第52話 冷めた料理、冷えた料理
昼は簡素にこの薄焼きパンに桜鱒を焼いたものを挟んで、塩気の強い
食後は授業である.。シレンツィオはテティスと連れ立って教室へ向かった。手を握りたそうにしていたので握ったところ、即座にボーラが出てきて邪魔をした。手刀で切って誰がそんなことをしていいと言ったなどと念話を飛ばしている。
”あら、手を繋いで登校など、仲が良ければ当然ではありませんか”
すました顔で言うテティスに、ボーラは憤慨した。
”薄汚れた欲望が透けて見えるんですよ。性悪エルフ”
”あら、佃煮になりたいのかしら”
ちなみに佃煮とは秋津洲の東国にあるという地名である。この佃で発祥したとされるのが佃煮であった。
言い争いする一エルフと一妖精をよそに、シレンツィオは今晩の献立を考える。シレンツィオからすると、子供の手を引くことに思うところはまるでない。気になるところは別にあった。
「ところで、気になったことを聞いてもいいだろうか」
「なんでしょう。おじさま」
「エルフの貴族は何を食べているんだろう」
すぐに、テティスの顔が曇った。困ったと言うよりも、あまり良い思い出がないようであった。
「冷めたものが多いですね……」
「氷菓子のようなものか」
「いえ、冷えた料理ではなく、冷めた料理です」
「なるほど。俺のエルフ語の能力では同じことに聞こえるが、意味が違うのだな」
「はい。温かく頂きたいものが冷えてしまったのが冷めた料理で、冷たく頂きたいものが冷たく出てきたのが冷えた料理です」
「ふむ。面白い言い回しだ。覚えておこう」
シレンツィオは口の中で冷めたと冷えたを発音した後、テティスの横顔を上から覗き込んだ。
「冷めた料理を食べるのはなぜだ?」
「調理場から食堂までが遠いのが一つと、歴史と伝統だと聞いています」
「歴史と伝統」
シレンツィオは考え込んだ。その様を不審に思ったか、テティスは不思議そうに口を開いた。
「考え込むようなことでしょうか」
「考え込むところだな。料理というものはたいてい、温かいほうがうまい。冷やしてうまい食い物ももちろんあるが、圧倒的に温かいもののほうが多い。この部分についてだけいうと、人もエルフも獣人も、変わらないはずなんだが」
「南大陸のドワーフはどうでしょうか」
テティスは別種族の名をあげた。
「銃の取引で良く行ったが、やはりというか、温食が中心だった」
それもそのはず。脂と油は程度の差こそあれ、冷えると固まって不味くなる。この物理法則は世界共通である。普通に料理を作れば温かいものはうまいのである。
「人間の国では貴族は温かいものを食べるために蓋はするわ、皿を温めるわ、厨房からの距離を短くするために専用の通路を設けるわでありとあらゆる手を使っていたのだがな」
「それはなんというか……人間の執念はすごいですね?」
”お、性悪エルフも気づいてしまいましたか。私もそう思います。シレンツィオさんだけじゃなく、アルバという国が美食にこだわるのかもしれませんね”
”ボーラの故郷はどうなんだ。トンボの大島にも人間はいたはずだろう”
”秋津洲ですか。ええ。もちろんです。でも寒冷化の影響でみんな食べるのに精一杯で、美食なんかとても……それにまあ、食に関しては上のエルフの文化もこっちのエルフと似たりよったりなので”
上のエルフ、古代語でハイエルフと言う。アルバではトンボの大島と呼ぶ秋津洲に住まうエルフを指す。彼らは北大陸のエルフを劣ったエルフとして差別していた。寿命などで大差があったのである。
”似たり寄ったりというと、冷たいものをもっぱら食べるのか?”
”もっぱらというほどでもないですけど、シレンツィオさんほど気にはしてないみたいですねえ”
”なるほど。つまりは、脂分の少ない食事をしているのだな”
シレンツィオが言うと、ボーラは周囲を飛んで回った後、思念を飛ばしてきた。
”言われてみればそうだったかもしれません”
”エルフ料理、調べてみるか”
「あの、おじさま、わたくし、おじさまの料理のほうがずっと好きです」
テティスが遠慮がちにそんなことを言う。エルフ料理を食べさせられると思ったのかもしれぬ。シレンツィオはテティスの頭をなでた。
「うまいものしか出さない」
「はいっ」
ハエのような羽音を出して、ボーラが邪魔をした。
”性悪エルフを手なづけてどうしようっていうんですか。シレンツィオさん”
”そもそも手なづけてない”
”おじさまとわたくしは、愛し合っているのです”
”はっ? 今年聞いた冗談の中では最高のものですが、笑えませんね”
ちなみにボーラは生まれて一年も経っていない。シレンツィオは何も言わず、脂を減らしてどこまでうまいものを作れるのかと考えた。
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