境界線上の霧

 人通りを避け遠回りのルートで城門を目指します。とはいえスタンレーには4つの城門があるので、まずは行き先を決める必要があります。比奈姉の向かった行き先は手紙に書かれているでしょうか。紙を広げると封筒の捺印と同じく、こちらの世界での文字で書かれていました。



『この世界は蜃気楼。知覚した事物を真実と信じるなら蜃気楼に足を付けられる。

 だが蜃気楼は虚ろな実像。仮想現実的精神世界の可能は拭えず、例えば物心付く前の幼児の死を本人は知覚できるだろうか? 散らばった鏡が思考回路を混線させる。集めてひとつに合わせたら何が映るだろう。

 真と確信できるその時まで歩みは止めない。その瞳にはどう見えている?

 尠くもこの世界で魔法は確固たる真理。真理の本源をこの目に刻もう』



 相変わらず表現が独特です。逆に言えばまだ素を出していないということ。文章から察するに、比奈姉にこの世界は夢や幻のように見えていて自分自身の存在も真実か疑っている。もちろん妹の私のことも。

 ですがそれは悲しむことでも、責めることでもありません。比奈姉の捉え方の方が自然なのです。いくら転生とはいえ、元の世界とは正反対のファンタジー世界に来てしまったら誰しもが夢と疑うでしょう。私は生きる意味を見失っていたのですんなり受け入れましたが……



「哲学的な内容だね。見ている世界は果たして本物か、しかし魔法だけは本物と信じて疑わない。ここまで魔法中心の思想となった経緯が気になるよ 」

「魔法が世界そのものだとする宗教もありますけどね。でも仮に入信してたとしても、理性は残ってる様子に感じます。果てまで行ってしまうと疑うことを知らなくなりますから」

「魔法で人生が大きく変わったと言っていましたから、それだけのめり込むのは分かります。魔法の研究を通して、私が想像するより遥かに壮大で膨大な何かの欠片を見つけたのかもしれません」



 魔法を研究することは失われた人類の叡智を蘇らせ、世界の真理に近づけると。事実、もし魔法が再現できたら世界の仕組みが反転してしまうのですから。これまで築き上げられた常識も智賢も社会も、文字通り全てが変貌する。

 人間が手に入れられるであろう力の中で、最も神に近しいとも比奈姉は語っていました。事実、魔法は自然の力を意のままに操る技術であり、人類が太刀打ちできなかった災害を逆に利用できてしまうのですから。



「比奈姉の頭の中は凡そ把握できました。少し錯乱というか不安定とも取れるの表現があるのが気になりますが……とりあえず向かった先はロータスだと思います。

 魔法を真理と表現し、真理の本源、すなわち魔力の本源である魔力。それに由来する国」



 確認するようにフーリエちゃんに横目で視線を送るとコクリとうなづいてくれました。



「別名【魔力の泉】と称されるほどに魔力が豊富な場所。コルテと並んで魔法使いにとって重要な意味を持つ国だよ」

「なら出るのはこっち側ですか。最後に情報屋にも挨拶しに行きません?」

「仕入れに行ってるらしいけど戻ってるかな」

「とりあえず行ってみましょうよ」



【クラウンの掲示板】と同じ15番街【客商売通り】に情報屋の営むレストランはあります。看板は準備中となっていて、定休日ではないようです。開店まで1時間ちょっとですが、実際は開店準備もあるので戻ってくるのは30分後くらいでしょうか。適当に時間を潰します。



「なんだべ、来てたんかい」

「今日でスタンレーを出るから最後の挨拶にね」

「そうかい。ま、入りらし」



 開店時間の30分前に情報屋は戻ってきました。やはり彼女の言葉はニュアンスでしか理解できませんし、そのニュアンスも果たして合っているか不明。戦争で方言が暗号して使われていた経緯も分かる気がします。

 そしてフーリエちゃんが完璧に理解できるのが余計に謎。そんな訛りの強い貴族もいるのでしょうか……?



「そっちはどこまで聞いたの、顛末のこと」

「全部手紙に書からっちゃ書かれていた。なんぼか寂しくなるない。姉さまらとも短い付き合いではねえから。まだ顧客はいっから商売は続けるつもりだけども」



 彼女の向ける背中からはどこか哀愁が漂っていました。空の箱に入れられる食材の音が空虚さを示しているようです。



「店の経営に影響はないの?」

「センチュリーが崩壊してくっちゃから何もお咎めなしだ。他の誰にもわがさらの仲間とはバレてね」

「こっちはだいぶ顔を出しちゃったけど根回しが効いてるから影響は最小限かな。ここの両貴族系と私のところとは関係はかなり薄いし」

「あの侯爵は父親譲りの一匹狼で身内にも気を許す人物がいなかった。それと比べてご令嬢姉妹は広い。父より広いかもしれね」



 目を細めて小気良い包丁の音を奏でる姿はまるでおばあちゃん。そして故ザイント侯爵を幼い頃から知っているような口ぶり。本当にこの人の実年齢が謎です。もしかして世襲制?

