第24話 新参のエルフ
それで授業が始まった。今度もエルフ語である。軍の幼年学校ではあるのだが、低学年では軍のことなど教えはしない。今は語彙を増やそうと単語を覚えさせる段階であった。シレンツィオは興味深そうに覚えている。
”こういうの楽しいですか?”
退屈した羽妖精がそんなことを言った。
”楽しいかどうかはさておき、興味深くはあるな”
”興味深いというと、どんなところです?”
”今、植物の名前が書き出されているだろう”
”はい。それが?”
”エルフ語とアルバ語では植物の分類の仕方が異なる”
”なるほど? ちっとも分かりません”
”アルバ語では葉の形で植物を分類して名をつける”
”アルバ語の元になった古代語もそうですからそうですね”
”エルフ語は用途で植物を分類している。葉の形はぜんぜん違うが名前の前半分は薬草を意味するエレが入る”
”そこは薬草ではなく、有用を意味する接頭語です”
”なるほど。薬が有用なことの代表例なわけだな。ふーむ。形から入ってないのが不思議でならん”
”そういうものですか?”
”物事の順序から言って、発見し、まず形で名前がついて、そのうちに有用性が分かる。というのが普通だろう”
”後に名前をつけかえたのではないですか?”
我慢できずにテティスがテレパスを飛ばす。シレンツィオの襟が不満そうに揺れたが、それだけだった。
”仕方ないですねえ。私のシレンツィオさんが知識を欲しがってるんで応答を許します”
”誰が私の、ですか”
羽妖精とテティスが喧嘩しそうなので、シレンツィオが割って入った。
”名前というのは先着順だ。あとで名前をかえようとしても中々できるものではない。方言だ、古語だで名残が残るものだ。中央の学者先生がこうしますと言われても、普通は普及しない”
羽妖精が声を出した。
”学名と現地名ですね。この学校では学名だけを教えているのでは”
”そういう説明が一切ない。ということは……信じがたいが、最初から効果が分かっていたということなのかもしれんな”
テティスと襟の中にいる羽妖精はそれぞれ微妙な顔をしたが、何も言わなかった。
ところでテティスの従者、ガットは授業を受けていない。生徒ではないので受講資格がないのである。休み時間まで部屋の掃除をするという。
猫といえば魚だが、獣人はどうなのだろうな。気の向くままシレンツィオはそんなことを考えた。
それで、一日の授業が終わった。
”シレンツィオさん、牛酪の謎に行きますか、植物名に行きますか”
”どちらも対処としては同じだろう。校長を探さねばな”
”あの性悪幼女はついてきてませんね”
”貴族の子女にはそれなりに付き合いがあるのではないか”
”残念そうじゃないところが高評価です!”
”同年代の友達がいることは残念がるところじゃない”
”いいんです。私が勝手に高評価してるんですから。私もシレンツィオさんに毒されてますねえ”
”そういうものか”
”そうですそうです。責任取ってくださいね。冷たくしたら嫌です”
”分かった”
”絶対シレンツィオさん私のことが大好きですよね”
もう何度目か分からないやり取りをしながら、シレンツィオは考える。
”なあ、羽妖精”
”なんです、シレンツィオさん”
”エルフというのは後になって出てきた種族か?”
”なんの後か、ですねえ”
”人間よりはずっと後、ではないかと思うんだが。具体的にはアルバにあった古代帝国より後、だと思うんだが”
”鋭いですねえ。でも、なぜそれを私に?”
”なにか知ってそうな襟の動きだった”
”普段はあらゆることに無関心なのに。まあ私にとっては特に問題ないのでお話しますが、シレンツィオさんのおっしゃるとおりです”
”そうか”
”どうやって気づいたんですか?”
”植物の名前が一つ。エルフ語は人造というと変だが後になって作られたと思うと謎が解ける。それともう一つはリアン国の連中は俺たちを魔法の使えない劣等人とは言わずに古代人と言うからな。古代人がいるからには現代人がいるはずで、それがエルフ、ということなんだろう”
”シレンツィオさん学者かなにかになった方がよかったんじゃないですか”
”アルバでもニアアルバでも学者は女の仕事だ。男じゃ無理だ”
”性別差別は問題ですね”
”俺は海が好きだったからそんなふうには思わなかったが。羽妖精はどうなんだ”
”羽妖精は基本女性だけです。良かったですねシレンツィオさん”
”何が良かったんだ”
”なんとなくです。ともあれですね。エルフは新参者です。そう指摘するとめちゃめちゃ怒りますけど”
”そうなのか”
”ええ。事実を知ってる妖精などを何種類も滅ぼすくらいには。国だってかなりの数滅ぼしていますよ”
”新参であることはそんなに隠さねばならないものなのか?”
