第四章 誰が為に 八話

「久しぶりだね、小春……いや、『英雄』さん?」


「佐和、私は小春だよ」

 小春は努めて笑おうとした。


 メッセージを見せた後、真也には烈火のごとく反対され、小春はそれを零下のごとくスルーした。

「罠だ! 君もわかってるだろう!」

 もちろん、小春にもわかっている。が、それでも行かないわけにはいかなかった。


「せめて、人数を連れて行くべきだ。君は『英雄』なんだ。抹殺する気か、利用する気か、ともかく、無事で済むわけがない」


「でも、ひとりでって書いてあるもの。それで佐和が来なかったらあなたを死んでも呪うわ。だって、この時のために、これまでやってきたんだから。それに、私は『英雄』じゃない、ただの同級生殺しよ」


 結局、公園がぎりぎり視界に入るところで真也の仲間が待機し、何か危険があればすぐに駆けつける、小春は身の危険を感じたら、銃声を三発、空に向けて放つ……小春はしぶしぶその妥協案を呑んだ。


 佐和は、あの公園で昔、スズランを摘んだ生け垣に座っていた。

 少なくとも見かけの上では、いつもの佐和だった。

 セレモニー後、化粧も落としたらしい、両手を膝の間に埋め、マフラーに半ば顔を埋めている。


 佐和もまた笑っていた。

「でも、『英雄』でもあるよ」

「ううん、ただの同級生殺し」

「同級生をひとり殺して三人救った。それが英雄じゃなくてなんなの?」


 けれど、それは以前良く見た、優しい微笑みではなく、ずれた歯車のように、どこかかみ合っていない笑みだった。


 胸のうちをいたずらに掻き混ぜるその笑顔に、小春が何も言えないでいると、ふと思い出したように佐和は言う。


「ああ、そういえば小春、あの日から行ってみた? チョコレート工房」

 唐突な質問に、小春は僅か動揺し、黙って次の言葉を待った。チョコレート工房……佐和との思い出の詰まった、ふたりだけの秘密の園……佐和の家の、秘密の部屋……。


 佐和は笑った。

「まあ、行ってるわけないか。うちの親もいないし……まあ、行ってるわけ、ないもんね」


 小春はその言葉の中で把握できた範囲で、佐和の言葉を引き出すために、問いかける。

「佐和の親もいないの……?」

「そりゃ、チョコレート会社だから。小春の親も帰ってこなかったんじゃない? 製鉄会社でしょ?」

「うん、まあ、そうだったけど……」

「まあ、チョコレート工房に今行っても、小春が知ってるとこじゃ、なくなっちゃったかもしれないけど」

 佐和の目が、一瞬、細められた。しかし、小春が疑念に思い、その解答にたどり着く前に、佐和は先ほどのずれた笑みを浮かべていた。


「あれはね、ほんとは私の役割だったの」

 佐和は小さく俯いた。


「私が撃たないといけなかったの。でも、できなかった。別に、英雄になろうってんじゃない、ただ、撃たないと駄目だった……」

「それは佐和が優しい子だったから……」


「それじゃ駄目なの!」急に佐和が叫んで、小春はびくりとした。

「それじゃ駄目なの……」

「それが佐和だよ」


 佐和は静かに首を振った。

 その両手が、首の動きにつられて、揺れた……両手には銃が握られていた。

「同級生ひとり殺せなくて、どうやってこの世界を救えるって?」


 小春は、佐和の言葉を正確に理解した。

「佐和、佐和はあの男にたぶらかされてるだけ」


 佐和はもう一度、首を振った。

「違うよ、小春……。小春、わかってる? この世界はほんとに酷い世界だよ……同級生ひとり殺すのが、石ころ蹴飛ばすように思えるくらい、ほんとに酷い世の中なんだよ? ……そんな世界を変えるっていうんだもん、同級生ひとり殺せなくてどうするの!」


 小春はたじろいだ。佐和は目を萎ませて泣きそうになっていた。

「それで……だから、賀谷かがを見殺しにしたの……?」


「見殺し……?」佐和は目を擦りながら、笑った。「違うよ、私が呼んだの。それで、私が計画立てたの」佐和は、はっきりと言った。「だから、私が、殺したの」

「佐和……」

「だから、私が殺したんだよ、小春……」

 その手から、銃が落ちた。


 佐和は泣いていた。

 小春は反射的に佐和に近づこうとした。

「来ないで!」


 小春は、足を止めた。

「佐和、忘れちゃったの……? 昔のこと」

 佐和は勢いよく銃を拾って小春に向けた。その手は震えている。

「来ないでよ!」


「佐和には無理よ」

「できるもの!」

 声と共に、銃は火を吹いた。弾は小春の足下の地面を穿うがち、小さな黒い跡を残した。


 佐和は泣きながら、銃を構えていた。


 しばらくその涙を見つめ、小春は声をかけようとして、止めた。


 佐和の涙は震え、銃口が吐き出す先を探すように揺れていた。その涙に、その銃口にかけるべき言葉が、小春にはわからなかった。


 小春は唇を引き結んで、佐和に背を向けた。静かな泣き声が小春の背中を追い立てるように聞こえていた。


 公園を去ってからも、瞼の裏でちらつく拳の戦慄わななきと、耳の中で反響する佐和の泣き声は、いつまで経っても止むことがなかった。

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