第9話 テティス・エンラン
シレンツィオはうなずいた後、窓から羽妖精を投げ捨てた。羽妖精は一〇秒で戻ってきた、大変な速さであった。
「ひどい!」
”それについては俺もどうかと思ったが、身体が反射的に動いた”
”またテレパスしてる。私には喋る価値もないというわけですか”
”前も言ってたな。テレパスというのかこれは。これをできるのはお前との間だけだ”
”口説いてます?”
”事実を述べた”
空中を静止しながら、羽妖精は横を向いて顎を突き出し、腕を組んでいる。ちらちらとシレンツィオを見た。
”ふーん。まあ、騙されてやらんでもないですよ。他妖精とテレパスしなければ”
”こんな力を持っている種族が他にあるのか”
”いるかどうかの問題ではないのです。私だけが特別かどうかが問題なんです”
”なるほど。分かった。ではそのとおりにしよう。この力はお前と喋るときにしか使わない”
シレンツィオはそう頭の中で考えた後、まじまじと羽妖精を見た。
”ところで今気づいたんだが、なんで服を着ないんだ”
”最初から裸でしたけど? それともこの抜群ボディに欲情しました? 欲情しました?”
”最近老眼がな”
”近づきましょうか”
”それがちょっと遠いほうがよく見えるんだ。いや、実際にやらんでいい。俺はただ、枕や布団を出せるのなら服を出してもいいだろうと思っただけだ”
”妖精にとって服というのは特別なんです。なんなら服を与えてくれてもいいんですよ?”
”妖精というものは色々面倒くさい掟があるのだな。いいだろう。服を用意する”
羽妖精は空中静止しながらあぐらをかいて顎を手のひらの上に乗せるという器用な真似をした。
”あのですね、シレンツィオさん。そこまでやっといて名前を聞かないのは本当にどうかしていると思うんです。もはや常軌を逸してます”
”服を渡されたことと求婚を同程度に思うのはどうなんだ”
「こんこん」
扉を叩く音を真似たであろう声に、羽妖精とシレンツィオは顔を見合わせた。慌てて襟に隠れる羽妖精。シレンツィオは襟を正した後、どうぞと声をかけた。
扉が開いて、エルフの幼女が姿を見せた。扉に半ば隠れるようにして、こちらを伺っている。流れる金髪が、美しく輝いていた。
「おじさま? ……すみません。可愛らしいお声がしたので新しいお友達が来たのかと……」
「勘違いをさせたのなら失礼。お嬢さん」
シレンツィオは片膝をついて頭を下げた。襟が激しくカンフー動作をしているが、シレンツィオは無視した。
「俺はシレンツィオ・アガタ。今後顔を合わせることもあると思う、よろしく頼む」
「まあ、丁寧にありがとうございます。わたくし、エンラン伯爵家ゆかりのものでテティスと申します」
幼女はドレスの裾を持ち上げて視線を下げる挨拶をした。頭の上に本でも乗っているような、見事な背筋の安定だった。
「恐れ入る」
テティスは目線を上げて、年相応の仕草で周囲を見た。色の薄い長いまつ毛だとシレンツィオは思った。
「あの、おじさまの護衛対象はどこにいらっしゃるのです?」
「護衛対象、というのは良くわからないが、今度寮の人間に尋ねておこう」
”なーんで幼女相手にいままで聞いたことないような優しい声出しているんですか、いやらしい!”
”子供には親切にしておくものだ。習わなかったのか”
”目の前の子は多分シレンツィオさんより少し年上だと思いますけど”
”だったらなおのこと優しくするのが筋だろう”
”オレサマ・フラッグブレイカーの上に年上好きロリコンまで乗ったら設定過積載ですよ。地獄の暴走ダンプカーですよ”
”言ってることは一つも分からんが不満そうなのは分かった”
”エルフなんて足蹴にしていいと思います”
”俺は女を足蹴にしたりはしない。女の腹から生まれたもんでな”
”私を窓から投げ飛ばすのに?”
”過去にこだわるのは趣味じゃない”
驚き顔のテティスが突然くすくすと笑いだした。背伸びしてシレンツィオの耳元に顔を近づける。
「二人だけの秘密にしますね?」
「なんのことだろう」
「寮に羽妖精を持ち込んだら、厳しい罰があるんです」
なんで分かったとシレンツィオが驚く間に、テティスは少し離れた後、後手になって身体を回した。
「あと、年下だったのですね。シレンツィオくん。ふふ。お友達になってくださいね」
そう言ってテティスは走り去った。シレンツィオはテティスの可憐さに苦笑した後、襟に蹴っ飛ばされた。
”何にやけてるんですか。どう見てもあの人テレパシストじゃないですかやーだー!”
”テレパシストとはなんだ。古代語のようだが”
”テレパスを使うのがテレパシストですよ。シレンツィオさん。まずい、まずいですよ。あの糞幼女に我々の秘密と弱みが握られてます。消しましょう、今すぐ消しましょう”
”消すとはなんだ”
”殺して土に埋めるんです”
シレンツィオは諌めるように襟を撫でた。
”散々エルフを殺した俺だから言うんだが。殺しが楽しいのは相手が強敵だったときだけだ。後は作業だ”
”作業すべきです”
”それが面倒くさいから船から降りたんだ”
シレンツィオはそう言った後、この学校で暮らすことにした。羽妖精が言う通り、シレンツィオにはいささか常軌を逸するところがあった。彼は表情一つ帰ることなく、自分を子供扱いするエルフや幼いエルフに囲まれて勉強する生活を受け入れている。事案である。
シレンツィオはいわばこの合法事案を、心底楽しもうとしていた。確かに心の中は明るく楽しかったようである。事案だが。
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