第12話 焼きリンゴ

”鎧結びをしているが、覚えるか?”

”いえ、結構です”

”だろうな”

 シレンツィオは不機嫌になった様子もない。羽妖精と言えば空中で腕を組んであぐらをかき、横に転がったまま空中静止するという離れ業を見せた。

”どうすればシレンツィオさんを攻略できるんでしょうね?”

”攻略してどうする”

”そう言うと思っていました。もういいです”

”そうか”

 そろそろ夕刻である。シレンツィオは夕食を作っている。なお、ニアアルバの夕刻とは日の入りの三時間前からを言う。なのでかなり日の高いうちから夕刻ということになる。灯りの乏しい時代はこの区分が普通で、今も気象用語としての夕方の定義などに名残がある。

 シレンツィオは寮の庭に出ると竈を作って火を焚いた。この時縄の端をほぐして焚付にしている。火が無事に増えた後はハムを串に刺してゆっくり回し焼きしながらスープ代わりに香草で茶を立てた。これに加えて網を持ち出し、芯をくり抜いたりんごに半乾酪を入れて焼き出した。りんごにシワが入り半乾酪がとろけだすと、なんともいい匂いが漂い始めた。

 襟から羽妖精が顔を出した。

”りんごとクリームチーズ! 絶対美味しいやつじゃないですか!”

”だろう?”

 しかし警備兵がやってきてシレンツィオは怒られた。料理は厨房でやれというお小言である。シレンツィオはそうなのかと驚いた。

”え、今のは驚くところですか?”

”艦長と言えども厨房に入るには料理人の許可を得るものだ。普通なら絶対にやらない”

”ここは海じゃなくて人間の国でもないんですけど”

”そういえばそうだな”

 警備兵はいい感じに焼けているハムを羨ましげに見た後、次回からは気をつけるようにと言って去っていった。シレンツィオは無表情で見送った後、乾酪を火で炙ってパンに挟んだ。これに焼いたハムを挟んで食べるのである。肉厚のハムがちぎれる音は幸せの音であった。

”うまい”

 残念ながら羽妖精は肉を食べないのでその感想に同意しなかった。小難しい顔で焼けていくりんごを見て、顔を上げた。

”良い焼け具合です! りんご食べましょうよ。シレンツィオさん”

”切り分けるから先に食べていていいぞ”

 羽妖精はシレンツィオの鼻先まで近づいた。祈るような顔でシレンツィオを見ている。

”絶対私のこと大好きですよね、シレンツィオさん”

”これくらいで大好きだったら、今頃大好きだらけだな”

 むぅと言う顔をした羽妖精だったが、りんごを食べると笑顔になった。

”美味しいですよシレンツィオさん!”

”酸っぱいやつだが火をかけるとこのとおりだ”

 ちなみに、酸っぱい果物は船乗りの必需品である。壊血病対策に必要だからである。古くはこの果物の種類でどこの国の出身か分かったものである。アルバではりんご、ニアアルバでは檸檬とりんごが船乗りの間で食されていた。この時代、無用の果物という別名がある檸檬だが、船乗りに限れば大変に愛食されていた。

 一人と一妖精でうまーと楽しんでいると、暴力的な匂いに負けて一人の少年がふらふらと寄ってきた。この際りんご一つをまるごと抱えて妖精が襟に逃げたので、シレンツィオの首は大変なことになっている。表情豊かな人物であれば飛び上がって熱いと騒いでいたであろう。

「ソンフランか」

 シレンツィオがそう言うと、マクアディ・ソンフランはそうだよと言いながらシレンツィオの前に座り込んだ。長い耳まで垂れている。そして不満そうに声を出した。

「なんだよそんな匂いさせて、お腹空くだろう?」

「食事は取ってないのか」

「宮廷料理を食べさせてやるとかで待たされてるんだ。あと三時間は食べられないみたい」

「あぁ」

 シレンツィオが食べるのは夕食。マクアディが誘われたのは晩餐であろう。後者は必然として日が落ちた後に灯りをつけて食事をするのでその分金がかかっている。当時庶民は夕食を食べ貴族は晩餐というふうに分かれるのが普通であった。灯りに使う油の価格が庶民の一日の日当に迫るためにそのような状況が起きている。この状況が改善するまでにはまだ二〇〇年ほどかかった。

