第8話 ダムの街

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 山間の中に先程通った谷を利用した砦がある。大きな砦を要塞というが、目の前にそびえ立つそれは要塞並の高い壁で谷をせき止めた印象のある場所だった。

”これ、ダムじゃないですかやーだー”

”ダムとは”

”河をせき止めて水を貯めていたんですよ。海狸がやってるでしょ?”

”そう言えばそういうげっ歯類がいたな。なんで狸なのか未だに分からん”

”古代人の名付けなんか適当なものですよ。それはともかく、この場所は堆積物増加で使われなくなった廃ダムを利用して街を作っていますね”

”それは悪いことなのか?”

”大規模自然破壊です。エルフの許しがたい悪行の跡です、最悪に呪われた場所です。これでは水と一緒にマナまで動かなくなります。土地の魔力が枯渇しますよ”

 そんなものかと思いながら、砦の中に入る。中程まで長い階段で壁を上り、そこから開いた地中に作られた細い道からまたも長い階段を登ること二〇〇〇段、ようやく着くのである。どこからか地下水が出ているのか、通路は常に湿っている状況であった。

 見えた風景はなかなかの絶景である。出たところは城壁の上で、後ろを振り返れば目もくらむような高さにあり、これまで歩いてきた道が冗談のように小さく見えていた。

 他方、目の前には二〇mほど下に街が広がっている。左右にひしめく谷のせいで、さほど大きくはないものの、よく整備されて長く伸びた街である。構造だけでいえば街道沿いにできた宿場町によく似ている。

 エルフとは大した建造物好きだ。古代人と変わらん。そういう感想を持った。

 なおシレンツィオの言う古代人とはエルフが人間を指す意味ではなく、文字通り、大昔にアルバの地に住んでいた父祖を言う。アルバの地は歴史が長く、畑を耕せば遺跡にぶつかる、井戸を掘れば遺物が出るという、そんな場所であった。ちょうどシレンツィオがエルフの士官学校へ向かっている途中、アルバでは巨大闘技場が発掘されてそれを再利用すべく改装が行われていた。この闘技場は今も観光名所になっている。

「これがエルフ、これが力だ」

 案内してきた砦の衛兵が芝居がかった仕草で自慢げに言うのが象徴的だった。

 もっともシレンツィオはその言葉を無視し、高いところからどこが飯屋か探している。

 こうして彼の新生活が始まった。始まるはずであった。

 なお、余談ではあるがこの羽妖精がダムの再利用と呼ぶ街は、ルース王国最後の王都になり、最終的には焼かれて大虐殺が行われてしまう。シレンツィオがここを訪れてから二八年ほどものちの話である。

 さて自慢話を聞き流して、シレンツィオは学校へ向かった。この街の治安維持を司る学校警備隊に年齢と名前を告げて、そのまま案内されたのが、ルース陸軍幼年学校であった。

 さすがにシレンツィオも足を止めて看板を二度見している。

”シレンツィオさん。これは流石に無理があるのでは。幼年学校と言えば、下は八歳、上は一四歳だったはずですよ”

”羽妖精は詳しいな。アルバにはそういうものがないから、焦った。そもそも俺が行くところは士官学校だったはずだ。書き間違えたのかもな”

”書き間違えかどうかはともかく、なにか手違いが起きてますねえ”

”よく考えれば最初は海沿いと聞いていたが実際は”山の中だった”

”そう言えばリアンの係官に言ってましたね”

”ああ”

 とはいえ、ここからどうすればいいのか、見当もつかない。取り敢えずは幼年学校で話をして、その後、正しい学校へ行こうという算段を立てた。

 ちなみにシレンツィオが着る外套は高級船員の多くが愛用する黒染である。値段は高いが汚れが目立たないので大層重宝する上に、収納も多く、場合によっては寝具、浮袋や鎧、盾代わりにも使われる逸品である。今は羽妖精の棲家にすらなっている。

 ただ、それを着た眼光鋭い長身の中年男が幼年学校の前に立っていたらどうなるか。

 事案、である。

 当然警備兵に捕まった。

 警備兵に案内されて警備兵に捕まるとは酷い話もあったものだ。シレンツィオは心のなかでそう思ったに違いないが口には出さず、ただ懐からリアン国から持ってきた書面を出した。留学許可証である。この許可証とシレンツィオの顔を交互に見て、警備兵は、いや、三一歳は無理がありすぎると言い出した。

