第三章 ユエと結え 十一話

「『英雄』さん、一目お見かけできて光栄です!」


「いやあ、お美しいですね。こんな綺麗な方だとは知らなかった! おれ、付いていきます。火の中水の中草の中、どこへでも! 一番危険なのは草の中ですよ、今や」


「こんな非道な世の中で、さぞ立派な振る舞いをされた。まだ世の中には希望があるんだと、私どもも救われた気がします。あなたも、どれほど苦しかったことでしょうね……。いやそんな首を振ったりなんかなさらず、どうぞこれを受け取ってください」


「あんた、そんな謙遜すんじゃねえよ。下手に生きてるこっちが恥ずかしくなんじゃねえか。ほら、これ持ってけ。頼むから」


 こういった言葉に、小春はいつも決まり切った句で返すのだった。

「いえ、ほんと、私、『英雄』なんてものじゃないんです……。ほんとに……」


 幾度同じようなやり取りと交渉を重ねたことだろう。

 小春は、その場にいて、ただ、そう返すだけで良かったのだ。


 小春としては『英雄』と崇められる時ほど、身の狭い思いをすることはなく、そっくり本心だったのだけど、相手は小春の返答に深く頷いて、黙って契約書に追加の物品を書き込んだ。


 小春は戸惑いながらも、次第に無気力に支配されるようになった……慣れてしまったのだ。それだけで集団は大きくなり、小春はますます集団から必要とされるようになり、それにつれて忙しくなった。


 そんな日々を幾日も幾日も繰り回すうちに、交渉におもむく地理的範囲は広まった。集団の人数はとうとう三百人を超えようとしていた。


 小春は広く、有名になっていた。新たにおもむく交渉の場で、小春を知らない者はなかった。


『電車ジャックで、三人の友人を救った英雄』


 その名称だけが独り歩きしていた。


 そして、有名になった英雄に、自由はなかった。


   *


 集団は急速に拡大し過ぎて、『歯車』とは下手に接触できなくなっていた。


 もっとも、『歯車』はあまりに大きすぎて、統一的な行動は全く取れていないように見えた。


 『歯車』には、加入する条件もなければ、集団内の細かな規則などもない。メシアンの宣託には従い、旧社会を変革する一員かつ一因となればそれで良かった。


「おれらがメシアンの宣託の正当な受け手だ!」

「いやなに、こちらが真の『歯車』の継承者だ!」

 そう主張し合って、いったい何人が死んだのか、計り知れない。


 つまり、『歯車』と接触すると一言で言っても、いったい『歯車』の本体というものがどれで、どこと接触すれば良いのか、その判断さえままならないというのが実情だったのである。


 いつまで経っても、佐和との邂逅かいこうを果たす糸口の、その見込みさえないのに、小春は次第に苛立っていった。

 シナやユエ、セキの笑顔のためだけに、頑張っているようなものだった。


 そんな頃、『歯車』の本部が大規模なセレモニーを開くという動画が、ネット上に出回った。

 あの男が自ら宣言したのは、以前の動画以降、初のことだった。

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