第三章 ユエと結え 七話

 リナの言葉の意味するところを、確かに理解して、小春にしてはなかなかに珍しく、大きな憤りを憶えた。


 その憤りを抑えに抑え、小春は尋ねた。

「……どこから、どこまで計画してたの?」


「ところがさ、あの電車ジャック自体は、半分以上、自然発生的だったのさ」

 流石に小春は眉をしかめ、次の言葉を待った。


「つまりね、フラッシュモブみたいなもんさ……あるのは大枠だけ。主犯格だけ決まってて、あとはばらまいて、はい、おしまい」

「どういうこと?」

「この先は通行料がいるよ」

「何払えばいいの」

「一生涯かけてうちに服従するっていう誓約と行動。手付金として、うちの身の回りの雑務、それには囚人たちの排泄はいせつの後始末も含まれてるね」

「……ふうん。つまり、あなたにとっても綱渡りって? ……でもどうして電車ジャックなんか?」

「それは本人に会って聞きな」


 その本人とは誰のことか、小春はすぐに悟った。

「……あなた、知ってるの、あの男」

「まあ、知ってたからね、もともと」

「……なんていうの、あの男」

「は?」

「男の名前」

「さあね」

「知らないの? なんで。今言ったじゃない。もともと知ってたって」

「急に勇み足になったもんだね。個人的な恨みでもあるのかい?」


「……別に」

「まあ、いいさ。別にあんたがあの男をどうしようともう、うちは知ったこっちゃない。だいたいねえ、あいつ、好きに呼べって言ってたんだから。今でも、好きに呼ばせてるんじゃないの? まあ、全身真っ黒だからね、カオナシだとか、ミスター・ブラックだとか、カラスとか、みんな勝手に言ってたよ」

「ふうん……それで今どこにいるの、あの男」

「さあ。もう知らんね。なにせ、知ってたっていっても、ほんのちょっと話した程度さ。当日は、まあ多少、やり取りしたけどね」

「そう……」


 小春の炎は急速に萎んでいった。小春が黙ってしまうと、沈黙が二人の間で鎌首をもたげようとした。


「もう、済んだかい? うちのこと、信じる気になった?」

「……結局、なんにも聞いてない」


 リナは首を振って、ため息をついた。

「あんた、自分の大切な人が死んだ経験、あるかい?」リナの口調は、これまでの中でもっとも淡泊だった。

「……ない。誰?」

「娘だよ」

「そう……。それで、復讐?」

「そうとも。あの子を死なせた、この社会と、私自身のね。自殺だよ」


 小春はふと、あの男が話した内容が頭をよぎった。

「あの男も、同じようなこと、言ってた」

「そうさ。あの男も同じようなもんさ。

 良く言ってたよ、優しくて、まっすぐで、賢い子だったって」


 小春の中で渦巻いていた憤りは、もう萎んでいた。

 一度冷静になってみると、気が付いた。今までどうして失念していたのだろう、己のことを愚かしく思う程だった。小春は慌ててスマートフォンを取り出し、真也から送られていた動画を見せた。


「ねえ、あなた、この子知ってる?」

「ははあ、なるほど。それがあんたの大切な人ってわけね」

「あなた、あの男と会ったことあるんでしょう。じゃあ、知ってるでしょ? 佐和っていうんだけど。聞いたことない?」

「知らないね。残念だけど」


 小春は大きく肩を落とした。ようやく佐和への手がかりが掴めると思い、期待が急速に膨らんだ直後のことで、一層、落胆は深かった。動画を見ていると、今すぐにでも佐和と会えるような幻覚に陥った。


「あのね」動画を流し続けながら、小春は言った。「私、この子と一緒にね、よく繋いだの、この右手で。すごくね、優しい子だった。すごく、すごく、優しい。あんな優しい子、どこにもいない」


「あら……あんだけ超然としてたのに、急に人間らしくなったね。あんた」

「何よ、私は人間だよ」


 リナは笑った。

「それで、そんなに『歯車』のことを知りたかったってわけ?」

「私、佐和と会わなきゃ。会って、話して……」

「それで?」

「説得して……」

「それで? どうすんのさ、話がつかなかったら?」

「つかなかったら……」

「殺すのかい? あのお友達みたいに」

 リナは笑っていなかった。

 小春は、何も答えられなかった。

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