第31話 海に出た男を詮索するな
シレンツィオは肉を休ませる間に別の料理も作っていた。前日の朝に手に入れていたクッキをーをナイフの柄で叩き、粉々にすると器の底に詰め、牛酪と水分の残る乾酪、砂糖を混ぜ合わせた。まざったそれを充填して、
「熱いのもうまいが冷やしてもいい。どうする」
”羽妖精的には冷えてる方が美味しそうに思えます”
”ならば冷やすか。外においておけば数時間で完成する”
「冷凍なら魔法が使えます」
テティスがシレンツィオの太ももに抱きつきながら言った。
「便利だな。やってくれ」
それで短時間で出来た。テティスは上級貴族の習いで古い魔法が使えていた。軍用ではない故に威力は弱いが汎用性の高い魔法である。
すぐに冷凍が始まってシレンツィオを喜ばせた。
「この魔法があれば新しい料理も作れるかもしれんな」
”軍事利用より先に料理に使う辺りがシレンツィオさんぽくて好きです”
「そうか。ともあれこの手の魔法が牛酪の作成を阻んでいたのだな」
そう言いながら、上に香りのいい雑草を散らす。
”ミントは雑草ではありませんよ。立派な香草です!!”
”そういう意見もある。どこででも手に入るのはいいな”
実際道端に行くと羽妖精が言うミントは、たいていどんな国でも大量に生えている。この草、馬の餌にもなり、普通の飼い葉に飽きている時に食べさせると食欲が回復したり、興奮を収めることがある。とはいえ消費量より繁茂の量が多く、庭の侵略者として世間一般では雑草として扱われていた。
「さて、食うか」
分厚いステーキをナイフで切って突き刺して食う。中身は赤く、肉汁を豊富に含み、噛みごたえと満足感を与えてくれる。
テティスは小さく切って口に入れていたが、途中で少々行儀が悪くなって、大きな塊を口に入れて嬉しそうにしていた。
「不思議に美味しいです。おじさま」
「不思議かどうかはしらんが。うまい。もう少し保存させたほうがうまいんだが、まあ保存庫がないからな」
「昼に食べたのもおいしかったけど、これもすぅです」
ガットは噛みごたえのある肉のほうが好きらしく、尻尾をゆっくり振りながら食べていた。
”シレンツィオさん! 私も! 甘い物!”
”そうだな。先に食べるといい”
頭を突っ込むような形で冷やしたものを食べ始めた羽妖精は、もんどりうって倒れるようにして味を表現した。
”ベイクドチーズケーキですよこれは!”
”よく分からんがうまそうでよかった”
”毎日これが食べたいです”
”分かった”
羽妖精はその返事を聞いて、シレンツィオの顔の前まで飛んだ。
”ええと、今のはですね、古代語における婚姻の申し込みでして……”
「おじさま、羽妖精の戯言に乗せられませんよう」
”何邪魔してるんですか性悪幼女”
「おじさまの不利益になることを見過ごせないだけです」
そう宣言した後、テティスはベイクドチーズケーキを食べている。頬が年相応に緩んだ。
「たしかに毎日食べたいですね。わたくしは束縛したりはしませんけれど」
”ちょいちょいどす黒い本性がでてますよ”
”無知に付け込む浅ましいあなたに言われたくありません”
”元気になってきたな”
”シレンツィオさん、その感想はどうなんですか”
羽妖精に言われてシレンツィオは黙って料理用ナイフを洗った。そのうち銀の包丁でも手に入れねばなるまいなと考えた。
(8)
翌朝、シレンツィオはクッキーを作っている。たっぷりの牛駱に砂糖と卵黄をざっくり混ぜ合わせ、黒麦粉と小麦粉を加えてさらに混ぜた。あまり混ぜ合わせすぎると味が悪くなるので粉気がなくなるほどで良い。生地を棒状にして布で保湿し、寒い部屋でさらして寝かせる。一時間ほどしたらこの棒を切って並べ、天火にかけて焼き上げるのである。
”香ばしい匂いですねえ”
”そうだな”
こうして焼いたクッキーを、シレンツィオは中庭に持っていっている。薄い本の少女に食わせるためである。
果たして中庭には寒いのか震える少女がいた。
「寒いのなら中に入ったらどうだ」
「……なんで何度も来るのですか?」
「深い理由があると思うな」
”浮気は駄目ですよ”
”何の話だ”
シレンツィオはそう思いながら、布で包んだクッキーを渡している。
「まだ温かい」
受け取った少女はそう言った後、その暖かさで急に感情を取り戻したか、シレンツィオを睨んでいる。
「私を哀れんでいますか」
「なぜ?」
しばしの間があった。少女は目をそらしている。
「劣等生だから」
「それは憐れむ理由になるのか」
”シレンツィオさん、言葉が足りてませんよ”
”面倒くさい”
シレンツィオは羽妖精にそう返した後、今度は薄い本の少女に向かって口を開いた。
「俺は魔法が使えないが、気にしていない。憐れんでほしいとも思わない。俺は男だが、以下同文だ。俺の故郷ではこうとも言う、初めの位置が違うだけ、とな。これしかないと思うときは、大体間違っているものだ。今、お前が身体を鍛える以外の道を探しているように、他の道は常にある。その上で言うが……」
シレンツィオは一度言葉を切ったあとで、口を開いた。
「それ以外の全部を試すには、まだ人生が足りてないように見える。まだ可哀想と言われるのは早いのではないか」
薄い本の少女はシレンツィオをちらりと見たあと、包みを開いた。
クッキーを食んだ。
「不思議な風味……甘い」
「それが気に入ったら、作り方を教える」
シレンツィオはそれだけ言って、中庭から立ち去っている。
”いいんですかシレンツィオさん。彼女泣いてますよ”
”肩でも抱いて慰めたがいいか”
”事案じゃないですか”
”そうだろうな”
羽妖精が襟から出てきた。
”もしかして、私に配慮しましたか? しましたよね!?”
”アルバでは海に出た男を詮索するなと言うぞ”
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