第35話 国際問題
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期せずして、国際問題となった。もっとも国際問題は大抵が期せずして起きてしまうものである。今回の場合はシレンツィオを巡ってアルバ国、リアン国とルース王国の間で揉めることになった。
この件、所詮八歳の子供の戯言で済ませられればよかったのだが、実際にはそうならなかった。その原因は(関係者の思いと数だけ)いくつもあるのだが、主だったものを五つ見ていくことにする。
一つにエンラン伯爵第三子テティスが心を読む力を持っていたことがある。彼女の家中での立場はさておき、”読んだ”内容については疑義の余地がなかった。彼女がエメラルド姫の心を読んでリアン国の手違いがあったと言い出せば、この言葉には子供とは言え、否、子供だからこそ大変な重みがあったわけである。
二つ目に海を利用した経済貿易で成功するリアン国に対して、ルース王国は苦々しく思っていた。今回の件を利用してリアンから権益の一部を奪おうとルースの国内貴族の一部が動いた。一例をあげるとテティスの実家であるエンラン家はここのところ財政が悪化しており、その借金の一部はリアン国が握っていた。これをどうにかしようとしていたわけである。
三つめに、リアン国とルース王国、双方が責任を押し付けあった。リアン国はたしかに間違えて幼年学校まで移送したことを認めつつ、幼年学校が受け入れたことにも問題があるといいだし、ルース王国側はこの意見を聞いて激怒したとされる。そもそも間違えたのはそっちではないかという話である。
四つめにアルバ国の宮廷にあたる元老院からシレンツィオ・アガタの留学について報告を求められていたのにリアン国が虚偽の上告を繰り返していたことがこの件で明らかになってしまったのである。リアン国はシレンツィオが出奔したなどと嘘をついていた。この嘘がばれた上に身柄がルース王国に移ったとあればリアン国の内閣総辞職どころではすまないことになっている。リアン国の外交能力と商人としていちばん重要な信用能力の両方に重大な傷がつきかねない危険な状況になっていたのである。
そして最後の一つが重要で、本人の自覚はさておき、アルバの宝剣の名前が大きすぎたのである。
アルバ本国は玉突き事故のように元老院が苦境にさらされていた。シレンツィオを輸送していた船の船長の噂サレンダの総督の報告を皮切りにシレンツィオの現状を知った国民たちがアルバ、ニアアルバの英雄を助けよと強烈に元老院を叩きはじめたのである。これは結果としてリアン国に対して、大変な重圧になってのしかかった。
それにしてもこの件で目立つのはエルフの人間を見分ける能力の低さである。劣等人と馬鹿にしていたからでは説明がつかないほど彼らはシレンツィオを見分けることができていない。リアン国の言い訳というか報告書にはシレンツィオの本名であるピエールと書いてあったから、というものもあったが、それだけでは説明するのが難しい。おそらく、ではあるのだが、エルフは視力の代わりに魔力で個体識別をしていたのではなかろうか。若いというよりも幼いエルフだと肉眼で識別をしているようなので、長生きする過程で視覚を失っていくようである。ただ、現在生き残っているエルフはいないために、このあたりは良くわからない。
ともあれ、アルバ、リアン、ルースで揉めた。
結果、どうなったか。幼年学校とは関係ないところで戦争に発展しかねない大騒ぎが起きていたのである。一方でシレンツィオのいる幼年学校は、静かなものであった。上の殴り合いが終わって指示が現場に降りてくるまでは、各国身動きが取れず現状維持になったのである。
そんな事情をどこまで把握しているのか。テティスは保護を名目にシレンツィオの部屋に入り浸っている。
「おじさまのおかげで、久しぶりにお父様からお手紙がきました」
あげく、嬉しそうに言った。
羽妖精がシレンツィオの外套の襟から出現して腕を組んだ。
”怒られてませんか。勝手なことをしたなって”
「それが、褒められたのです。生まれてはじめてかもしれません」
幸せそうに笑うテティスを見て、羽妖精の顔が曇る。一方で襟の主というかシレンツィオは、何の表情も浮かべていない。
”シレンツィオさん、この状況はどうなんでしょう”
”テティスが嬉しそうならそれでいいだろう”
羽妖精の愁眉は開かなかった。
”大人としてどうなんですか。外交問題で性悪幼女が前科付き性悪幼女になるかもしれませんよ?”
シレンツィオはキクイモを油で揚げながら、考える。
”八際の子供の言葉を、そういう風に使う、そんな国は滅んでいい”
”シレンツィオさん的にはそうなんでしょうけど、私は反対です。エルフは嫌いだけどシレンツィオさんが酷薄そうに笑みを浮かべるのはもっといやです。それぐらいならエルフは生きていてもいいです。どうぞ”
”それならば、そうだな。最悪はテティスを連れて旅にでも出る。ちょうど、お前も甘いものがある国がいいとか言っていたろう”
”さすがというか、国という概念に紐付いてない発言ですねえ”
”船乗りだからな”
”元でもそうみたいですね。はぁ”
わざとらしく羽妖精はため息をついて、シレンツィオを見た。 シレンツィオはテティスとガットに抱きつかれている。テティスは心底嬉しそうに。ガットは動くおもちゃを見つけたような顔をしていた。
”それでしたら、性悪幼女はお父さんと仲良くしていただいて、私達だけで旅にでましょう”
”佃煮にしますよ”
シレンツィオは表情を変えずに、食ったら教室に行くかと言った。この日は三年への進級試験である。
この状況でも進級試験を受けたりと、シレンツィオは真面目だった。このあたり、シレンツィオの特性というか、まったくと言っていいほど興味のないことに関心がないという性格をよく表している。
”試験大丈夫そうですか? 頼まれたら手伝いますけど”
”必要ない”
シレンツィオは大皿にキクイモの揚げ物を出した。塩と胡椒、香草をちらしたものである。皮付きのキクイモを一口大に切って揚げた簡単料理である。後、じゃがいもが発見されてこの料理は廃れるが、料理法についてはじゃがいもに受け継がれる形で今にも残っている。
”ホクホクしておいしいですねえ”
羽妖精が顔の形が変わるくらいに頬張ってそう言った。ガットは必死に冷まそうと努力をしていた。猫舌なのである。
テティスは行儀よく食べて両手を合わせるようにして微笑んだ。素朴な味だが貴族の口にもあったようである。
「私のエルフ生で、今が一番幸せなのかもしれませんね」
「人間と違って長生きできるんだ。いくらでも幸せはつかめる」
”まあシレンツィオさんはいないんですけどね”
”佃煮にして畑に撒きますよ。なんでそうやってわたくしのささやかな幸せを踏み潰そうとしているんですか”
”事実ですけどなにか。所詮、人間とエルフ。生きる時間が違うんですよ”
テティスは考え込んだ。ちなみにシレンツィオは黙ってキクイモを食べていた。自分で作っておいてなんだがうまい。やはり二度揚げが重要だ。
「よし、いくか」
「にゃーはお帰りをお待ちします」
頭を下げるガットを見て、シレンツィオは頷いた。
「なにもないとは思うが、何かあったらそこの縄を引っ張ってくれ、罠が作動する」
”一応ガットちゃんの安全面を考えているんですね”
シレンツィオはなんの返事もしていない。当然過ぎたのである。
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