”羽妖精には意味不明なんですけど、そうみたいです”
”ふむ。幼年学校とは色々なことに気づかせてくれるものだ”
”それはシレンツィオさんが特別というか変なだけです”
”俺は気にしない”
”そうでしょうね”
ともあれ、牛酪の謎に近づいたような気がする。いや、そうでもないのか。新参者の種族であれば牛乳の用途も輸入できたはずで、それであれば牛酪もできるはずである。
”一進一退だな”
”今までで一番きりりとした顔になってますよシレンツィオさん”
”そうかもな”
校長室の前に来た。ところが今回も空振りであった。校長は校長室におらず、不在の旨を知らせる札だけが扉にかかっていた。
”さすがに校長ともなると忙しいみたいですね、シレンツィオさん”
”いい女は待たせると言う。また来ればいいだけだ”
そう言ったシレンツィオは一度廊下から中庭に出ている。薄暗い廊下を歩くのに飽きたともいう。この頃ガラスはあっても窓ガラスがないために、廊下はただただ単調なものであった。
例の東屋を見る。いつかやり取りした薄い本の少女が読書をせずに魔法陣を眺めているのが見えた。
シレンツィオは歩く向きを変えて東屋に向かう。少女が顔を上げた後、一瞬怯えた顔をして、すぐに目を見開いた。
「貴方は……」
「シレンツィオだ。その魔法陣は危ないと言わなかったか」
「き、聞きました。でも」
「でも?」
「こ、これを研究すれば、体育が苦手でも学年をあげられると思って」
シレンツィオは少女の顔を見た後、長椅子に座った。茶色の髪は人間でも良く見る。顔立ちは整っているが腕や脚は棒のようであった。痩せすぎである。
”どう思う、羽妖精”
”この子は襟章から四年生みたいですねえ。年齢から見て落ちこぼれですよ”
おそらくこのままでは年齢制限で強制退学になるだろうと、羽妖精は語った。
”というか、同じ説明をシレンツィオさんも聞いてたじゃないですか。入学の時に”
”興味がない”
”なんか本当にオレサマですよね。シレンツィオさん”
”つまり不得意教科克服の活路を見出しているわけだな”
”体育免除なんて制度はなかった気はしますけど、転校という形で救済があるのかもしれませんね。魔法学校とか”
”その学校も面白そうだな”
”シレンツィオさん魔法使えませんよね”
”それがどうかしたのか”
”いーえー”
シレンツィオは少女を見る。少女はすがるような顔をしている。見逃してくれと全身で表現している。
”研究とやら、うまくいくと思うか?”
”いかないと思いますよ。使えるのであればこんな風に放置しないでしょう。でもそうですねえ。研究、というだけなら、まあ結果を出さなくてもいいわけで。安全面については起動さえしなければいいと思いますよ? 個人の保有する魔力じゃまあ無理だと思いますけど”
”そうか。気を使わせたな。すまん”
”羽妖精にあやまるのはガーディさまとシレンツィオさんだけです”
”世の男はつまらんのが多い”
シレンツィオは少女を見た。
「起動はするな。研究は駄目ではない」
「どこの護衛の方か分かりませんけど、ご主人にお礼を申し上げてください」
よくある勘違いである。シレンツィオは無視した。
「ところでここの食事は合わないか」
「……なぜ、でしょう?」
「痩せている理由の第一は食事量と食事内容だからな」
少女は目をさまよわせた後、少しの怒りを瞳に宿して口を開いた
「……ここの学校で例外なくでてくる塩漬け肉が駄目なだけです」
「りんごはどうだ?」
「高いのであまり食べませんけど……」
シレンツィオは外套からりんごをいくつか取り出して少女に押し付けている。
”なんでも入ってますよね。シレンツィオさんの外套”
”お前も入っているしな”
「そんな……貰えません」
「食べておけ。それともう一つだが、黒麦は大丈夫なのか?」
重ねてのシレンツィオの質問に、少女は困惑した表情になる。
「……大丈夫です、けど」
”牛酪の出番ですね、シレンツィオさん”
”そうだな”
やる気もさらに出るというものである。この少女を太らせようとシレンツィオは考えた。この当時、牛酪を大量に使ったクッキーは食の細い人間を太らせるのに最適と信じられていたのである。
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