第3話 メッカド

 若葉たちに見送られてシレンツィオが次に向かったのはエルフの国の一つであるリアン国である。ここは留学先のルース王国の西隣にあり、ニアアルバからは船で行くならば一度南方に向い外海に出て、南回り航路でニクニッスなどの大国を大迂回して行く必要があった。その距離二〇〇〇〇km、当時最速の船を用いても一年かかるという、現代の目から見ても大旅行である。

 もっともシレンツィオは、船でリアン国には向かってない。彼が向かったのはサランダ総督府から歩いて数百mほどの距離にあるリアン国の商館である。

 実のところ、そこにもまっすぐは向かわず、とりあえずは市場メッカトへ行っている。約束までの時間があったのは理由の一つで、もう一つは昨日から頭の中で声が聞こえるからであった。シレンツィオは驚いたがそういう事は表情に出さず、のんびり歩いている。

 サランダの市場は午前中が勝負である。新鮮な海産物の殆どがこの時間帯に降ろされるからだ。シレンツィオは混雑する市場を楽しげに歩いて、いくつか買い物をしている。大部分はニアアルバの食材であったが、一つ、それ以外があった。羽妖精である。

”旦那ー私買ってくれない?”

”頭の中に語りかけるのは誰だ”

”私私、手を上げてみてよ。誘導するから”

”信用するとでも?”

”信用してよー、でないと話が始まらないよ?”

”誰の話かが問題だな”

”あなたの。顔とか知らないけど、そんな気がする”

”そんな気か”

 シレンツィオは往来の真ん中で手を上げる。周囲の人々はびっくりするが、本人は至って自然体だった。眠そうにすら見えた。

”右後ろ”

 シレンツィオは数歩歩いて細い路地に入ってから、改めて姿を見せている。その間、頭の中には罵倒が大爆発していた。

”ピクシーなし!”

 どういう意味だとシレンツィオは考えたが、答えはすぐに分かった。色とりどりの鳥を売っている露店のなかに、鳥かごに入った羽妖精ピクシーがいたのである。

 人間が言えば人でなしだが、ピクシーが言えばピクシーというわけだった。

 この羽妖精、大きさは三〇cmほど、透き通った昆虫の羽を持つ女性型の妖精である。ここより東、迷信深い島々では信仰の対象だったが、アルバやニアアルバでは珍獣扱いだった。値段を見ると横の極楽鳥よりも安い値段である。価格的には半分ほどだった。

”安いなお前”

”ぎゃー戻ってきたー! 大好きー!!”

”頭の中で騒ぐのをやめろ”

”これテレパスですよ? そんなことも知らないんですか。プークスクス”

”そうか、達者でな”

”待ってー! 降参! 降参だってば!”

 シレンツィオの無表情をどう思ったか、露店の主が揉み手をしながら声をかけた。

「これはお客様おめが高い!!」

「そうか?」

「そうでございますとも!! この極楽鳥は世にも珍しい南方大島の生き物で……」

「いやその隣なんだが」

「あー」

 商人の目が濁った。シレンツィオは鳥かごの中で土下座をしたりお腹みせたり忙しい羽妖精を見ている。

”何をやらかしたら商人がこうなるんだ”

”私たちは確率を操作できるので! ちょっと不幸にしてやりましたよ!”

「これを捕まえてから不幸になったのか?」

「いえ? 特に。しかし商品としては失敗でして、奇行が多すぎるんです」

”嘘つきー!!! 昨日箪笥の角で足の小指をぶつけたくせに!!”

 シレンツィオは少し笑うと、数日前にもらった酒瓶を取り出した。葡萄地酒である。

「これで交換はどうだ」

「ありがとうございます!」

”まいどー!”

 シレンツィオは苦笑して、羽妖精の足首についた金の細い鎖を取ってやった。鳥かごだけでは逃げられる、そういうふうに思われていたらしい。

 羽妖精は喜色満面どころか全身で喜びを表現してシレンツィオの周囲を飛び回った。

”私を自由にするなんてとんだおマヌケさんですね! プークスクス! 見せてあげよう、一ドットのエクスタシー!!”

”言ってる意味はわからんが達者でな”

 シレンツィオは表情を変えることもなく、リアン国の商館へ向かっている。羽妖精は羽ばたき、翔んで追いかけてきた。シレンツィオの顔の横を飛行する。

”今渾身のあっかんべーを無視したでしょ!”

