第15話 大講堂

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 それで数日が過ぎた。新学期の始まりである。

 生徒たちが続々集まってくる。シーリア海で建造される船の中で一番大きなガレオン船の乗員で二隻半、一〇〇〇にも及ぶ結構な人数にシレンツィオは驚いたが、実際には従者や召使いも含まれるので、全体としての数はさらにその四倍に及んだ。この時代、四〇〇〇人という人数自体は特筆することはないが、場所を考えるとシレンツィオが驚いてもおかしくない。この人数があの山道を通ってきたと思えば良い。

”食料が更に高くなるな”

”冬ですしねえ”

 シレンツィオと羽妖精は頭の中でそう会話した。

 この人数が一度に入る講堂を、大講堂といい、幼年学校では一箇所だけあった。子どもたちが並ぶ中、一人だけ飛び抜けて長身のシレンツィオがいるという様はさぞかし違和感があっただろう。貴族などが派遣してくる保護者の代わりになる見届人が、何度もシレンツィオの姿を見直すような有様であった。

”シレンツィオさん注目されてますよ! 良かったですね。良かったのかな”

”エルフにもちゃんと違いが分かる者がいたんだな”

 警備兵を除き、ここに来るまで誰にも何も言われず子供扱いされていたので、シレンツィオはそういう感想を口にした。

”そりゃーまあ、あの校長でしたっけ? あの女の人が変なのでは”

”そうかもな”

 しかし本当にそうか。目の悪い者が一国の軍関連施設を取り仕切れるものであろうかと、シレンツィオは思ったが羽妖精と話をしても答えなど出てくるわけでもない。うやむやのまま、入学式と新学期式典を合わせたものが始まっていた。シレンツィオは新入生である。新入生はいずれも八歳であった。

 エルフの年齢で八歳は人間で言うなら三二歳である。これでも昔よりはだいぶ育つのが早くなったという。シレンツィオから見るとエルフの八歳は人間の八歳となんら変わらないように見え、具体的には列を作って並んだり、等間隔になって歩いたりするのが苦手な子もいるように見えた。

 必然としてシレンツィオは、それらの世話をした。言われてやったのではなく、見かねて自発的にやったのである。

 途中校長の話を聞いている途中で力尽きて寝る子を数名抱え、最後は中々面白い姿になっている。

”シレンツィオさんのそういう姿、なにか好きです”

”似合わないと言ってもいいんだぞ”

”似合わないのがいいと思うんです”

”そういうものか”

 式が終わると数名の従者が駆け寄ってきた。それぞれに子どもたちを引き渡し、教室へ向かう。シレンツィオはこの幼年学校を神学を研究する大学のようなものと思っていたが、実際はそれとだいぶ違っていた。幼年学校は、現代で言うならば小学校、中学校により近い形である。違いと言えば黒板が存在してないことくらいである。これはまだ黒板が発明されていないことによる。

 シレンツィオは背の高さの関係で一番後ろの席になる。

 そこに並べられた椅子と机を見て、これは無理だろうと思ったが、椅子を使わず座布団を敷いて座ることでなんとか高さは調整できそうなのが分かった。問題はエルフの国に座布団がないことである。なにせ、対応するエルフ語からしてない。

”作るか”

”お手伝いしましょうか?”

”とはいえ大きすぎるからな”

 猫の手と羽妖精の助けと言えば慣用句で役立たないことを示す例である。座布団は寝具の布団ほどではないにせよ、羽妖精からすれば十分すぎるほど大きかった。シレンツィオはそこを配慮したのである。

 羽妖精は得意そうに甘い声で囁いた。

「やっぱり私のこと大好きですよね?」

”どうかな” 

 教室の中には見知った者もいた。テティスがいたのである。確かエンラン伯爵ゆかりと言っていた。扉を叩く代わりにこんこんと言う少女である。

「おじさま…… 違った、シレンツィオくん?」

「おじさまでいいぞ。実際おじさまだ」

「そうなんですね? エルフとええと、人間では感覚が違うのですね」 

 エルフ語でエルフのことを人間といい、我々の言う人間のことを劣等人、または古代人という。実際テティスの言葉ではそれらの言葉を使っているが、話がややこしくなるので以後エルフはエルフ、人間は人間と書く。ただ正しくはそうなっているというのは覚えておいていただきたい。この言葉の認識の違いが過去やこれから起きる大戦争の遠因になる。

「そうだな」

「わかりました。ではおじさまとお呼びします」

 テティスはそう言って花がほころぶように笑った。将来はさぞかし美人になるに違いない。その姿を見るにシレンツィオにはいささか時間が足りなそうではあるが、特にそれを残念とは思わなかった。見通しだけで十分というものだ。

 テティスはシレンツィオの横に座った。

「わたくし、今思ったのですけれど、なぜ人間がルースの幼年学校に入ってきたのですか?」

「一度見てみたくてな」

「それはいい話ですね。わたくしも、家の事情がなければどこか遠くの学校に行ってみたいと思っていました」

「ほう」

 家の事情とはなんだろう、とは思いもしないし顔にも出ないのがシレンツィオである。船から降りたといっても陸地のことに興味が出たわけではない。

 テティスは少し微笑んだ。

「おじさまはわたくしの事情を知っているのですか?」

「いや、知らない。そうだ」

 シレンツィオは持ち歩いている香草の袋から一つを選んで取り出した。中から取り出したのは花である。乾燥させた花だった。幾重にも花弁が重なる花で、色は黄色と橙の間くらいであった。この花、大昔のアルバではありふれた香草だったのだが、現在ではアルバ本国では取り尽くされて絶滅しており、ニアアルバでもかなり限られた場所でしか取ることができないものである。

「綺麗なお花ですね」

「これは茶だ。綺麗なのだが、調理法を間違えると台無しになる」

「どんなふうになるのですか?」

「苦味が出る。家の事情も身の上話も同じようなものだ。事情もしらんのにいじろうとすると不味くなるし、最悪バラバラになるな」

「ばらばらになったら、綺麗ではなくなりますね……」

「きれいなまま調理する方法もある」

「わたくし、とても興味があります」

「今度見せよう。ともあれエルフの家の事情は俺には分からない。どう付き合えばいいのかは教えてくれ」

「はい。わかりました。おじさま」

”なーんか、幼女に甘くないですか、シレンツィオさん”

”いつもどおりだ”

”だったら、私は特別扱いしてくださいね”

 シレンツィオは返事をせず、くすくす笑っている隣のテティスを見るだけだった。

 教師が入ってきて授業が始まる。シレンツィオの場合、机の高さがあってないが今日一日は我慢するしかなさそうだ。

 陸軍の幼年学校というのでどんなものかと思ったが、学ぶ内容は初等、中等教育として家庭教師を呼んで教える内容とあまり変わらないようであった。専門的な軍の教育などはまったくないし、貴族政治のいろはもない。

 単純に、家庭教師に集団を面倒みさせようというのが幼年学校かとシレンツィオは理解したが、実際それは間違っていない。ただこの方式はエルフの平民や準貴族層にも教育を与えるという意味で画期的だった。分厚い人材層の構築に成功しているのである。


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