第10話 寛大な女

 事案はさておき、シレンツィオは取り敢えず、寝具を買いに行っている。この小さな寝台では太ももから先が突き出てしまうので、それを最初に改善しようと思ったのだった。

”なんで寝具を買いに行って道具屋に向かうんですか。シレンツィオさん。寝具が売ってあるのは寝具屋ですよ”

”寝台は趣味に合わない”

 彼が買ったのは縄である。これを随分と買った。シレンツィオは縄にうるさく、品物選びで羽妖精がうんざりするほどであった。

”なんで200mも買うんですか、そもそも運べないじゃないですか!”

”馬車で届けてくれるそうだ。次は食材だな”

 現在寮の食堂は休みであり、新学期が始まる新年までは、自力で食事をどうにかする必要があった。

 彼は真剣そのものの顔で食材を買い漁り、高いと顔をしかめている。この街に至るまでの経路上の道が細く険しいために、輸送費がかなり上乗せされていたのである。

”良くない傾向だ”

”シレンツィオさん良かったですね。私の食費はほとんどかかりませんよ。やりましたね?”

”食費の問題ではない。食事内容の問題だ”

”意外に美食家ですよね、シレンツィオさん”

”陸にいる間にうまいものを食べないでどうする”

”もう船乗りじゃないんだから……って言っちゃ駄目なんでしょうね。すみません。お詫びに花嫁になってあげます”

”気にするな”

”今の本気で言ってますから”

”だろうな”

”名前を聞いてくれません?”

”聞かない”

 頭の中の会話が途切れた。シレンツィオは難しい顔で食材を吟味し、買い付けたあとで小物屋に寄っている。

 その後寮に戻ると、床の上に座った。襟から羽妖精が出てきた。そして恨みがましい目でシレンツィオを見るのである。

”あー。なんでこんな美少女の頼みを聞かないかなあ。エルフなんかよりずっといいのに。あとあいつらと違って私は本物幼女ですよ。生まれて六ヶ月です。年下好きのシレンツィオさんとしてはぐっと来ませんか。ぐっと”

”その割には言葉が達者だな”

”寿命が短い分、記憶の継承能力があるんですよ。つまり私は大体いつも幼女です。良かったですねシレンツィオさん。最高じゃないですか。幼妻。ひゅーひゅー”

 シレンツィオは小物屋で買ってきた白いハンカチを取り出した。金の刺繍入りである。さらには銀のブローチも取り出した。

”これをトーガのように巻くのはどうだ”

 羽妖精は機嫌を直すかどうか迷った顔をした。半眼のまま喋り始める。

”ご機嫌取りですか?”

”約束を守るだけだが?”

”もう一声”

”甘いものを作る”

”子供あやすみたいで腹立たしい気もしますが手を打ちます。良かったですねシレンツィオさん、私が寛大な女で”

”寛大というより、世間一般では面倒くさい部類だと思うぞ”

”うーん。そうなんですよねえ。若干それは私も思っています。でも仕方ないじゃないですか、シレンツィオさんが頑固だから。名前を聞かないと始まらない物語だってあるというのに”

”始まらんでもいいだろう。俺もいい年だ”

”そうおっしゃるのなら、さっさとこのエルフの学校から出ていくのがいいと思います。連中に付き合っていたら多分、二、三回学年あがったところでシレンツィオさんの寿命が尽きてしまいますよ?”

”だろうな”

”面白がってます?”

”ああ”

”そういうの、変態と言うんです”

”他人が何を言おうと知ったことか”

”はぁぁー、なんでこんな人が”

”こんな人が?”

”なんでもありません。どうですか?”

 羽妖精はハンカチの服を着こなして見せた。妖精から見ると大きすぎるブローチは腰につけている。少し離れて飛びながらくるくる回ってみせた。

”似合うぞ。一輪の白百合のようだ”

”口説いてます?”

”正直な意見を言っただけだが”

”女の敵め。でもお礼は言ってあげます。私、寛大な女なんで”

”その調子だ。なにかに固執して生きていくことは苦しみでしかない”

 羽妖精は近づいてシレンツィオの顔を観察した。

”それは実体験ですか”

”そうだ”

”心が傷ついてます?”

”どうかな。自分ではそういうことはわからないものだ”

”傷ついてないと言わなかったということは、心のどこかで傷ついているのでしょう。私が癒やしてあげてもいいんですよ?”

”俺を癒してどうする”

”どうするんでしょうね。最近良くわからなくなりました”

 シレンツィオはどういう意味だろうと思ったが、すぐにドアを叩く音に意識を向けた。

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