”思うに、人間の住んでる土地からは逃げるべきだと思うぞ”

”いや、そう思ってたところで渾身の、渾身のあっかんべーを無視されまして”

”契約以外で細かいことに気を使うと損をする。商人の言い伝えだ”

”もっと悔しがったり、いたずらされてぎゃふんと言ったほうが羽妖精と楽しく付き合えません?”

”俺は自分から誰かに付き合おうとしたことはない”

”いけずー。それ、いけずですよ”

 羽妖精は両手を駆使して変顔をするが、シレンツィオにはまったく通じていない。

”あのー、笑ったが良くないですか?”

”必要になったらな。ところで羽妖精はエルフと仲が悪いと聞くが”

”場所によりますが北大陸に限れば人間より酷いと言っておきましょう! あいつら最低ですよ。是非殺し回ってください”

”ところが俺はそのエルフの国に留学することになっててな”

”大惨事じゃないですか。逃げた方が良くないですか?”

”俺の周りも同じようなことを言っていたな”

”一人だけ逆張りする俺格好いい文化とか、古代文明で終わってますよ?”

”そんな文化があったのかは知らんが、そこまで止められると面白くなってしまってな”

”何が面白いもんですか”

”元老院に古い友がいる。俺を裏切る奴とも思えん”

”そうは言いますけど、数年もあればいとも簡単に裏切りますよ、人間は”

”それはそれで面白い。成長というものだろう”

”何が面白いもんですか”

 シレンツィオは足を止める。リアンの商館はすぐ近くである。羽妖精はシレンツィオの高い襟の中に隠れた。

”着いてこんでもいいぞ。羽妖精に義理を求める趣味はない。あっかんべーはあきらめて自由になるといい”

”それはそれでなんか嫌というか、この際旦那が破滅しているところが見たくて”

”趣味が良くない”

”え、旦那に言われたくありませんけど?”

 シレンツィオは聞き流した。サランダという街には庭はなく、これは商館も同様であった。したがって門の先に庭という一般の構成と異なり、いきなり建物がある。その前、公道に門番を兼ねる傭兵が立っているのはいずこも同じであった。

「ピエール・アガタだ」

 傭兵は黙って扉を開ける。魔法で明るくなっている室内が見えて、昼間から灯りを使っていると、シレンツィオを呆れさせた。

”魔法の無駄遣いですねえ”

”薪よりも安いのか”

”薪の原料の植物は育てられますけど、マナは有限ですからねえ。サステナビリティ的には良くないと思います”

”言っている意味は分からんが、金持ちということだな。当たり前か”

「ようこそいらっしゃいました。ピエール殿」

 そう言って挨拶してきたのは耳の尖った、アルバ風に言えばエルフたちであった。もっとも本人たちは自らこそが人間と称しており、アルバの人々を古代人、または劣等人と呼んでいた。リアン国はアルバの人々を古代人と呼ぶ方の国であった。対してニクニッス国はアルバの人々を劣等人と呼んだ。国と国の関係性が透けて見える話である。

 シレンツィオは頭を下げた。

「今回は魔法を利用させていただきありがとうございます」 

「何、お安い御用です。もっとも貨物と一緒になりますがね」

 そのような会話の後、シレンツィオは商館の中に案内される。リアン国風の建物は彫り物による装飾が過剰なところがあって、アルバ風の好みからは外れていた。なにより裸婦像がないのがアルバの民的には良くわからないところではある。アルバやニアアルバにおいて、女の裸は美の根幹であった。アルバの元老院には歴代の議員の裸婦像で溢れかえっているのがその例である。

 リアンにはそれがない。複雑な彫刻のほぼ全ては植物を題材としていた。

「こちらです」

「どうも」

 通された一室には床に魔法陣だけが描かれていた。窓すらない。

「荷物を運び込みますので、お待ちを」

「はい」

 次々と木箱が魔法陣の上に運ばれる。樽ではないことが異国風でシレンツィオは面白かった。準備ができましたと言われてその脇に立った。魔法陣の隅のほうともいう。シレンツィオの荷物は革張り木製の旅行鞄一つである。長辺が一mほどある長方形の箱であった。

「では良い旅を」

 小馬鹿にしたようなエルフの笑顔ですねと頭の中で声がしたが、シレンツィオは無視した。特に興味がなかったからであった。

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