第四章 誰が為に 十三話

 その同時刻、小春は家の中に足を踏み入れた。


 間取りが小春の家ととても似ている。

 小春は懐かしさに胸が締め付けられそうになりながら、勝手知ったる家の中を歩いていく。勝手口のすぐ横に台所があり、ダイニングが併設され、廊下の途中にウォシュレットのトイレ、臭いはラベンダー(小春の家はミントだった)、突き当たりに階段があり、その前にリビングがあって……青白い光を放っていた。


 銃を固く握りしめ、リビングの中に入る……と、そこには小春の見立て通り、あの男の姿があった。


 ソファーに座り、机の上に置かれたパソコンを見下ろす、全身が黒い、あの男。

「どうやってここを……?」

 パソコンから顔を上げず、あの男は言った。


「佐和が言ってたの。『チョコレート工房は変わっちゃった』って」

「そうか……佐和が……」


 小春は左腕で銃を突きつけながら、男の前に立った。

「偉そうなひとはみんな、高い建物の天辺か、地下の一番深くか、あとはそうね……とても綺麗なところにいるもんだと思ってた」


 あの男は、顔を上げると、ふっ、と笑った。

「偉そう? おれが? 元ホームレスだよ」


「偉そうにする人間は、ホームレスだろうと何だろうと変わらないと思うけど」

「つまり、偉そうにしない人間もホームレスだろうと何だろうと変わらない、ってことじゃないの?」


「でもあなたは偉そうだった。いつもいつも」

 あの男は高い声で笑った。

「佐倉小春……サラって呼んだ方がいいか? それとも、『英雄』さん? 佐和から聞いてたけど、こんな皮肉屋だったとはね。それに片腕とも聞いてなかった」


 小春はきつく睨んだ。

「手負いの虎を、舐めない方がいいって、良く言うわ」

「それで……」あの男は、小春の言うことにいちいち取り合わずに言った。「あんた、何しに来た?」


 小春は、男の胸に銃口を向けた。


   *


 小春を降ろし、車を南へと進めていた真也は、狭い歩道でその姿を発見した。長細い、発砲スチロールを抱えた男……なかなか見ることもないほど長大な発砲スチロールで、男は早歩きで道をずんずん進んでいく。


「止まってくれ!」

 真也は思わず叫んでいた。


「すぐに応援を頼む!」

 真也は車から降りると、銃を手に駆け出した。



 木下は、周囲を用心深く見渡しながら、マンホールから這い出した。

 まずは長細い箱を出し、それから、さっと滑らすようにして、身体を地上に出す。地下は電波が良好でなく、アプリの地図は役に立たなかった。しかし、歩く時間でおおよその目安をつけ、あの行軍の圏外まで来たはず……。


 あとは、抗争から逃れようとする一般人のように振る舞えば良い。しばらく進んでから、また進路を南へ進めるのだ。


 そうして、長細い箱を大切に抱えて駆けていると、突然、ほんの少し坂になった頂点から、駆けてくる一団の姿が見えた――避けるべきは、掛け声を上げる例の大集団、そう判断していた木下は、音の方に注意を払いすぎていた。


 その一団は、静かに走っていた。おそらく、向こうも既に気付いているだろう、脇道もないこの道で下手に引き返すと、かえって怪しまれる。ならばいっそ、俯くようにして、素知らぬ振りをしていけば問題ないはず……。


 瞬時にそう判断した木下は、俯き加減で歩き続けた。その一団が通り過ぎる際、ひとりがじっと木下を見つめている気がして、木下は必死に下を見ていた。


「おや……? つかぬことをお聞きしますが、あなたの職業は?」

 通り過ぎて、ちょうどほっとした頃、その男が話しかけてきた。


「私? 私はコンシェルジュをやってたんですよ、ええ、ホテルのね。この荷物はちょっと手違いがあったもので、返しに行くところなんですよ……」

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