”若く見られていますよ! 良かったですねシレンツィオさん”

”逆の意味に聞こえるが”

”私もそう思いますけど、いい方にとったが良くないですか”

”事実は事実として見つめたほうが建設的だろう”

”だったら自分が明るいとかいうのはやめといたほうが……”

 当惑する警備兵がシレンツィオを連れて行ったのは幼年学校の教員室である。軍の管轄下なので軍人だらけと思いきや、連れてこられた代表者は目立たないドレスを着た年のいったエルフの女性だった。名をエムアティ・エミランといい、人間の年齢で言えば一〇〇〇歳を超える人物だった。

 もっともシレンツィオはエルフの年齢の見分け方などまるで分からず、同年代かそれより下の女性を扱うように対応している。

 すなわち丁重に帽子を取って頭を下げた。

「失礼、今しがた警備兵が申し上げたとおり、どうも手違いでこちらに来てしまったようです」

 書面を指でなぞりながら、エムアティは微笑んだ。なぞった文面が銀色に輝いている。

「間違いはないと思いますよ?」

”エルフ流の高度な嫌がらせですよシレンツィオさん!”

”表情はそうじゃない”

 エムアティは優しそうに笑った。シワがあってもなお美しい顔であった。

「年齢は三一。私達の年齢に換算するとほぼ八つですからなんの問題もありません。新年度からの入学を認めます」

”えーと。シレンツィオさん?”

”人生はこれだから面白い”

”私の方からは見えませんけど、その言葉無表情で思ってますよね”

 エムアティは優しくシレンツィオを抱きとめている。

「劣等人の上にここまで一人でやってくるなんて、とっても偉いのね。先生、感動しちゃった」

 実際涙まで浮かべてそう言っている。

「先生が立派に育てて上げるから、なんの心配もしないでいいのよ」

「ありがとうございます。お嬢さん」

「まあ。おませさんね」

”ほほぉー? シレンツィオさん?”

”この歳になると年上から抱きしめられるなんてなかなかない。いい経験だ”

 ところでこの幼年学校、全寮制である。割り当てられた部屋は五階にあり、階段しかないこの時代では良い部屋とは言えなかった。シレンツィオの背では寝るには小さすぎるベッドが置いてあり、どこで寝るかと思案しようとしたところで襟から怒り狂った羽妖精が飛び出してきた。ぶんぶんとシレンツィオの周りを飛び回り、シレンツィオの顔の前で空中静止して指差しでがなり始めた。

「はぁぁぁぁ!? なんすかあの反応! 私は見損ないましたよ! 誰にでも塩対応だと思っていたのに! 裏切られた!」

”俺は自分が塩なんとかと言った覚えは一度もない”

「言い訳無用です! 今必要なのは謝罪! 土下座! そして私に名前を尋ねる! 巻頭紹介ページに私を入れる!」

”よく分からんな。なぜ怒る”

「みんなに塩対応だったらまあまあ許せましたけど、人によるとなったらそりゃ怒りますよ!! 激おこプンプン丸メガスマッシャーです!」

”羽妖精は大変だな”

「あと私が口を使ってるんだから、あわせて口使ってください!」

”口を使うのが面倒くさい”

 そう言ったら、羽妖精は力をなくしたように墜落した。撃墜されたとも言う。へろへろふにゃふにゃばったりこってりである。床に落ちぬようにシレンツィオは両手で羽妖精を受け止めた。

”どうしたどうした”

”どうしたもじゃなーい!!!! だから!! なんで私にだけ冷たいんですか!! 種族差別ですか!!”

”重要なことを教えよう。ニアアルバでは人魚やスキュラを口説かない男は殺されても仕方ない”

 数秒、間があった。羽妖精が考えていたともいう。

”羽妖精はどうなんですか”

”羽妖精は海に棲んでないからな”

”そこでマジレスすんのが変なんですよシレンツィオさん! そこはもっと!! もっと!! もっともっと!”

”もっと?”

”私を口説くべきですどうぞ。あと名前はマジ早めに聞いてください”

”自分で名乗ればいいだろう”

”嫌ですよ面倒くさい”

 シレンツィオはうなずいた後、窓から羽妖精を投げ捨てた。羽妖精は一〇秒で戻ってきた、大変な速さであった。

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