 2人の会話は続きます。元貴族ゆえ他国の事情も気になるのでしょう。あるいはタダ飯を貰うチャンスを伺っているのか。私とエリシアさんは差し出されたお冷をちびちび飲みながら聞き流します。



「次はもう決まってる感じ?」

「ほぼ確定だない。わがが言ってた通りマジェスタ辺境伯が就く。そして脇にはエスクード辺境伯が入るんだと」

「あー自ら辺境の統治を名乗り出て、そこで物理学の勉強してた変わった人ね。確かに彼ならこれまで積み上げた技術革新を引き継いでくれるはず。本人にとっても最高のチャンスかもね」

「あどは徐々に決まっていくべ。今度はなんぼか集まって独裁みたくはなんねべ。ほれくわっせ。今日から出す新メニューだ」



 カウンターに出されたのは大根とナスの漬物でした。日本人だった身として馴染み深い料理です。



「いただきます」



 箸が無いのでフォークで刺して口へ運びます。ゴリゴリ違和感。

 肝心の味は、塩分が比較的多めですが食べ慣れた味です。シンプルに美味しい。しかしフーリエちゃんとエリシアさんの口には合わなかったようです。



「クセがあるね……青臭さもある。いかにも東洋らしい料理だけど、それだけで出すには極端すぎるかも」

「素材の味を引き出そうとしてるのは分かりますが、引き出されすぎてエグ味まで出ちゃってます。好きか嫌いかで言えば、嫌いですかね……」



 曰く、日持ちして単価の安いメニューを探していたところ、商人から東洋のレシピを教えられたそう。情報屋も東洋系のレシピも増やしたいということで採用したそうですが、私も受けは悪いと思います……キムチなら違う反応が返ってきたかもしれませんが。



「まぁ私は食べ慣れた味ですが、東洋でも好き嫌いは別れやすいですね。これって塩と酢で漬けた時間は短いですよね?」

「そだない。短時間でも作れるレシピだって教えられっちゃ」

「私の住んでいた地域では浅漬けと呼んでたんですけど、それは味付けが塩と酢だけなゆえに野菜の味がもろに出やすいんです。こっちの料理は味が濃いですし、同じ漬物なら糠とか味噌が良いと思います。作ったことはないですけど……」

「なるほどない。本場の人がいわっちなら間違いねぇな」



 私、別に漬物が大好きってわけじゃないんですけど無駄に饒舌に語ってしまいました。

 自分の引き出しにある話題になると、途端に口が回るコミュ症あるあるです。喋らないだけがコミュ症ではない。



「ま、何しだって店は続けるつもりだ。幸いにも情報屋辞めても生活できる稼ぎは貰っでるからない」

「安定が一番だよ」

「何事にも限度ってもんがあるんだ。だがら適度て言葉がある。ほどほど、それが良いんだ」

「思い知らされただけに身に染みる言葉だ。それじゃそろそろ行こうか」

「気をつけてない。まだいつか来てくなんしょ」



 最後の最後まで彼女の言葉は理解できませんでしたが、扉が閉まりきるまで笑顔で見送ってくれました。人情に溢れた善人であったことに疑いの余地は無いでしょう。


 遂に出口となる門の前まで来ました。後ろを振り返れば入国した時と同じように、山に掛かる雲のように上層部に霧が掛かって居ます。

 門番に出国の意を伝えれば一切の確認の無く門を開けてくれました。

 スタンレーに掛かる大きな石橋。下は谷になっていて、その谷のなかにも階層が続いています。しかしその姿も、上層から流れ込んだ霧でぼんやりとしか観察できません。


 工業化という技術革新がもたらされたスタンレー。技術革新は人々の生活を大きく変え、意識と思想にも影響を及ぼしました。

 一方で変化しない支配貴族との間には歪みが生まれ、うねりとなり、最後は当主の死によって支配貴族の総入れ替えという結末を迎えました。

 この先スタンレーがどのような歴史を重ねるか、それは誰にも分かりません。そして旅人である私達にとってはさほど重要な事ではないでしょう。


 比奈姉を探す目的の為に後ろを振り向く必要はありません。

 だって比奈姉は常に前を歩いているのですから。

 フーリエちゃんも、エリシアさんも。

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