第16話 おじさまと呼ばれた同級生
”ふーむ”
”シレンツィオさん、八歳に混じってその頷きはなんかヤバいです”
”意味が分からんが、疑問に思うことがある”
シレンツィオの疑問とは、落ちこぼれである。家庭教師と違って集団に教えていく以上、要領の悪い子供が落ちこぼれていくのではないかというものであった。
我慢できなくなったか、先程からシレンツィオをちょくちょく見ていたテティスがテレパスを飛ばした。
”留年するから大丈夫ですよ”
ついていけなくなったところから、もう一度やり直しがあるので大丈夫だという。科目ごとに最大八回まで留年することができ、平均で三、四回は留年するという話であった。シレンツィオはなるほどなあとうなずいた後、実力を試すと言われて算術の問題に取り組んでいる。商家の息子で艦隊の補給も面倒見ていたことから流石に間違いようがなく、満点の出来であった。
”さすがです。シレンツィオさん。無双ですよ、無双”
”八歳に混じってその評価はどうなんだ”
”え。でも人間には、この程度もできない人いっぱいいますよね”
教育制度が整っていないこの頃は実際にそのとおりである。シレンツィオはそれもそうかとうなずいた後、羽妖精に問うた。
”この程度というからには、羽妖精は得意なのか”
”お任せください!! 大昔は羽妖精ではなく電子妖精と言われるくらいに得意ですよ。答えを教えましょうか?”
”全部解いて正解までもらったあとなんだが”
”もっと難しい問題でもどうですか?”
襟が胸を張ったところで、テティスが問題を解きながらテレパスを使った。
”そのようなことをするので羽妖精は学校で持ち込みを禁止されているんですよ?”
覗き
”だってしょうがないじゃないですか、自慢したくなるんです”
”商人の計算を手伝ってやれば喜ばれるんじゃないか”
”駄目ですよ。そんなことやれば一生鳥かごか虫かごで計算させられるだけの哀れな妖精にされてしまいます”
”なるほどな。それはありそうだ。羽妖精も大変なのだな”
”大変なんですよ! いつだって。ということで、気の毒に思ったのだったら名前を尋ねてください”
”おやめになったほうがいいですよ。おじさま。羽妖精に名前を尋ねると強制契約されると言われています”
”結婚だろう?”
”いいえ。そんな生易しいものではありません”
しばらく頭の中が静かになった。教師が出来が良いのであれば飛び年と言って学年を飛ばせるので試験を受けるようにと言っている。
”あの……シレンツィオさん……”
”気にするな”
シレンツィオはいつもの調子でそう言ったが、羽妖精はそれから口を開かなくなった。
羽妖精が黙っていると、時は早く進む。邪魔者がいないともいう。どの教科でも最高点を取っている。無双である。もっとも虚しいというか、出来て当然の話であった。人間換算で確かに八歳程度の難易であった。
飛び年というものを重ねて行けるところまで行くかどうするかとシレンツィオが悩んでいると、テティスがおずおずと言った様子で話しかけてきた。
「あの、おじさま、お昼の時間ですけれど、一緒にお食事に行きませんか?」
「それは構わないが、貴族の付き合いがあるのではないか」
八つだろうとなんだろうと貴族には人間関係派閥関係という面倒くさいものがついてくるものである。陸軍ならなおさらである。乗員武器など、積みこめる量が船の大きさで決まっている海軍に対し、陸軍は人を集められるだけ集められ、数の力でどうにかすることもできなくはなかった。だからこそ陸軍は大きな派閥を作り、まずは政治の面で動員力を高めようとする。それはもう陸軍の生まれついた宿命というべきもので、種族の差はない。
長じて陸軍の指揮官になるであろうテティスを、シレンツィオは心配したのである。
「そこは大丈夫です。おじさま。私は活躍することを望まれていませんから」
「男じゃあるまいし」
「え?」
テティスはちょっと何を言っているのか分からないという顔をした。ここは海でもないし人間の国でもないと羽妖精に言われたことを思い出し、シレンツィオは苦笑して説明をすることにした。
「俺の国では女が貴族や商家の当主をやっていてな」
「ルース王国とは逆なのですね……」
「そうなのか。ではまあ、そういうことだな。俺の国では男がルース王国の女のような扱いだ。なるほど。そうだったのか。自分で言っておいてなんだが、この国は男が貴族の本流なのだな。この学校の校長は女性だったんだが」
「例外も例外だと聞いています。大昔に戦争で王家に劣らぬ大活躍をしたのだとか。それでもこの程度なのです」
テティスは幼年学校の校長が女エルフの出世の限界であると示した。学者にも士官学校の教官にもなれないとも。
「なるほどな」
大艦長が男爵家に叙されるようなものかと、シレンツィオは理解した。そう思うとあの校長、エムアティに親近感が湧く。
シレンツィオが一人納得していると、テティスはおずおずといった様子で尋ねてきた。
「あの、女性が貴族の当主って、それでうまく行くのでしょうか」
「まあまあだな。少なくとも魔法が使えなくてもエルフに滅ぼされてはいない程度にはうまくやっている。もっとも、元々はルース王国と同じで男が権力者だった時代もあったらしい」
ところが、アルバは土地が貧しい上に面積も少なかった。そこで糧を海や、海の外に求めるしかなかった。海洋国家アルバの始まりである。この時船には男が乗り、女が残って土地や子を守った。
「それが歴史と伝統になったのですね?」
「そうなるな。海というところは恐ろしいところだ。男はすぐ死んでしまい、歴史や伝統の紡ぎ手は女になった」
「陸に残ろうとした男性はいなかったのでしょうか」
「いた。が、それでは家が豊かにならない。どんどん廃れていった。なにせ海にでなければ遺跡しかない。それがアルバだった」
「なるほど……」
「ともあれそれで女が当主になるのが普通になった。こうなってくると男が政治的活躍をすると非常に面倒になる」
八歳のテティスには言えないが、男の貴族がどんどん胤をばらまいて自分の子を束ねる形で大領地にする可能性がある。それでは困ると、いつの頃からか女たちの間で協定のようなものが結ばれた。男の貴族を夫には迎えない、男の貴族とは子をなさないという不文律である。これを破ると周囲領地から攻め滅ぼされる。
「人間の国に生まれていれば、私は幸せだったんでしょうか」
そう呟くテティスに、シレンツィオは片目を瞑って見せた。
「生まれた国は選べないが、行く国は選べるぞ。現に俺はここに来た」
テティスはシレンツィオの表情を伺おうとした。
「それは……この国で出世をなさるという意味ですか?」
「まさか。出世より遠くに行くほうが俺の趣味だな」
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