第20話 へんたいへんたいヘンタイ

 シレンツィオは自室に帰ると表情を変えず、喋らなくなった羽妖精の対応を始めている。

 そもそも、なぜ黙ったのか。

 シレンツィオはいつも通りに大抵のことは何も気にしていなかったが、羽妖精としては名前を尋ねることについて騙していたという引け目があるようである。

 問題は気にするなと言っても気にしてしまっていることである。こうなると気にしていないと何度言ったところで意味がない。シレンツィオの気持ちの問題ではなく、羽妖精の気持ちの問題である。

 さてどうするか。食べ物でつられてでてくるかと思いきや、昼の様子からしてそういうこともない。ほっておくかともちらりと思ったが、それはそれで目覚めが悪い。結婚だの契約だのはさておき、羽妖精のことは嫌いではないのである。

 考えるうちに日は傾き、夜になっていた。近い方の月が満月で、灯りには困らないのが幸いである。これが新月だと暗すぎて料理することも難しくなる。

 シレンツィオは考える。

 北風でいくか西風でいくか。船乗りにしか分からない言葉である。一応両方を準備するか。

 シレンツィオは北風案として、虫を燻すための草を出した。虱や蚤を一掃する船乗りの必需品である。これがないとまともに寝れないともいう。

 少し考えて、西風案も出すことにした。煙で燻しだすのもどうかと、今更思ったのだった。西風案は地図である。

「羽妖精の生息域はアルバの東、迷信深い島々か、南の亜大陸の更に南、秋津洲だな」

「迷信深い島々の羽妖精は羽妖精を隣人と呼ぶ人間に守られているものだ。となると、ここ、秋津洲か」

 秋津洲とは古くは蜻蛉洲と書く。古くは蜻蛉をアキズと読み、それに適当な表意文字をあてたものである。そのまま、蜻蛉の形をしていると言われるしまである。

「まあ、一〇〇日もあれば帰れそうだな」

 そう言ったら、襟から羽妖精がでてきた、恨みがましい目つきであった。というよりも泣きそう。いや、いま涙が落ちた。

「そこまで嫌わないでも勝手に死にますから放って置いてください」

”人聞きの悪いことをいうな。こっちに連れてきたのを悪いとは思っているから、帰れるようにしてやろうと思っていただけだ”

”結構です”

 ぷいっ、と羽妖精は横を見た。西風作戦は成功である。シレンツィオは喜んだが表情にはなんの変化もない。

”そう言うな”

”私が嫌いなら嫌いと言えばいいじゃないですかばかー!!”

”そんなことは言ってない”

”エルフを私の家に入れようとしてたくせに”

”やはり俺の外套を家代わりにしていたか。まあそれはさておき”

”全然っ、さておきじゃありませんよ! エルフは最悪で最低なんです。それなのになんです。お花さん一号と二号まで食べさせるなんて!”

”花茶とパスタのことか”

”そうです”

”名前を勝手につけるな。家具にしてたのか”

”寝る時に抱きついてました”

”まあ、あまり寝心地はよくなさそうだな。良いものは別途探してやろう。それでだ”

 なんです、と目で語る羽妖精に、シレンツィオは尋ねた。

”それでどういう指示だか指令だかを受けてきたんだ?”

 シレンツィオの言葉に、羽妖精の動きが止まった。そのままシレンツィオはテレパスを飛ばした。

”俺もバカではない。俺を狙っているだろうというのは、だいたい想像がついていた。てっきり誘われるなら西方三獣国アリストテレスかスパニアだと思ったんだがなまさか秋津洲とはな。グランドラ王が羽妖精を使うなど聞いたこともないので、おおよそイントラシアの大軍師かなにかだろう。違うか”

 羽妖精は黙って服を脱ぐと畳んで床に置き、全裸になって空中土下座した。

”そのとおりです。私はイントラシア王立妖精空軍IRPAF特別大隊第三国工作班の軍曹でありました。今も忠誠はイントラシアにあったと思っています。任務あたって名前は捨てました。”

”なるほどな。羽妖精を軍に使うか”

”あの、口答えが許される身ではありませんが、一つ申し開きをさせてください。イントラシア妖精空軍は羽妖精の意思で自発的に設立されたものであり、ガーディさまは一切関係ありません。関係ないのです。それだけは、それだけはご理解ください”

”ふーむ。それをわざわざそう申し立てる理由はなんだ”

”シレンツィオさ……シレンツィオさまの性格から考えて、ひどく怒ると思いました”

”誰にだ?”

