第17話 おじさま好みの悪いエルフ

 ところで幼年学校低学年の昼休みは長い。二時間ほどもある。寮に帰って従者に食事を作らせたりするためである。それまで好き勝手に偏食していた子どもたちを、ゆっくり陸軍の伝統である粗食に慣らしていくための経過措置だった。食材が高すぎるこの地に学校が作られているのも、その一環であろう。昼休みは最終学年では四五分になり、こうなると食堂で皆と一緒に食べるしかなくなる。

 シレンツィオはテティスと歩きながら、昼食をとることにした。向かうはテティスの部屋に隣接する厨房である。普段は使ってないという。

 それどころか、護衛もおつきも見当たらない。女であるという以上の事情があるのだろう。シレンツィオは口にはせずに心にとどめた。貴族の子としてこれでは捨てているも同然である。

 代わりに口にしたのは別のことである。

「食い物に好き嫌いはあるか」

「まともな貴族は好き嫌いを口にできないと思います。名産品を擁する他の貴族との間に、意図しない軋轢を生むことがありますから」

「なるほど。では、普段食べているものはどうだろう。それなら話せるのではないか?」

「黒麦のパンとベーコンを食べます。それと、酢漬けの野菜です。スープになるときもあります」

 酢漬けと言った時にわずかに顔をしかめて小さな舌を見せたのを見てシレンツィオはそうかと言った。好き嫌いを隠し通せていないように見えたが、そこの教育は俺がやらんでもいいだろうと思っている。シレンツィオは貴族になんの興味もなく、価値があるとも思っていなかった。

 それより、エルフもベーコンを食べるのかとシレンツィオは考えたが、この時代、肉を保存食にするにあたっては乾燥させるか塩漬けにするか燻製にするか、あるいはそれらを組み合わせるしか方法がない。また豚の食肉としての優秀さは世界共通でもある。距離にして二万km離れた上に種族が違えど似通ってしまうのも当然ではあった。

「ベーコンには胡椒を?」

「黒いつぶつぶはあの……お手柔らかに」

「分かった。ベーコンは硬いのが好きか?」

「か、硬いのもお手柔らかに」

 硬いのも苦手というのであれば、黒麦のパンも苦手に違いない。黒麦はアルバではライと呼ばれていて、元々は小麦に擬態した雑草である。食味は小麦に劣る。しかし元が雑草のため荒れた土地でも良く採れ、畑から小麦を駆逐してしまうことも度々だった。

 とはいえ、その作りやすさというより駆除の難しさから、最初から小麦を諦めて黒麦を作る農家もたくさんあった。

 シレンツィオはそれとなく身構えているテティスを見て、考える。

 なるほど。要するに子供むけの料理だなとシレンツィオは頭の中で献立を組み立てる。いつぞや作った肉団子を出せば喜ばれるだろうが、ひき肉を作るには時間がかかりすぎた。

 そこでシレンツィオが献立に選んだのは、アルバ軍の強さの秘密とも言える乾生地を使った料理である。麺などに使う生地を切ったり整形したあとで乾燥させたものであり、アルバやニアアルバでは生地を意味するパティスティーリアを縮めてパスタと呼んでいた。この言葉、大変に大雑把で乾燥させても非乾燥でもパスタ、菓子に使う生地でもパスタという。

 パスタには長いものもあるが普段食べ慣れない者にとっては食べるのが難しいものでもある。それで短いものを使うことにした。花の形をかたどった色とりどりのパスタで、これを茹でて使う。

 パスタは本来海水を用いるが、今回は海水と同じ濃度になるよう塩を入れた。ついでに塩漬けの非加熱ハムを料理用のナイフで薄く削った。

 味付けは植物油ににんにく、唐辛子を入れて香りを引き出し、胡椒と刻んだ香草を入れつつ茹で汁を入れて乳化させたソースである。アルバではアーリオオーリオペペロンチーノといい、順ににんにく、植物油、唐辛子を意味する。材料名を並べただけなことから分かる通り、厳密には料理とみなされてはいないのだが、船乗りは良く作った。手軽だったのである。

「できたぞ」

「随分と早いのですね?」

「そうか?」

 花の形のパスタと塩味を強く感じすぎないように薄く切ったハム、刻んで乗せられた香草の香りに、テティスの顔が綻んだ。

「食べていいぞ」

「いえ、でも招いた主人が先に食べないと」

「なるほど。そういう風習があるのだな」

「風習というか貴族の習慣ですね。毒殺されぬように、という」

「嫌な習慣もあったものだ」

 ニアアルバの貴族社会にもそういう風習があるのかなとシレンツィオは思ったが、まあ無視しようと思った。根本的に他人に合わせることに意義を見いだせないのである。

 シレンツィオが匙で花の形のパスタを口に入れると、弾力のあるパスタの食感に続いて控えめな唐辛子の風味と豊かなにんにくの香りが鼻から抜けた。油は乳化して油感がなく、パスタによく絡んでいた。たまに食べる生ハムが、味に変化を与える。

 唐辛子も胡椒も控えめのアルバ本国準拠の味付けである。テティスは熱心に食べていた。こちらの様子を伺うこともなく、会話すらしないあたりが、この料理の評価だったと言えるであろう。

