んだ。
「三年生からは歴史の授業があるわよ」
「それは嬉しい。山菜のこともわかるだろうか」
「それはわからないかもね。士官学校に行くと、野戦糧食の授業で詳しく教わるんだけど。でも私の知ってる範囲なら教えてあげるわ」
「ありがたい」
「お母さんにやさしくしてあげてね」
エムアティはそう言って微笑んだ。ちなみにシレンツィオの母はシレンツィオが一七のときに壮絶な戦死をとげている。助からないほどの深手を負ったとみるや爆薬を積んだ樽を抱えて敵船に乗り込んで大笑いしながら爆死したとされる。シレンツィオはその場に居合わせなかったが、話を聞いてさもありなんと苦笑するだけであった。母を尊敬はしていたが、涙はなかった。好き放題生きていたので悲しむのもどうかなと、思ったからである。
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