第三章 ユエと結え 六話

「ここはね、要塞! 要塞って言っても過言じゃない」


 川のほとりを、リナは軽快に軽快を重ねて歩いていく。

 その半歩後ろで、小春は警戒に警戒を重ねていた。


「親戚同士、積もる話もあるだろう」

 ユエはそう言うと、校舎から川に戻る道のところで、リナにあっさり、小春を引き渡した。


「だってほらご覧、ここは三方が川に囲まれてるし、残った西部は鉄道の車庫に繋がった線路が拡がってて、おまけにあれ」

 リナは川の反対側、校舎の頭から山脈のように突き出た高層マンション群を示した。


「フリーライダーって話知ってる?」

「え?」


「フリーライダーよ、つまりただ乗り。

 実はうちらね、あのマンションに住む人たちとある契約を交わしててね。ここへやって来る道は線路のおかげで大きく四本だけ、そこから出てる小道もほんのちょっとで、しかもどの道も、あのマンションの間を通らないといけないし、その四本の道は駅の方までずっと延びてて、マンションからの見晴らしは抜群。それで、住人たちは当番制で二十四時間監視して、不審な影とか、不審な動きを見たら、うちらに連絡することになってるの。それで、連絡を受け取ったら、うちらが警備と対処に当たる、と。


 住民は自分で対処するなんて、そんな不公平なこと、とてもやりたがらないからねえ、自分だけが損して、侵入経路を守る、つまり、他の住民がただ乗り……フリーライダーになるのは、許せない。けれども、不審者が勝手に荒らし回ったり、銃をぶっ放されたりするのはもっとかなわない。だからこういう話になってるわけ。うちらとしてはマンションが天然の監視をしてくれて、いちいち毎時間監視に人員を割く必要はないし、不審者に対応する時間も確保できるし。いわゆる、win-winの関係ってわけよ。それに……」


 そこでリナは声を急に低く、小さくした。

「大きな声じゃ言えないけど、有事の際には、マンションが第一線の防衛ラインになってくれる。後は、川に架かった二本の橋を厳重に監視すれば、防衛にはうってつけの拠点ができあがる!」


 大きな声で言えないと言う割には、リナの声が小さかったのはほんの一音節か二音節くらいなもので、すぐに朗々とした語りになった。


「それで、われらが悩める姫君、サラさんは、何故、そんな堅固な要塞のなかで、そんな不安そうな顔をしているのかな?」


「そうね。まずは不安じゃなくて疑念だわ。だいたい、あんなにも容易く老人を撃ち殺せる人を隣にして、どうして安心できるの?」


「はっは」リナは笑った。「容易く撃ち殺せるってあんたが言うかね! そういうの、ブーメラン、って言うんだよ。知ってる? ちゃーんと、憶えてるんだから。あんた、あの五人組の高校生でスパーンと同級生撃ったあの彼女でしょ?」


「あれは、ああしなきゃ仕方なかったから……」

「え? じゃあうちらが仕方なくなくあれをやったって? 馬鹿言っちゃ駄目だよ、人間みんな、仕方なくやってんの、その時々で。それ以外にできなかったから、それやってんの。うちらだってそうさ。ああしなきゃ、仕方なかったのさ」


「百人に聞いたら九十九人が仕方なくはないって、あなたの行動を判断するでしょうね」

「百人に聞いたら百人がって言わなかったあんた、偉いよ!

 でも、仕方なかったか、仕方なくなかったか、他人がどうして判断できる? そりゃ、あんたみたいな、目に見えて強制力がある場合は別だけどね、でもやっぱり、うちらは仕方なかったのさ」


「言ったもんがちね」

「はっは。あんた、なかなか言うね」

 見た目はなかなか上品なリナは、話し方と笑い方に力強さがあり、妙にちぐはぐだった。


「いやあ、あん時もあんたのこと見てたんだよ、だって、なかなかできるもんじゃないからね」

「あの時は、手が勝手に動いた、それだけよ」

 そう言ってしまってから、いや、いつもそうだったのではなかったろうかと、小春はふと思った。


「誰でもできることじゃあない。あんた、英雄だよ」

 リナの口調は穏やかなものだった。その親しみにかたどられた笑みにつられ、つい小春の口は開いていた。


「でも私、やっぱりおかしいのかな……同級生のひとりにも言われた。同級生殺して、なんでそんな反省してないのかって」

「そりゃ、言うだろうさ、世間様は。けども、うちらは世間様のために生きてるんじゃなかろう?」


「なんか、ふわふわ浮いてるんだよ……夢の中で生きてるみたい……だから、あんまり、自覚ない」

「自覚ない方がいいかもねえ。荷物が重すぎれば、潰れちゃうよ? あんた、無意識にそれを自覚してんのさ、んで、忘れてる。それにしても、やけに素直に言ったもんだね」


「だって、あなたがいたから、嘘ついたってしょうがないでしょ」

「あんたが嘘ついても、うちは黙ってるつもりだったけどねえ」

「でも、あなた、なんで嘘ついたの?」

「あんた、ほんとのこと言ってほしかったのかい? 彼女は電車ジャックの時に、いとも簡単に同級生を撃ち殺せる人間ですって」

「でも親戚なんて嘘つく必要なかったわ」

「ユエは優秀だよ、それで大体察するのさ。ほら、そんな警戒してないで。だいたいうちがあそこであんたをおとしめてなんになる?」

「さらっと嘘つく人は、何か裏があるんじゃないかと思って警戒しちゃうのは、仕方ないと思わない?」

「わかった、わかったから!」リナも流石に呆れた顔をした。「あれは歴とした善意だよ、善意。ここも、一枚岩じゃあ、ないからね。あの席だって、水面下ではぶつかってたんだよ、ほんとはね。だから、うちなりに配慮したんじゃないか」


 小春は、眉をしかめた。

「一枚岩じゃない?」

「まあ、いずれわかるさ」


 橋までたどり着くと、見張り役だろう、数人、陣を取り、橋の向こう側を双眼鏡で眺めていた。そのうちのひとりが、リナと小春に気付き軽く会釈した。

 小春も会釈で返した。


「ふうん……それで、あなたは?」

「何が」


「とぼけないでよ。まだ聞いてないじゃない。その仕方ないっての」

「そこまであんたに言う必要がどこにあるんだい?」

「そもそも、私があなたを信用できないって話よ。電車ジャックのテロの実行者で、いとも簡単に人を撃ち殺す人を、どう信用しろって?」

「やれやれ。しつこいのは嫌われるよ」

「嫌われるのは慣れてるもの」


 リナはかっかっ、と笑った。

「じゃあ、ヒントだけやるよ。『歯車』ってのはね、もともと、あの電車ジャックの参加者で作られてるのさ」

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