 大変だなとシレンツィオがハムを食いちぎると、マクアディの腹が盛大に鳴った。エルフでも腹は鳴るのだなと、シレンツィオは思った。

「分けてもいいが……」

「本当!?」

「ああ、ただ、晩餐の方がうまいと思うぞ。腹を空かせて晩餐を食べた方がいいんじゃないか」

 それはシレンツィオの忠告だったが、マクアディはハムの焼ける匂いを鼻いっぱいに吸い込んだ後、目を見開いた。

「無理、日の入りまで待てない!」

 普段夕食を取ってるのならそうだろう。シレンツィオは納得して、調理用ナイフでハムを削ると、新たに串に刺した。

「焼き加減はどうする」

「俺、カリカリしてるぐらいが好きだな」

「厚めだから中は柔らかいがいいか」

「むしろそういうのがいい」

「そうか」

 それで肉を焼き始めたところ、竈の火が爆発した。咄嗟にシレンツィオはマクアディをかばって後ろに跳んでいる。

”着火の魔法ですよ、シレンツィオさん! 初級魔法ですが攻撃に使えます”

 羽妖精の警告を聞きながら攻撃者を見る。探すまでもなくゆっくりと近づいてくる黒服、執事風の年のいった銀髪のエルフ。片手剣を手に無造作に歩いてくる。

「マクアディさま、お食事前に間食なさるとお嬢様が悲しまれます」

 エルフ語でそう言った後、シレンツィオを見て顔を歪めた。いるはずのない場所で仇敵を見つけた顔であった。

『あぁ……?? なんでニアアルバの悪鬼がここにいる?』

 こちらはだいぶ崩れたアルバ語であった。マクアディが言葉の意味をわかりかねて左右を見る中、シレンツィオは立ち上がって銀髪のエルフを見返した。

『ニクニッスで負けすぎてこっちに逃げたのか、それがいい。せっかく見逃してやったんだ。長生きするがいいだろう』

 銀髪のエルフの目に殺意が宿った。

『殺すぞ糞野郎』

『やってみろ』

「二人は知り合いなの?」

 マクアディの声に銀髪のエルフは身を引いた。虫も殺さぬ笑顔を見せる。

「いえ。知り合いに似ておりましたが、人違いだったようです」

 そう言って再度シレンツィオに顔を近づけた。

『今夜、この場所だ。殺してやる』

 笑顔になって恭しく頭を下げる。そのままマクアディを担いで銀髪のエルフは去っていった。残されたのは盛大に燃える竈と、焦げたハムだった。

”ハムを粗末にするものは自分がハムにされても文句は言えない”

”エルフを食べるんですか!?”

”まさか。そういう言い伝えだ”

”商人の?”

”いや、オークという種族のだな”

”オークは食べないほうがいいですよ。確かに貪欲なところは豚さんに似てる気もしますけど”

”そうなのか”

”でも、人形種族を食べるなんてゴブリンだってしませんよ。そんなこと”

 ゴブリンとは緑の子を意味する小柄なオーク種で、神話の時代からオークの幼体成熟種ネオテニーであると信じられている。もともとは闇の子を名乗っていた種族だったが、この頃秋津洲ミドルアースに起きた政治的激変によって急速に名乗りを変えつつある。

”そう言えば、エルフは羽妖精を串焼きにしたり佃煮にするとか言ってたな”

”はい。でも、私たちはエルフを佃煮にしようとは思っていません。せいぜい殺すだけです。文明妖精なので”

”なるほど。エルフを敵視していたのは復讐心からか。すぐ殺せと言うから何かと思った”

 襟から出てきて羽妖精は心配そうにシレンツィオを見た。小さな手をシレンツィオの頬に当てる。

”それだけじゃないんですけど。すみません。言い方を気をつけます”

”なにかあったか”

”……わかりません。なんとなく。シレンツィオさんが怖かったので”

”アルバでは男はみんな狼だと言うな”

 シレンツィオは竈を片付け、火の始末をつけると部屋に戻った。そのままいくつか縄を編むと、日暮れとともに寝た。外套を敷布団代わりに釣床の上において、帽子を目深に被って寝ている。その日は羽妖精がシレンツィオから離れず、シレンツィオの顔の横にくっついて寝た。

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