春休み編

その1 準備運動の柔軟がどうしてこうなるのか……

 更衣室からプールへ繋がる通路を進むと、20人程度が同時に浴びられるシャワースペースがある。シャワースペースを越えた先はプールサイドでも幅があるために、準備運動なんかをするときはそこを利用するようにしている。水筒やおやつなんかを置いているのもそこだった。


 そんな場所で俺と氏姫、羽山は準備運動をこなし柔軟に入っていた。二葉と雪路? 俺たちの半分以下の準備運動で終わらせさっさとシャワーを浴びて泳いでる。何度言っても改善しないからもう放置だ。


「一樹くん、や、優しくですよ? 私、痛いの嫌いなの知ってますよね? 信じてますからね?」


「わかってるよ」


 目の前で足を伸ばして座っている氏姫の両肩に手を置くと、幼馴染の体温を直に感じる。もちろん、氏姫は競泳水着を身に着けている……ただ、その肩紐が他の女子陣みたいな平たいモノじゃなくて、パイピング加工された紐状のため感覚としてはほぼほぼ素肌に触れているのと変わりないだけで。


「お願いします」


 氏姫が両腕を伸ばして自分のつま先を掴もうと身体を曲げていく。俺は体重を掛けすぎないように気をつけつつ肩を押していった。確実な負荷になるように、それでいて強い痛みを与えないように。そのバランスが難しい。本人が言ったように氏姫は痛みを感じるようなことが苦手だからなぁ。


 正直なところ、少しだけ意地悪をしたくなる気持ちもある。ただその場合は二葉に告げ口されて怒られるのが確実なので自重する。俺が氏姫のことを異性として好いているのと同様に、二葉も氏姫のことが同性の親友として好きなのだ。


 それに――同じ意地悪なら、氏姫が本気で嫌がる痛い系をわざわざ選ぶのも悪いしな。どうせなら笑ってネタになるようなことにしたい。


「お、キツそうか?」


 露骨に動きが鈍った。


「んんーっ」


 苦しそうな声を漏らしつつも、氏姫は身体を起こしてくる気配がない。つまりもう少し頑張りたいということだ。ちょっとだけ込める力を強めると、前へ傾いていた身体が完全に止まる。伸ばした指はつま先に触れる気配がなかった。


「……ふむ。羽山、率直な感想をどうぞ」


 その体勢を維持したまま、隣でしゃがんで様子を見ていた羽山に――あのさ、しゃがんでるのは構わないから脚を閉じてくれないですかね? 下半身がスパッツ型とはいえ目のやり場に困るんだが? なんでお前は制服のときはあんなにガード固いのに、競泳水着姿になると防御力落ちるの? 平気で前かがみになって谷間見えてることまであるからな?


 俺が話しかけたからだろうか? 身体ごとこちらを向く始末だった。慌てて視線を逸した。冷静に考えると、なんで俺がこんなに気を使ってるんだろうな……?


「相変わらず固いですね」


 俺の内心に気づく様子もなく氏姫に告げる羽山。


「うっ!」


 ショックを受けたように幼馴染の肩がビクンッと跳ねたのを合図に手を離すと、氏姫は身体を起こしてそのまま後ろに立っている俺に寄りかかってきた。一瞬、脚を開いて頭を挟んでやろうかと思ったけれど、止めておく。挟むなら挟まれたい。


「これでもマシになったんだよな」


「一樹くんのフォローが優しくて痛いです……未空ちゃんはどうなんですか?」


 いやいや、氏姫さん? 同好会のメンバーで毎回念入りに準備運動から柔軟までやっている羽山だぞ? 聞くまでもなく見る機会なんていくらでもあったし、結果は見るまでもなくわかってるだろうに。


「未空ですか?」


 きょとんとした表情を浮かべたあとお尻を床につけて足を伸ばそうとして、氏姫にぶつかりそうになりプールのほうを向いた。姿勢良く背筋を伸ばして長座前屈の体勢になると、大きく息を吐きながら身体を倒していく。


 氏姫が届かなかったつま先に簡単に触れるどころか、足の裏まで指先を伸ばして上半身がキレイに脚に着いていた。漫画の1コマなら「ペタン」とか「ピタッ」なんて擬音がついていそうなくらいだ。


「流石だな」


 見事だった。何度見ても感嘆してしまう。同時に……さり気なく目を逸らす。足を伸ばして前屈する羽山。俺は真横から見てるんだけどな……身体と足に挟まれてグニュっと潰れるボリュームのある膨らみがな……目に毒だった。


 ちなみに、二葉に次いで同好会で2番目に大きいDカップ。なんで知ってるかって? どっかの百合っ娘が自分のを含め女子全員のスリーサイズを暴露するからだな。サイズが変わるとその度に報告してくれるから常に最新情報が共有されてるぞ? 馬鹿みたいだろ? この同好会。


