12話  ありがとう、大好きだよ。

全く目に見えなかった。


蹴りを食らったカーバンが初めて感じたのは、そんな恐怖のような事実だった。


臓器がひっくり返されたような痛みを感じてからようやく、カーバンは自分が蹴飛ばされたんだと自覚する。


でも、いつの間に?


そして、両手で腹を抱えているカーバンの目の前には………。



「立て」



まるで死神のような顔で、カーバンに影を差している第3王女の護衛騎士―――ケイニスが立っていた。


背筋がゾッとするほど冷え切った顔に、大きく見開いた瞳。


緩んでいた唇はすっかり引き結ばれていて、会話は絶対に通じないという事実を教えてくれる。


カーバンは本能的に察した。


この男は今、自分を半殺しにしようとしている。



「なっ……きっ、さま……!」

「立て。勝負はこれからだぞ?」

「………はっ、面白くなってきたな!」



カーバンは挑戦的な笑みを浮かべながら立ち上がった。


ちょうどいい機会だ。この際にこの生意気なヤツをぶっ潰して、さっき食らった蹴りを倍返ししなければ。


カーバンは片手で腹を抱えたまま、ケイニスに倣って貴族たちに見えやすいよう、演武場の中央に移動する。


貴族たちは生唾を飲んで、二人の姿を眺めていた。


第1王女、セシリアは冷静な目つきで二人を見つめていて。


第3王女、イブニアは両手をぎゅっと握って、ただケイニスが怪我をしないことだけを願っていた。



「………はあっ!」



カーバンが手に魔力を込めた瞬間、単純な木剣は光の塊になる。


ソードオーラ。ある程度の境地にたどり着けなきゃ具現化できない、魔剣士と呼ばれる者たちの固有スキルである。



「……はっ」



そして、カーバンの姿を見たケイニスは口角を上げて―――



「なっ……!?!?き、貴様……!」

「あ…………ぇ?なにあれ?」

「な、な、なんだ、あれは……!」



持っていた木剣より3倍―――いや、5倍以上の大きさのソードオーラを、貴族たちの前で披露した。


それを見た瞬間、カーバンは驚愕した。単純に剣が大きいからではない。形が整っているのだ。


あれほどの魔力量を持っていながら、それを自由自在にコントロールまでできるんだと?


ありえない。ありえないはずだ。自分の常識では理解できない事態が、目の前に起きている。


あれじゃ、この程度の魔力じゃ………自分には全く持って勝ち目がない。


しかし、ケイニスは貴族たちの反応とカーバンの表情を確かめてから―――ゆっくりと、ソードオーラの大きさを抑えて行った。


ちょうど、さっきまで持っていた木剣と同じような大きさ。


それを見て、カーバンの目が怒りで見開かれる。



「ふざけるなぁあああああ!!!」



全身全霊を尽くさず、弱い自分のレベルに合わせてくれるかのような行動。


侮辱されたと思ったカーバンは、すかさずケイニスに飛びついた。


ケイニスは大きく振り下ろされた剣をスッとかわしてから、直ちに剣を横に振る。


慌ててカーバンがそれを防いだと思えば、次は何故か頭の上から強い風の音がした。剣が過ぎ去った音だ。


慌てて距離を引いたら、ケイニスは直ちにその距離を詰めて攻撃をしてくる。


先手を取ったはずのカーバンはあっという間に追い詰められ、気づけば演舞場の端っこまで追いやられていた。



『くそ、くそぉ……!なんだ、こいつは!!!』



速い。いや、速いだけじゃなく正確で、研ぎ澄まされていて、あまりにも鋭い。


嵐だ。まるで、周りにいるすべてを飲み込んで粉々に壊してしまう台風だ。


カーバンは目を背けたかった事実を、ようやく受け入れる。


この勢いがついている剣は、自分を食いつぶさんと襲ってくる攻撃は、今の自分が防げられるようなものじゃない。



「はっ……なにをぼうっとしてるんだ?」

「なにっ……くはっ!?!?」



攻撃の中で低い声が混ざったと思えば、次に脇腹に鈍い痛みが走った。


剣の腹でぶたれたと悟った瞬間には、太ももをぶたれていた。


次の瞬間には腹が蹴られていて、足を入れられて片膝を折られて、最後には剣の腹でアッパーカットを食らっていて。


たった1秒も経たないうちに施された連撃に、カーバンはくらくらしながらも打たれるしかなかった。



「けほっ、こへっ、くぁ………あぁ……!」



そして、自分の前に完全に跪いたカーバンに向けて、ケイニスは言う。



「問おう」

「……けほっ、けほっ……あぁ……」

「この国の第3王女様は、誰だ?」

「……………………っ」

「誰だ?」



思わず粗相をしてしまいそうな低い声色に、カーバンは全身をわななかせる。


規格外の存在。不可解なものに出会った時の、恐怖。


ケイニスはまるで、その概念を象徴しているようだった。


自分とは全くレベルの違う実力を持っていて、人を凍らせるような声を放って、冷酷に敵を打ち倒す。


こんな一面もあったのか。


新聞では、噂ではただの優しくて間抜けな、たまたま運がよかったヤツとしか思えなかった。でも、違った。


これは騎士と言うよりは、戦場になれた冷徹な戦士に近い気がして。


そんな者に睨まれているカーバンは、人生初めての恐怖を感じながら、口を開くしかなかった。



「い………イブニア、様」

「声が聞えない」

「い、イブニア・フォン・アインツハイン様だ!!」



圧倒的な武力と恐怖の前では、他人の視線なんかはどうでもよくなる。カーバンは正にそのような状況に置かれていた。


彼の返事を聞いたケイニスは、ゆっくりと手から剣を離してから言う。



「イブニア様は……自分の従者たちを大切にし、誰よりも純粋に笑って、周りの人々を幸せにする、優しくて素敵な方です」

「……………」

「二度と、イブニア王女様を侮辱しないでください。あの方はこの国の……カニア王国の、第3王女ですから」



途中で付け加えたい頭のおかしい行動がいくつもあったが……ケイニスはそれをぐっと飲み込んで、振り返った。



「……失礼しました」



そして、そのまま立ち去ろうとしたところで―――



「ケイニス!!」



イブニアの切り裂くような声が響いて、彼は立ち止まってからイブニアが立っていた場所を眺める。


当のイブニアは、もう耐えられないとばかりにケイニスに向かって走っていた。



「い、イブニア様?」

「……ケイニス」



不安と心配と、喜びが混ざった複雑なイブニアの表情。


その中で一番色濃く出ていたのはやはり、心配の気持ちで。


イブニアは片手を上げて、自分の護衛騎士の頬に添えながら言う。



「大丈夫?怪我はないよね?」



一瞬目を見開いたケイニスは、くすっと笑いながら小声で言う。



「……うん、大丈夫だよ」

「…………よかった」



ざわざわしていた貴族たちの空気が、また一気に静まり返る。


だって、今壇上に上がっている王女……イブニアの目にはあまりにも、単なる従者への親愛以上の、強い愛情が込められていたから。


第3王女は、その護衛騎士に恋をしている。


単なる噂話だと見なされていた内容は、れっきとした事実になって貴族たちの目の前に押し付けられていた。



「………………」



もちろん、第1王女であるセシリアの目にも。



「………ありがとう、お兄ちゃん。大好きだよ」



翌日の朝、王国の新聞にはイブニアとケイニスに関する内容が派手に飾られていた。

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