第50話 乾パン揚げ

 そうして歩く部屋への帰り道、食堂に行って乾パンをもらった。固く焼き増したパンで、焼き立てはほのかに甘く、うまい。ただ数日もすると、砂漠で砂を噛んだような味になる。

 一般的なエルフのパンは牛酪バターが少ないのであまり好きではないのだが、このエルフ語でレンパスとも呼ばれる乾パンは別だった。焼き増す過程で油をたくさん使っているせいかもしれない。現代と比べて二〇倍以上も食用油の価格が高い故なのか、この時代は油っぽい食べ物が人気であった。

 襟が、揺れた。正確には襟の中に隠れるボーラが揺らした。

”シレンツィオさん、どうせなら食堂で食べれば良くないですか? 無料らしいですよ”

”俺はうまいものが食べたい。残りの寿命であと何回食えるかと思うと余計にな……大丈夫だ。変わった献立のときは教えてもらえるようにソンフランに頼んでいる”

”はぁ。人間の食に対する情熱は、時々常軌を逸してる気がします”

”地方によるな。アルバに限らず、船乗りは多かれ少なかれ美食家だと思うが”

 それもこれも、この頃の船上食が際立ってまずいせいである。このため反動で船乗りは美食を追求する風土が生まれた。この風土はこの後数百年も続き、海軍の飯はうまいと陸軍から羨ましがられる原因となった。

 部屋に戻り、すぐに厨房として使っているというよりも厨房のついているテティスの部屋に向かう。シレンツィオの部屋には簡易厨房しかなく、それ故に天火がなく、料理する時の大半はテティスの部屋を使っていた。

 シレンツィオの顔を見た瞬間に、テティスが笑顔になった。ガットはシレンツィオの背中にしがみついてよじ登った。

「おじさま、何を作るのですか?」

「乾パンを揚げる」

「そのような食べ物があるのですか?」

「昔、話を聞いたことがあるんだが、騎士の食い物らしい。いつか試してみようと思っていた」

 溶き卵をくぐらせパン粉をまぶして、乾パンを揚げる。大皿いっぱいに揚げる。上に朝取ってきた山菜という名の香草を散らす。わずかに砂糖もまぶす。

 残った卵に更に卵を加えて油いっぱいの鍋の中でゆっくりかき混ぜながら焼く。火が通り過ぎないうちに鍋から落ろす。味付けは塩が少し。

 朝にアク抜きしていた山菜を焼く。アルバでいう火炎草、本邦では柳蘭という植物の若芽である。

 野焼きをした山に大量に生えるゆえに火炎草というこの山菜は、大量の油で炒めるとうまい。揚げ物の油を捨てるのももったいないので、このように油を使い回すのである。

 結果、食卓の上は油分いっぱいの料理ばかりになった。もっとも、今とは比べ物にならないくらい体を動かしていた時代であったから、シレンツィオの胃がもたれることも、体重管理を気にするようなこともなかったろう。

 揚げた乾パンはからりとしていて、噛めば甘みもあり、実に美味かった。エルフの国の乾パンは軍用のためか、一口大の大きさにしてあることもテティスやガットにはよかったろう。

 ポーラはどうかというと、自らの体に比して枕ほどの大きさの揚げた乾パンを拳で割って食べていた。

”そうか、羽妖精にはちと切り出して食いにくいな。悪いことをした”

”いーえー。よくあることですし”

”割ってやろうか”

”わーい”

「おじさま私も」

”性悪エルフにはいらんやろがい!”

”やろがいってなんですか。羽妖精はこれだから”

 シレンツィオは表情を変えぬが、本人としては笑っているつもりである。

 ガットに目をやると、ガットは揚げた乾パンをまとめていくつも頬張って、勢いよく食べていた。目が合うと、実に嬉しそうに笑い、口の中の一部がこぼれてしまった。

 シレンツィオはそれの世話もする。

 中々いい人生じゃないか。そう思うのである。

 ところでこの日一番受けたのは卵を焼いたものであった。油の中で泳がすように焼いた不格好な半熟の卵焼きだが、全員が絶賛する出来栄えである。シレンツィオはなるほど。こういうのがいいのかと、覚えた。卵が手に入ったら、また作るのも悪くない。

 食事が終わる頃にはもう夜である。明かりは高いので月の光に頼るが寒いとなると窓も閉めなければならず、そうするとやることがない。寝るだけである。シレンツィオは吊床の上で、気持ちよく寝た。ぐうぐう寝た。

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