 自分のを含めてる理由は……まぁ、誰かに反撃として晒されるくらいなら自分からって考えだろうけど……捨て身過ぎる……。そこまでして暴露したいのか……。


「むー……悔しいです」


 なんて負けず嫌いを発揮しつつも素直にパチパチと拍手してる氏姫。


「こんな感じですね。家でも毎晩お風呂の後に柔軟したりしてるので結構自信があったりします」


 身体を起こして立ち上がった羽山は珍しく得意気だった。そんな彼女に氏姫がそっと近づいて何かを耳打ちする。なにを言われったのか知らないが、羽山の顔が真っ赤になったことから碌なことじゃないのがわかる。


「一樹くんもやってみますか?」


「……俺?」


「ひとりだけ前屈してないのも変じゃないですか?」


 もっともらしいことを言う幼馴染。というか、二葉と雪路もやってないが。


「それを言われるとな……」


 嫌な予感がしつつも、その場に座って足を伸ばしてそのまま前屈する。どこかの幼馴染とは違い、つま先を掴むまではいけた。羽山と比べちゃうと全然だけどな。


 これで充分だろと身体を起こそうとして――失敗した。


「氏姫? どうして俺の身体を押さえるんだ?」


 いや押さえるというか……のしかかる、だな。俺に背負われようとしてるのかって感じだ。競泳水着の薄い生地越しに感じる体温と柔らかさが生々しいなんてレベルじゃなかった。特に胸の感触がヤバい。意識がそっちに集中しそうになるのを理性で必死に我慢する。


「一樹くんも補助があればもう少し頑張れるんじゃないかなと思いまして」


 わざわざ耳元に口を寄せて囁いてくる。ドクドクとうるさいのは俺の心臓なのか、氏姫の心臓なのか。どっちもなんだろうな……。いくら普段から触れ合っているとはいえ、ここまで密着することは早々ない。意識するなというのが無理だった。


「氏姫さん、水着1枚なのに躊躇なくいきますよね……」


 呟くような羽山の言葉。羽山はどんな気持ちで見てるんだこれ……どっかの義妹みたいに暴力の可能性が限りなく低いだけマシなのか? ……マシか? 羽山にボソッと言われるの結構心にグサッとくるけどな……。


「一樹くんのせいですよ? 前屈して押し潰れてる未空ちゃんの胸をじっと見てましたよね? 私の胸の感触で上書きしちゃいます」


 えぇ……さっき羽山に囁いてたのそれか! なんで真っ赤になってたのか納得だよ! 氏姫がこんな行動に出た理由にもな!


「一樹さん、もう少し身体を倒したほうが体重が掛かって氏姫さんの感触を堪能できますよ」


 なんて俺の両手を握って引っ張ってくる羽山。


「おいマジかよ、協力するのか――っ!」


 つい顔を上げてしまったせいで飛び込んできた光景に思わず息を呑んでしまった。別の意味でマジか羽山!? 伸ばしてる俺の足を避けるためなんだろうけどさぁ! 何故によりによってその体勢を選ぶんだよ!


「あっ、未空ちゃん! 一樹くんの目の前でM字開脚はどうかと思いますよ?」


「~~~~っ!?!?」


 氏姫の指摘に声にならない悲鳴を上げながら、飛び跳ねるようにして立ち上がると走り去っていく羽山。プールサイドを走るなよーなんて注意する気にもなれなかった。


 それよりも脳に焼き付いている後輩のM字開脚(スパッツ型競泳水着バージョン)を振り払うのに精一杯だった。ただ意識すればするほど、鮮明な光景として脳裏に過ぎってしまう。


 というか、ある意味スパッツ型の羽山でよかったのかもしれない。ローカットの雪路でもヤバそうなのに、ハイカットの二葉だったと思うと……。


 中間の氏姫? 喜んで見るが? 記憶に焼き付ける気満々ですが?


「こっちの記憶の上書き難しいですね……この競泳水着でM字開脚する勇気は出ないですね……体操服ならいけますけど……ハーフパンツじゃ弱いですよね? あ、ブルマなら一樹くんの脚フェチにも適って効果高そうですね……いっそのこと下着姿でしちゃえば……」


 競泳水着が無理なのに下着はオッケーなのかよ!? とツッコまなかった自分を褒めたい。


「氏姫? いつまで乗ってるつもりで?」


 氏姫の言葉は全て聞こえなかったことにして、この状況がいつまで続くのか確認する。


「え? もうちょっといいですよね?」


 離れるつもりなんてないですよー、と俺の胴体に腕を回して更に密着度を上げてくる幼馴染。


 準備運動の柔軟がどうしてこうなるのか……。謎だ。

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