第49話 魔法の仕組み

「俺は派閥争いに巻き込まれてここに来たんだがな」

 そうぼやいた。もっともこの言葉はテティスにもボーラにも、響いてはいない。

「あら、人間もいいことをするのですね?」

”アルバの宝剣を手放すなんて、愚かもいいところなんですよ”

 口々に、そんなことをいう。シレンツィオはわずかに笑うと、その言葉を納得することにした。もとより派閥争いの件で恨みはないのである。全てはシレンツィオの知らぬところで起きたことであり、シレンツィオ自身も、船乗りをやめたからここにいるとも思っている。

 時間は流れ十四時過ぎになると授業が終わる。現代的な感覚でいうと随分早い気もするが、夕食の準備を自分でする生徒などからすると、そこまで時間に余裕があるわけでもない。この時代は明かりに使う油が異様に高く、ほぼ一日の稼ぎと同額だった関係で、日暮れまでに全てを済まさないといけなかった。

 そんな、誰も彼もが急ぎ足になる時間。シレンツィオはどうかというと、朝に使った油がもったいないので夕も揚げ物にするつもりであり、そのため時間には余裕があった。大量の油を使う金銭的な負担はさておき、揚げ物はパンを焼くより時間がかからないのである。

 彼はその時間を、有効活用しようとしている。

 シレンツィオが向かったのは、中庭である。ここにはいくつかの東屋があったのだが、そのうち一つは悪魔がでてくる魔法陣が隠されていたということで、閉鎖されてしまっている。今もまだ、衛兵が数名立っている状況である。

 シレンツィオは特に気にすることもなく東屋の前を歩き、別の東屋に入った。先客が一人いた。メガネを掛け、薄い本を持った少女である。この時代のメガネはレンズを使用しておらず、輪に魔法陣をかけて使用していた。職人が手でレンズを研磨するより安上がりだったのである。

「邪魔をする」

「どうぞ」

 少女は恥ずかしそうに笑顔を見せて言った。

 この本の少女、あるいは東屋の少女、名をエルフリーデという。エルフなのに<エルフのよう>エルフリーデという意味の名前なのは、この頃北大陸のエルフは自らを人間と称しているからである。彼らにとってエルフは山奥の少数民族のことであった。

 この娘、人間年齢に換算するとテティスなどより年上の五二歳である。見た目としては人間からすると一三かそこらに見えた。

 シレンツィオが座るための場所を空けると、エルフリーデは口を開いた。

「なにかありましたか?」

「エルフからすればくだらないことを、先輩に聞こうと思ってな」

「先輩とは私、ですか」

 エルフリーデはそう言うと、楽しげに笑った。正面からシレンツィオを見上げる。

「なんでも聞いてください。今生きているのは、シレンツィオさんのおかげなんですから」

 シレンツィオは表情一つ変えなかった。

「そんなことは気にするな。それで、今日授業で精霊というものがあると聞いたんだが」

「あ、三年生に上がれたんですね。おめでとうございます」

「ありがとう。それでの話なんだが、精霊非実在派というものが存在すると聞いた」

「はい。ありますね。……それが?」

 エルフリーデは小首をかしげた。シレンツィオは言葉を続ける。

「その主張を知りたい。精霊が実在する派閥のほうは授業で教えてくれそうだからな、教えてくれないほうが知りたい。エルフリーデは座学は優秀だと聞いたことがあるので尋ねてみた」

「なるほど」

 エルフリーデは少し東屋の天井に目をやったあと、すぐに口を開いた。考えをまとめたのだろう。

「まず一般的には、精霊とは魔法を使う実行役だと言われています。言葉を解釈して、魔力を吸い上げて魔法を実行する役目ですね」

「ふむ」

「精霊非実在派は、実行役は存在してないのではないかという仮説を立てています。仮説というのは、一定の現象を統一的に説明できるように設けた仮定のことですね。この場合では魔法の実行役がいないとしても、魔法発動の仕組みは説明できる、という主張です」

