第29話 串焼き
「ガット、好物は魚か」
「にゃーはお肉の方が好きです」
船乗りの相棒といえば猫である。猫のいない船はこれより先二〇〇年ほどもしないと登場しない。殺鼠剤が生まれるまで、猫は船乗りの友であり続けた。
そして船乗りにとって猫と言えば魚である。塩漬け肉は見向きもしない、というのが常識でもあった。ガットはアルバ語で猫であるから猫の獣人だと思ったのだが、違うのだなと考えた。
なお実際には猫は内陸部にも生息していてそちらは主に肉を食べているのだが、シレンツィオにはその知識がない。
「牛肉と玉ねぎはどうだ」
「玉ねぎは食べてはいけないとお母さんが言ってました。牛は……すぅです」
「なるほど。では玉ねぎは避けておこう」
”ところで獣人とは妖精だろうか”
”昔はそうでしたけど、今は違いますね。今の獣人たちは魔力が抜けています。ですから鉄でも大丈夫ですよ”
”それが聞きたかった”
シレンツィオは先程の牛肉を鉄串に刺した。この串、武器にもなる特注品だが、もっぱら肉を焼くのに使っている。誰かの頭に突き刺した串で肉を焼くのに、一度で懲りたともいう。
火を起こして串焼きを作り始める。味付けは塩と胡椒のみでは寂しいと、香辛料も組み合わせた。焚き火の周囲に刺していき、ゆっくり火を通していく。
付け合せは、黒麦で作ったパンである。黒麦は小麦と違って練っても麩質(ルビ:グルテン)ができず、どうしてもふわふわにはならない。目の細かい固いパンになってしまう。また色も黒みがかかる。これを薄切りにして、刷毛に含まれた水を指で弾いてちらした後、火で炙った。
刷毛は後に霧吹きに置き換わるが、この手法は現代でも一部で使われている。
”秋津洲ではパンは主食の扱いですけど。シレンツィオさんの国では付け合せなんですね”
”そもそも主食という概念がないな。あるものを食う、一番大きなものが主菜だ。他は付け合せになる”
”うーん。言われてみれば。秋津洲は慢性食糧難と思ってたんですけど、それでも他地域より穀物を安定的に供給できてたんですねえ”
”そうか”
そう言いながら、りんごの芯を抜いて出来た穴の上に牛酪と乾酪と砂糖、香辛料を軽く。そうしてじっくり焼き上げた。最後は炙った黒パンの上に乗せる。羽妖精の目が輝いた。
”シレンツィオさん大好きです!!”
”大げさな”
”感謝をちゃんと述べるのが夫婦円満の秘訣だって大軍師も言ってました”
”そうか”
”ふむふむ。匂いからして変わった感じですね。”
”うまいとは思うんだが。この香辛料はシナモンという”
”聞き慣れない言葉ですね”
”このルース王国からみるとだいぶ南の島が原産だな。秋津洲から見ると北だ”
シレンツィオはそう言って、申し訳無さそうなガットの頭を撫でた。
「さて、食べるか」
ガットはこの時、背中が見えるほど頭を深々と下げている。耳もお辞儀した。
「ごめんなさい」
「そうか」
”シレンツィオさんは怒ってませんからね”
「あえて説明することか」
”シレンツィオさん、戦うときと顔が同じです”
「表情を変えるのは面倒くさい。まあ、食ってみろ」
下ごしらえで牛串は臭みが取れ、脂身のない赤身肉に適度な油を供給していた。ばさばさとしない肉と、薫り高い香辛料が次の一口にいざなう。ガットが尻尾の先まで感動で震えさせると、速度をあげて食べ始めた。
”串まで食べないように!”
「大丈夫だろう。さて、俺たちも食うか」
一人と一妖精は並んでうまーという顔をした。ちなみにりんごはガットも食べた。こちらも受けが良かった。
”春には苺とか食べたいです”
”いいぞ。苺を使う食い物もある”
”はい。お側に置いてくださいね”
「にゃーはこんなに美味しいものをはじめて食べました」
「そうか」
「お姫様にも食べさせたいです」
「お姫様とはテティスのことか」
ガットは何度も頷いた。串を持って行きたかったのだがうっかり食べたとも告白した。シレンツィオはガットの耳が倒れるまで頭を撫でた。
「テティスにもちゃんと食べさせよう」
”シレンツィオさん、子供には大体親切なんですね”
”そういうものか。俺は子供を相手にしたことがないからな”
”そうなんですか? なにげにモテそうなんですけどねえ”
”まあ、俺の子供は世界中にたくさんいるだろうな。それはそれとして子供を相手にしたことはない”
羽妖精の目つきが険しくなった。
”違うそうじゃない、ですよ”
”子供にモテる、の意味だったか”
”どう考えてもそれでしょう。あと妖精の倫理観的にアウトです、アウトー。港ごとに女とかポリコレ棒でぶっ叩きますよ。私が頑張っちゃいますからノーチェンジでお願いします”
”なんだそれは”
”伝説の魔剣です”
”そうか”
服を乾かすのにいささか時間がかかり、到着は夕方となった。この時代の夕方は午後三時頃になる。
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