氏姫1 確かな変化

「兄さん。可愛い妹からお願いがあるんだけど」


 ノックもなく部屋に入ってくる義妹。着替え中だったらどうするんだ? と思うが……その答えは気にしない、だ。俺も二葉も。


 逆だった場合は二葉のご機嫌しだいだな。良ければスルーだし、悪ければ物か蹴りが飛んでくる。それで許してくれるだけ優しいんだろうけど、蓋を開けてみないとどうなるのかわからないのが困ると言えば困る。わざわざ開けたい蓋でもないし、意識して開けるのも大問題だけどな。


「どうした? 愛しの妹よ」


「…………うえ……今日、姫姉さんとショッピングモールまで行く予定なんだけど……待ち合わせの時間過ぎても家に来ないのよ」


 自分からやっておいて、俺がノッたら顔を顰めるのやめろや。


「あーそれで休みなのに珍しく朝からガサゴソしてたのか」


 よく見ればもう出る準備を済ませているのかノースリーブのトップスにミニスカートと、部屋着じゃないもんな。休みで同好会も無い日は基本的にお昼近くまで寝ている義妹だ。それでいて予定が有ればしっかり起きられるんだから問題ないんだろうけどな。両親もなにも言わないし。


 ガサゴソ聞こえる理由? お察しください案件だ。


「姫姉さんを起こしに行ってくれない?」


「なんで俺? 自分で行けよ」


「わたしじゃ時間掛かっちゃうじゃん。兄さんならあっという間でしょ。はいお願いね」


 いまにして思えば……このときの二葉は少し不自然だったような気がする。





 そんなやり取りがあり、俺は隣の家に来ていた。2階の1番奥にある八畳の洋間。ちなみに、玄関で挨拶を交わしたおばさんは「ごゆっくりー」なんて言ってたけど……年頃の娘の部屋に男が入ることに対して思うところが――ないんだろうな……俺と氏姫がいつ付き合うのか賭けに参加してるひとりだし。


「入るぞー」


 一応はノックをして返事を待たずにドアを開けて中へ入る。起きてればそれでよし、二葉の言う通り寝てるなら返事を待つだけ無駄。


 芳香剤とは違ういい匂いに迎えられ、まず目に入るのは中央に敷かれたふわふわの円形ラグと上に置かれたテーブル。そしてベッドが目に入る。本棚やパソコンなんかもあるけど、きちんと整理整頓されていて実は隅には埃が積もってるなんてオチもなく安心する。


 どっかの義妹とは違うのだ――と思ったらベッドの脇に下ジャージが脱ぎ捨てたように落ちていたのはご愛嬌ということで。きっと夜中暑くて脱いだんだろ。


 ってことは、あの掛け布団の中は……どうなってんだろうな? 普通にパジャマ代わりの中学時代の体操服か? 寝るときは上下ジャージも着ていて、下だけ脱いだって流れの気がするな。氏姫だし、某義妹みたいにパンツなんてことはないだろ……信じてるからな?


 ベッド横に立つと、幼馴染の寝顔が見えた。いつもは壁側を向いてるのに今朝はこっちなんだな。


「氏姫ー」


 とりあえず肩を揺すってみる。


「すー、すー」


 規則正しい寝息しか返ってこない。やっぱりこの程度じゃ起きないよなぁ……このくらいで起きるなら最初から二葉がやってる。


「おい、氏姫」


 さっきよりも強く揺すってみる。


「んん……」


 寝返りをうって壁側を向きやがった。その拍子に掛けていた布団と毛布がズレて足が露わになってしまう。よかった……ハーパンの紺色が見えてる。割と本心から安堵する。寝ぼけてるときに見る下着とか気まずくて仕方ない。更に寝起きの悪い氏姫本人は記憶にない可能性が高いし。


「二葉と約束してるんだろ? 時間は大丈夫なのかー?」


 頬を軽くペチペチしてみる。


「むにゃ……やく、そく……」


 お、効果ありそう。いつもより早いな。


「氏姫ー」


 ツンツン。頬をつつくと、更に寝返り。背中が完全に壁にぶつかっている。


「ん、んん……かずきくん?」


 ようやく開いた目が俺の姿を認めたのか、舌っ足らずな声で名前を呼んでくる。伸ばしたままだった俺の指を子供みたいに掴んできた。


「起きたか?」


「うん……ねぇかずきくん……」


 完全に寝ぼけてるな……誰に対しても標準装備の敬語が抜けてるし。幼馴染がここまで崩れてるのは結構レアだ。


「何時に約束してるか知らねえけど、二葉は出る準備終わってたみたいだぞ?」


「……やくそく? んん?」


 ん? どうして首を傾げる?