 こういうのが幸せなのかもしれんなあと、シレンツィオはのんびり思った。

 それなりの量をよそったのだが、テティスはものの数分で完食してしまった。少しばかり残念そうなのを見て、シレンツィオはもっと量を作ればよかったかと思ったが、単に食べ慣れていないだけかもしれないと思い直した。

「人間は……見た目の美しいものを食べるのですね」

「いや、それは単に俺が銅貨代わりに持ち歩いているものだ」

 この時代、全般として通貨不足である。通貨の根底を成す金銀銅がそもそも不足していた。鉄を使えぬエルフが銀や銅を大量に使うという事情もある。さりとて貴金属がないから紙幣に移行できるほど民度も信用構築もなく、結果通貨不足を補うために補助貨幣として多彩なものが使用されていた。乾燥させたパスタはその一つである。見た目の綺麗なパスタはアルバやニアアルバでは銅貨代わりとして広範囲に用いられていた。これは五〇〇年ほど後に発掘された宝箱からパスタがでてくるという笑い話にもつながる。

「財貨になる食べ物って……よろしいのですか。私はいわば銅貨をぱくぱく食べていたのでしょうか」

 ぱくぱくという言葉の響きが面白く、シレンツィオは彼にしては珍しく、少しだけ微笑んだ。

「自分で作っているのでない限り、すべての食い物は銅貨でまかなっているものだ。気にしないでいい」

 感心した様子のテティスに、シレンツィオは言葉を続けた。

「実際のところ、俺の国では普通すぎてよく分からん」

「想像もつかないほど遠い国から来たのですね」

「そういうことになるな」

 シレンツィオはついにでとお茶を入れた。交易で手に入れた小さなガラスの容器の中にテティスに見せた乾燥させた花を入れ、そこにお湯を注ぐのである。しばらくするとお湯にほんのりとした色が出て、花らしい香りが立ってきた。

「花茶という」

 テティスは身を乗り出して花が開く様子を見た。気に入ったようである。

「きれい。おじさまの国は美について特別な感性をお持ちなのですね?」

「美というか、食い物についてはうるさいな。この茶はお湯の温度管理が難しくて、美味く飲むのに熟練がいる」

「そもそも花を飲もうなんて思いつきもしません」

「そうだな」

 花茶に少しの砂糖を入れて、テティスに出す。砂糖を入れたのは配慮である。甘ければたいていの子供はうまいと感じるからだ。実際テティスは両手で椀をもって、うまそうに茶を飲んだ。

「宮廷でもきっとこんなに美しい食べ物はないと思います」

「それは言いすぎだと思うが、少しは表情が明るくなったな。良いことだ」

 こういう時にすぐに反応が来るはずの羽妖精からの反応がないのは少し残念ではあった。シレンツィオは心のなかで苦笑して自分が羽妖精がいることに慣れていたなと思った。

 明るくなったと言われて少し恥ずかしそうなテティスを見て、シレンツィオは声をかけた。

「俺は人間なのでそんなに長くは生きられないだろうが、それまででよければいつでもいいに来るといい。テティス嬢が行きたいと思う遠い場所に連れて行こう」

 テティスはシレンツィオをじっと見た後、小さく呟いた。

「おじさまは私を悪いエルフにしたいのですね」

「人は船、人生は航海のようなものだ。船の行き先を決めるのは船長、つまり自分だ。良いも悪いも自分で決めた方が、死ぬ時後悔が少ない」

「結局は後悔するのでしょう?」

「好き勝手にやってもな。そういうことだ」

 シレンツィオがちと子供には難しいか、いや同い年だしなと思っていると、テティスは抱っこをせがむように両手を広げた。

「それならば、私、テティスは高いところから周囲を見てみたいです」

 シレンツィオとしては一生に一度、それもお守りくらいの気持ちで遠くに連れて行くと言ったのだが、テティスはそう取っていなかったようである。シレンツィオは眉をかすかに動かしたあと、心の中で苦笑してテティスを抱きあげて鉤縄を取り出した。

「武器、ですか?」

「いや、道具だ」

 それで窓の外へ投げ出して、屋根のへりに引っ掛けている。耐荷重を確認した後、シレンツィオはテティスを抱えて建物の屋根にあがった。風は冷たいがその分空は晴れ渡り、いつもより青が深く見えた。

 テティスが喋っているが、風が強くて良く聞こえぬ。外套の中にテティスを入れてやろうとしたら外套から小さな手が出てきてテティスの背を押して入ってくるのを拒絶した。羽妖精は外套を自分の家かなにかだと思っているようだった。

 仕方ないので自分の身で風よけになっていると、テティスが大きな声を出した。

「抱き上げてくれるだけでよかったのに!」

「そうだったのか」

 生まれた国が違って文化が違うせいか、行き違いばかりだなとシレンツィオは思ったが、面白かったのでわずかに笑った。風に長い髪をたなびかせながら、テティスも笑った。彼女の場合は涙が出るほど笑った。

「私、おじさま好みの悪いエルフになります」

 そんな話だったのかとシレンツィオは思ったが、何も言わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る