第4話 駅馬車
(2)
目を開くと同じような部屋にいた。匂いが同じであれば別の部屋だと気づかなかったに違いない。嗅ぎなれた潮の匂いではない、灯りのための植物油の匂いがする部屋だった。
”げげー。テレポートで生物飛ばすなんて!”
”知らん言葉だが問題があるのか”
”たまに死にますね。あと変な異界の生き物が出てくるときがあります。悪魔とか”
”そうか”
やっぱりエルフは糞ですよという頭の中の声を聞き流し、シレンツィオはじっとしていた。目の前の扉が開いて、エルフたちが入ってくる。
「どいたどいた。学生さんはあっちだよ」
「そりゃどうも」
エルフ語でそうやり取りして、シレンツィオは言われるままに部屋を出た。
”え、なんで旦那エルフ語使えるんですか?”
”捕虜の尋問に必要だったからだな”
”うぉー、バイオレンス。その調子でエルフを殺し回ってください!”
”興味がない”
リアン国にはどういう伝わり方をしていたのか、そこからは随分とぞんざいな扱われ方だった。ぞんざい、というよりも、単なる一学生として扱われているような感じである。案内されるままに質素な部屋に入れられ、弁当や教科書や空白の
”なるほど、エルフは人間の年齢など気にならんのだろうな”
”あいつら顔覚えてられないんですよ、きっと、プークスクス”
実際、そのような感じである。シレンツィオ・アガタといえば当時世界で一番エルフを殺した人物の一人であろうに、本名を使うだけでエルフはそれを認識できていないようだった。
シレンツィオとしては悪い話ではなかったろう。子供扱いも三〇の腫れ物扱いも、どっちに転んでも良い待遇ではなかったが、古い友人が裏切ったわけでもないと、それが分かったのは良いことであった。
そのまま手を引かれるように、係官に連れて行かれる。不案内だと看破されたのであろう。シレンツィオが連れて行かれたのは駅であった。鉄道のない時代であるから、駅にあるのは大量の馬と馬車である。いわゆる駅馬車がリアン国の陸上輸送の主力であった。
係官は年のいった女エルフである。色気もなにもないが、不親切ではなかった。
「ルース王国までは馬車で向かいます。もう料金は払ってありますから」
「船はないのか」
「内陸ですよ」
「海辺と聞いていたんだが」
「覚え間違いでしょう」
覚え間違いと言われてもなと思いつつ、強くは反論せず仕方無しに駅馬車に乗り込む。シレンツィオの外套の襟では羽妖精が自分用の布団を敷いたり枕を縫い付けたりとやりたい放題であったが、さしあたっては何も言わなかった。表情はいつもの眠そうな顔である。
”ところで旦那、なんで首筋で好き勝手やるなと騒がないんです!?”
”その質問に答える前に、一つ確認をしておきたいが、羽妖精はエルフを毛嫌いしているが、エルフから見た羽妖精はどうなんだ?”
”害虫扱いですね。佃煮にされたり串焼きにされたりします”
”そんなことだろうと思った。それで質問に答えると、俺が騒げばお前も困るのではないか”
”羽妖精は姿消しの魔法を使えるんですよ。残念でしたー”
”エルフはその魔法への対抗手段を持っているんじゃないか”
羽妖精は急に黙った。その可能性を考慮していないようであった。シレンツィオが黙って馬車に揺られていると、羽妖精は突如笑いだした。変な姿勢を取っているのか、高い襟が不自然に揺れる。
”迂闊! この海のリハクの目をもってしても気づかぬとは!!”
”海のなんたらはどうかしらんが、羽妖精は海上で生活できないだろう。見たことがない”
”古代文明に暗いですねえ、旦那。そんな感じだとモテませんよ?”
”誰にモテないんだ?”
”羽妖精ですけど”
”だったら必要ないな”
襟が動いた。
”おいこら喧嘩ですか、喧嘩売ってますね? 外に出てもらおうか!”
”今は動いている馬車の中だ。後、正面のエルフがこっちを気にしている。顔を出すなよ”
”……ご親切にどうも”
襟はうごめくのをやめた。
この時代の駅馬車には窓ガラスがない。明かり取りの小さな木戸を開けると風が入ってくるという寸法である。今の季節は冬であり、同席するエルフが寒そうなのでシレンツィオは窓を締めて、ただ揺られた。船より揺られないのは良かったが、衝撃については海よりきつい気もした。
”って違うわーい!”
羽妖精が騒ぎ出す。
”何が違うんだ?”
”旦那、面白くない人間だって言われません?”
”契約書以外の細かいことに気を使うと損をする。商人の言い伝えだ”
”細かくないと思いますよ。かなり、絶対”
”そうか”
”心底興味なさそうに言わないでくださいよ!”
”実際興味がない”
”言ったら負けだってずっと思ってました、けど、私の名前を聞かないのもどうかと思いますよ。一緒に旅までしてるのに!”
”そっちもこっちの名前を聞いてこないだろう”
”妖精と人間じゃ文化が違うんです”
”そうか”
”心底納得して寝るなー!”
襟が動いてシレンツィオの首を揺らした。シレンツィオは眠そうにしながら、正面のエルフの視線から襟を隠した。
”いいから名前エントリーしてくださいよ! 話が始まらないでしょ!?”
”ドノバンだ”
”偽名じゃないですか!”
”ということは、俺の名前を知ってるというわけだな。名乗る理由がない”
”ちょっと男子ー。それ塩対応しすぎません? 確かにシレンツィオって呼ばれているのは聞いてました、聞いてましたけどー、名乗るのは礼儀でしょ”
名乗ったのは本名なんだがなとシレンツィオは思ったが、口にしたのは別のことだった。
”人間ではそうだな”
”え、今妖精と人間じゃ文化が違うっていう私の言葉を利用してとっちめたとか思ってませんか?”
”いや、面倒くさいだけだ”
”それがだめなんですよ! もっともっと! 活動的に。はい!”
”俺はそろそろ老人だ”
シレンツィオの三一という年齢は人生百年とか言われ始めている現代でいうなら二倍ほどの数字になる。つまり六二歳相当だった。羽妖精はぐぉぉぉとシレンツィオの頭の中で叫んだ後、くてりとした。高い襟が折れた。
”なんでこんな人に着いてきたんだろう”
”そのうち拾った場所に戻してやるから気を落とすな”
”親切なんだか不親切なんだかキャラぶれしてません? いや、してます。やり直し。最初から”
”そろそろ新年だな”
”だから、塩対応禁止! 羽妖精に塩対応は禁止、禁止です。塩漬け羽妖精が襟から出てきたら嫌な気分になりますよ”
”そうか”
”あーもう! あんたシレンツィオ、じゃあ、私は!?”
”羽妖精”
”惜しい! 分かってやってるでしょ!”
”妖精に名前を聞くのは婚姻の申込みだと聞いている”
”そこまで知ってましたか。んじゃ名前を聞いてください”
”すまんが一m以下の女と寝るのは色々問題があってな”
”フラッグブレイカー! フラッグブレイカー! ですよシレンツィオさん!”
ちなみに今でも羽妖精の業界ではフラッグブレイカーはシレンツィオのことを指す言葉になっている。古代語で言えば旗折である。意味としてはおそらく羽妖精の看板である茶化す、からかうを壊したのではなかろうか。
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