”ガーディさまを”

”分かった。大軍師は一旦置いて置こう”

 シレンツィオは大軍師への殺意を棚に上げ、一度考慮から外した。目の前の羽妖精と自分のことに関係はないと思ったからである。

”その上で、羽妖精が政治をやったところで俺には関係がないし興味もない。ただ、悪いところまで人間の真似はしないでいいと思うがな”

”……それが怒る、だと思います”

”そういうものか”

”はい”

 羽妖精は土下座のまま、喋りだした。

”愚かにもアルバ国は自国の至宝、最強の宝剣である大艦長、シレンツィオ・アガタを手放しました。私の受けた任務はそれの取り込みです。取り込みでした”

”それ以外にもあったのではないか”

”……はい。北大陸側のエルフにつくならば、死を、と。これは妖精空軍の決定です。これもガーディさまとは一切関係ありません”

”そうか”

”言い訳にしか聞こえないと思いますが、私は殺そうとは思っていません……とても殺せません”

”そうか。いや、何も言わないでもいいぞ”

”言わせてください。言うだけ言ったら鉄の短剣に抱きついて死にますから”

”いや、死なんでもいい”

 シレンツィオはわずかに眉を下げた。彼にしては珍しいことであった。

”お前が何を考え、どんな狙いを持っていようと、俺には関係ないし、興味もない。俺を殺したいなら殺せばいいのだ。ただし反撃はする。イントラシア王立妖精空軍だろうと大軍師ガーディ・タウだろうと同じことだ”

 羽妖精は地面があれば額を押し付ける勢いで空中土下座している。

”私たちは、いえ、私はシレンツィオさんが深く傷ついていることに気づいていなかったのです”

”前にも言っていたな。それは”

”はい。シレンツィオさんは傷ついています。そんな人を戦いに巻き込むのは、酷いことだと思いました”

”自覚もなにもないが”

”捨て鉢に見えます。なにもかも”

 シレンツィオは生まれてこのかたずっとこうだったんだがと思ったが、テレパスにはしなかった。誤解を解くのも面倒くさいし、誤解を解いて羽妖精にしつこく勧誘されるのも面倒くさいと思っていた。シレンツィオにとって重要なのは羽妖精がいる生活も悪くないだけであって、それ以外に特に興味はなかった。怒りどころか共感性まで母の腹に置き忘れていたのである。

 シレンツィオの沈黙をどう思ったか、羽妖精は顔をあげた。

”私がそんなことを言う立場にないのは分かっています。ですが、この言葉に嘘はないことを命を持って証明します。ですから……”

”ですから?”

”シレンツィオさん、そんなに世界に絶望しないで”

 妖精は激しく泣いた。シレンツィオはというと、これがまんざらでもなかった。もとより女嫌いではない。そしてシレンツィオに限っては、嫌いではないはだいたい好きであると同じであった。

”女に泣かれるのも悪くない”

”何言ってるんですか変態ですよ”

”そうかもな。とはいえ泣き止め。いつまでも泣かれては美しい顔が台無しになる。それに俺が傷ついているというのであれば、俺を癒やせばいいだけではないか。なぜ死ぬ”

”世の中はシレンツィオさんが思うほど簡単ではないんです。羽妖精ですらそうです”

”具体的にはどういうことだ”

”私は自分の忠誠を裏切り、深く傷ついているシレンツィオさんに追い打ちをかけるように裏切っていました。もはや生きてはおれません”

”そうか”

”はい”

”とはいえ、羽妖精のいない生活というのも不便なものだ。なにせ口を動かすのが面倒くさい”

”そこは嘘でもいいから寂しいとか言うべきです”

”寂しい”

 うう、と羽妖精は怯んだ。目がわずかに泳いだ。ずるいと思ったのは間違いなかった。

”それに忠誠を違えることもなかろう。俺はエルフの味方になる義理もないんだから殺す必要もない。ただ勧誘に無限に時間がかかっているだけで別段裏切りでもなんでもない。お前はただ俺を癒やせばいい。任務が増えた程度に思えばいいのではないか”

”悪魔みたいなこと口走ってますよシレンツィオさん”

”物は言いよう、心の持ちようだ”

 シレンツィオはそう言って、羽妖精を見つめた。

”俺を癒やせ”

”絶対絶対私のこと大好きですよね。シレンツィオさん”

”まあまあだな”

”嘘でも好きだと言うべきです”

”お前は嘘が嫌いだろう”

”言い直します。シレンツィオさんは単に意地悪なだけです”

”そうかもな。ところでなぜ服を脱いだ?”

”服は妖精と主人の雇用関係を意味するものです。それを脱いだというのは関係の解消を意味します。私なりに筋を通そうと思いました”

”そうか。裸も悪くはないが、自分が買った服を着せるのもそれはそれで楽しいものだ。着てくれ”

”絶対私のこと大好きですよね。シレンツィオさん”

”それでいいから”

 羽妖精は顔を真っ赤にして照れて横を向いた。

”羽妖精を口説く人間なんて変態ですよシレンツィオさん”

”口説いてはいないだろう。これぐらいで口説きとか言われたらアルバの男は全員が色男だ”

”ラスボス第二形態があるぞとかいいですから!”

 羽妖精は怒りながら恥ずかしがってハンカチを身に巻こうとした。

”あの、着る前にお尋ねしますけど、一応鑑賞されます?”

”いいな。だが今日は寒い。暖かくなったら、その時にゆっくりな”

”へんたいへんたいヘンタイ”

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