第51話 桜鱒

 翌日、シレンツィオは朝からガットを伴って魚を取りに行っている。獣人であるガットの運動能力は高く、人としてかなり成績上位にあるシレンツィオに劣らない。それでいてまだ一〇歳にもなっていないのである。

「いい戦士になれるな」

 シレンツィオがそう言うと、ガットは嬉しそうに笑った。

 それを見て不思議そうにするのはボーラである。

”え、戦士より貴族のお付きのほうが良くないですか?”

”獣人はそうは思わない。野を駆けるのが苦にならぬ体の代わりに、野を駆けねば体調を崩すのが獣人だ”

”そうなんですか!?”

”ああ、いい船乗りになれそうなのに、そのせいで船に乗る獣人はほとんどいない。同じことだ。貴族のおつきというのは、獣人にとっては手の込んだ牢獄みたいなものだろう”

”ほへー。なんでガットちゃんは性悪エルフにつけられているんです?”

”普通は借金か人質だが、ガットはそんな感じではない”

”そうですね。性悪エルフに恨みもなさそうです”

”獣人は恩義に報いること他種族とは比べ物にならないので、おそらくはそれだろう”

”なるほど”

”それならば、いつかは自由になるはずだ”

 シレンツィオは楽しみが増えたような顔で言った。もっともボーラ以外に、その表情を読み取るものはいなかったが。

 さてガットが案内したのは、山の上方にある川の源流付近であった。森林限界を超えているので、もはや木々もない。

 岩だらけの地で、岩と岩の間を縫うように、あるいは岩を浸すように、冷たい水が流れていた。

 水源は軍事的に重要とはいえ、ここに人の姿はない。それというのもこのような場所が、この山のあちらこちらにあるからであった。

”こんなところにいるんですか? お魚”

 ボーラに言われたシレンツィオが返事するより先に、先行していたガットが大きな指を指した。岩を丸く並べて小さな人口の池が作られている。

「ここ」

「ガットが作ったのか」

 シレンツィオが尋ねると、ガットは何度もうなずいた。それだけではなく、捕まえた魚をここに放流することもしていたらしい。魚を保存する方法としては、悪くない手であった。

「俺が釣ってもいいのか」

「いい。いつも親切だから」

 ガットに言われて、シレンツィオはそうかと返した。頭を撫でると耳を倒して嬉しそう。

「じゃあ、今日食う分だけ捕まえるか」

 この池にいる魚はいずれも元は川魚であった。シレンツィオは繋ぎの釣り竿を用いて、小さいながらも形の良い桜鱒を捕まえている。桜鱒は春の魚ではあり、身が肥えるのはもう少し先であった。

「これは中々美形の桜鱒だな」

”シレンツィオさん、魚に美形とかいるんですか?”

 ボーラが不思議そうに言うのにシレンツィオはうなずいてみせた。

”背が盛り上がって頭よりずいぶん高くなっている魚はうまい。これを美形という”

”なるほど”

”もっとも海魚の話だがな。桜鱒がそうなのかは知らん”

”えー”

”食ってのお楽しみだ”

”そうですね! 刺し身が食べたいです”

”刺し身とはなんだ”

”生で食べるんです”

”やめておけ。川魚の寄生虫はたちが悪い”

”えー”

”寄生虫にも色々いるが、皮膚の下を踊るやつがいてな”

”やめてください。死んでしまいます”

”食べないことだ”

”分かりました。まあ、シレンツィオさんがそこまで心配するのなら! ちょっとくらいは我慢します!”

 本当に大丈夫だろうなとシレンツィオは心配しつつ、三匹の桜鱒を釣り上げた。見るとガットはそれ以上の数の桜鱒を追い込んで池に飛び込ませている。ガットならば直接手づかみでも捕まえられそうだなと思ったが、シレンツィオは黙っていた。魚肉はとても繊細で、指で押しても味が変わることもあれば、死んだ後の体温で肉が変質することもある。できれば丁寧に扱いたいのである。

 シレンツィオは釣り上げた魚を締めると、その場ですぐに身を三枚に下ろして袋に入れ、川に入れて温度を下げた。今度来るときは、テティスに氷の魔法をつかってもらうのも悪くないかもしれない。

 十分に冷やしたら、濡れた袋を担いで急いで帰るのである。

 帰ったら即、テティスの部屋で料理となった。

 まだ冷たい桜鱒の身を拭いて水気を落とし、塩胡椒と、小麦粉をまぶす。鍋でオリーブから作られた油を熱し、桜鱒を皮目から焼く。弱火でじっくり焼くのがコツである。付け合せの山菜は別の鍋で軽く茹でた。

 檸檬を絞って完成である。

 テティスは魚の焼ける音で目を覚まし、眠そうながらも幸せそうな顔で美味しそうですね、と言った。

 実際、この日の朝食は実に美味であった。桜鱒の身はふっくらして口の中にふくよかな味が広がり、淡白な身を塩胡椒が引き立てる。

「貴族でもここまでの食事は中々ありませんね」

 テティスはシレンツィオが焼いた薄焼きパンと合わせながら、嬉しそうに笑って言った。ガットもうなずく、ボーラは正直舐めてました、生じゃないのに美味しいですとまで言った。

 つまるところ。うまーである。四人並んで、桜鱒を堪能した。

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