「出かけるんじゃなかったのか?」


「……あ、ああ。うん、そうでした」


 思い出したのか頷くけれど、身体を起こす気配もない。それどころか時計を確認することすらしなかった。


「まだ寝ぼけてんのか?」


「そう、かも……はい、かずきくん」


 何故か布団と毛布をめくってみせる氏姫。壁側に寄ってることもあって、一緒に寝ようと言ってるように錯覚してしまう。


「氏姫?」


 いや……錯覚じゃないのかもしれない。なにかを訴えるかのようにじーっと見てくる。


「かずきくん……きょう、ばいとだったよね? まだ、じかんある?」


 普段はしっかりしてるから、幼く感じてしまう。


「ああ……家を出るまで1時間くらいあるけど……」


「ちょっとだけ、べっどにはいらない?」


 俺の指を握っていた手が、手首を掴み直して引っ張ってくる。抵抗するのも振り払うのも簡単だけど、何故かできなかった。


「……」


 シングルベッドに向かい合う形でふたり。近距離に居る氏姫の体温を感じてしまう。掛けられた布団はもちろん、毛布にも温もりが残っていて彼女に包まれているような感覚になってしまった。


「くすっ、わたしのにおいすきだよね? ふとんにもぐってもいいよ?」


「おい氏姫っ」


 提案ではなくて、決定事項だった。氏姫が毛布ごと布団を一気に引っ張り上げたせいで仲良く頭まで被ってしまう。そして暗闇の中でモゾモゾと動いていたと思ったら、俺の右手首を掴んで誘導していく。


 不意打ちだったこともあって、されるがままになってしまった。


「どう? わたしのふとももさんど。あしふぇちのかずきくんにはごほうびになってるかな?」


 右手が導かれた先は本人の言葉の通り、太ももと太ももの間だった。スベスベでムチムチ。そんな感想が正直に浮かんでしまう。


 つい内ももを撫でるように手を動かしてしまったけど、氏姫はなにも言わなかった。てか、モゾモゾしていたのは前準備として穿いていたハーパンの裾を捲くりあげていたからか。


「氏姫……?」


 寝ぼけてるにしても様子がおかしい。


「かずきくん……てをもうすこしうえにうごかしてみる? わたし、した……はーふぱんつぬいじゃったから、したぎだよ?」


 ちょ!? 確信した。おかしいなんてレベルじゃない。


「おいどうした? お前、変だぞ?」


「どうする? じこ、おこしちゃう?」


 事故。その言葉の意味するモノは考えるまでもない。俺と氏姫がスキンシップを取りつつも、間違っても起きないように。意識することはあっても、その気にならないように注意していたコトだ。


「氏姫? ほんとにどうした? 悩みがあるなら聞くぞ?」


「……かずきくんがいけないんだよ?」


「俺?」


「わたしとみくちゃんのあしをまちがえかけたり」


「……」


 あ……氏姫がこんな行動に出た原因がわかった。二葉は最初から約束なんておらず、ここへ俺を呼ぶための協力者だった訳だ。


「かずきくんなら……すぐにわかってくれるってしんじてたのに」


「…………」


「においにもひかれてたよね? にかいめはむいしきだったでしょ?」


「………………」


「ほんきでくやしかったんだからね? だから、わたしのふともものかんしょくと、においをおぼえなおしてもらおうとおもって」


「……………………」


 正直、意外だった。氏姫がこんな行動に出るなんて想像もしていなかった。お互いに幼馴染を越えた好意を抱いているのは知っている。恐らく、向こうも察しているはずだ。言葉で確認したわけじゃないけど、長い付き合いでわかる。


「一樹くん……好きなひと……居ますよね?」


 いきなり敬語が戻った。つまり寝ぼけていたことにしたくない問だと……真剣な質問だった。


「ああ……居るな」


 暗闇が隠しているけれど、目の前に。


「私も……実は居たりします」


 俺も氏姫も、相手が誰かは言わない。ただ、好きな相手が居ると伝えあっただけ。けれど……それは長年幼馴染から先へ踏み出す勇気がなかった俺と氏姫にとって、確かな変化だった。






 結局、バイトに行く時間寸前まで――俺は氏姫の太ももの感触と匂いを覚え直すことになった。


「寝ぼけていたので、なにがあったのかこれっぽっちもまったく覚えていません」


 氏姫は――毛布と掛け布団を取っ払っうと、誰がどう見ても無理があるセリフを言い放ちやがるのだった。

 

 ちなみに勢いをつけすぎたのか、膝辺りまで一気に捲ってしまい――ほんとにハーパンを脱いでいたことを確認することになってしまった。上は恐らく中学時代の体操服のTシャツに重ねる形で赤ジャージを着ているのに、下半身は水色の三角形のみというアンバランス。


「~~~~っ」


 いつもなら照れながらも冗談を言う余裕もあるのに、今日に関しては無理だったらしい。顔どころか首筋まで真っ赤になりながら、枕でボフボフ叩いてくるという超レアイベントを体験することになるのだった。


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