「なるほどな。目に見えないものだから、そのように解釈が分かれるわけだな」

「そうですね。でも、普通のエルフは精霊非実在派の主張をこじつけだと思っています」

「面白そうだな。どうしてだ?」

 エルフリーデは土よ踊れと言った後、地面の土を指で示している。何も起きない。

”土よ踊れ”

 エルフリーデが再度言うと、今度は土塊が動き出した。小さな人形になって体操をはじめている。

「こういうことなんです。今の言葉の違いはわからないと思います。私だってよく分かっていません。でも、こうすると、聞き届けられる、という感覚はあるんです。なんとなくですけど」

 魔法が使えない人間にはわかりにくいと思いますけど、と言い添えて、エルフリーデは言葉を続けた。

「聞き届けられる感覚、というものがある以上、実行役がいると思うのは極普通です。精霊非実在派の仮説は、一般的な感覚に逆らっているので支持を集めていないんです」

「なるほどな。実に面白い話だった。ありがとう」

「い、いえ。お礼なんて」

 エルフリーデは体育の成績が悪いので退学危機にある劣等生である。それが(見た目は)年上の男に礼節を尽くされて尋ねられるので、すっかり照れてしまった。あまり褒められたことのないので、余計にである。

 シレンツィオは頷いた。

「エルフリーデが落第せぬように俺も力を尽くそう」

「シレンツィオさん」

「どうした」

 エルフリーデは、表情に迷ったあと、笑顔になった。

「いえ……また、わからないことがあれば尋ねてください」

「感謝する」

 シレンツィオはそう言って離れた。料理をする前に食堂によらねばならぬ。

 すると、にわかに襟が暴れ出した。カンフーするとも言う。

”なんですかあの女! 気づいていましたか、ちょっとずつ距離を縮めていましたよ! あと声に甘いものが混じっていました”

”そうだな。感謝などいらんのだが”

 しばらく沈黙があった。ボーラは襟から顔を見せてまじまじとシレンツィオの顔を見ている。

”あれを感謝と言い切るシレンツィオさんは女の敵だと思います”

”お前はエルフリーデの味方なのか”

”私はいつだって私の味方ですがなにか”

”そうか。てっきり俺とエルフリーデをくっつけたいのかと思った”

”ダメです。そんな事になったら、いえ、そんなことはさせません。ありとあらゆる邪魔をしますよ。同衾してるところに毛虫いっぱい投げ入れたりしますから”

”そうか”

”本・気、ですからね”

”安心しろ”

”シレンツィオさんの安心しろで安心だったことは一度もないじゃないですかやだー!!”

”そうだったかな”

 シレンツィオはそう言った後、指で己の顎を撫でた。恐ろしく切れ味の鋭い短剣で朝昼夕と髭を剃っているので肌触りはいい。

”ところで羽妖精的に精霊というのはどうなんだ”

”すみません。それについて語ることは羽妖精の女王に禁止されているんです”

”そうか”

”人間やエルフには教えてはいけない知識だと言われています”

”知ってはいけない知識ではないんだな?”

”はい。自分で気づくことについては大歓迎です。いつか、そうなって欲しいと思っています”

”そうか。それでは都合が悪ければ喋らなくていいのだが……”

”はい”

”エルフリーデは違いがわからない、と言っていたが、俺には違いがわかった”

”魔法の言葉ですか。あー。そうですね。シレンツィオさんはエルフ語が母語ではないですし、普段から私達とつきあっているので気づいてしまうかもしれませんね”

”そうか。いや、それだけだ”

”残念ですけど、その謎を解いても人間では魔法は使えませんよ?”

”いや、単なる知的好奇心だ。目的はない”

”学者にでもなりますか?”

”仕事にしたいわけでもない”

 シレンツィオという男には裏表がない。色々なものを母親の腹の中に置き忘れて生まれた男であったが、裏表も忘れてきたようであった。

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