第三章 ユエと結え 五話
川はゆっくりと、堤防を下っていく。
学校のすぐ裏に、堤防が張り巡らされているのだった。川は太陽の光を受け止めて、眩しく、押し返している。その光が、小春の目の中できらきらと瞬いた。
「済まなかったね。怪我をしているというのに。あんな、茶番じみたものに付き合わせてしまって」
「ええ、全くよ」
小春はにこりと笑った。
「でもむしろ、あなたたちに称賛を送りたいくらい。世の中の大人たちだったら、とっくに専制政治になってるだろうしね。あの木下みたいな大人だったら。でも良かったの? 私の決定。一応、人殺しよ?」
「ここにいるのは、みんな似たようなもんさ」ユエは笑った。
「ただ、われわれとしても、事実を把握し切っていたわけでもないし、確信していないことも多かったのだよ。例えば、君も薄々察してると思うけれど、僕らには、指紋検出器なんていう精密機器は持ち合わせていないし、その検査ができる知見を持ち合わせている人物もいない」
川は半円形を描くように蛇行し、小春たちのいる場所がまるで孤島のように見える。海が近いのか、仄かに、潮の香りがする。
「ただ、あの銃が彼のものでなかった可能性は高かったのだよ。
彼は他の企業にロボットを入れ、その会社の従業員を大量に解雇するコストカットのプロジェクトをかなり大規模に、それも幾つも、行ってね。多くの解雇者たちから恨まれていた。その数があんまり多かったから、独自の調査部隊もできあがったくらいさ。彼を始め、そのプロジェクトのチームが全員、リスト化されて、標的になっている、今だにね。そして数日前、一度、大規模な襲撃が行われて、その時、大量に死んだんだよ。相当、銃を撃ちまくる人間がいたらしくてね、途中から別の集団が加わる事態にもなって、なかなか酷い有様だったそうだが、彼がその場に居合わせたという情報をわれわれは掴んだのさ。あの場を生き残ったなら、弾切れになっていないわけがない、そう判断していたのだよ。
君が重罪人という可能性も捨てきれなかったしね。まあ、少なくとも私は、あのグラスの一件で、君のことを限りなく白に近いと判断していたけれど」
「あの人、やっぱり悪人だったのかな……」
陽は低く昇り、広い視界を曇りなく照らしている。対岸や付近の道路に動く車の影はなく、人影もなかった。
「アイヒマン裁判という有名な話があってね。
彼はどこにでもいる、普通の人間さ。普通の人間が、特定の状況で虐殺を起こすのは良くあることさ。普通のことなんだよ。
ただ、彼はもう、殺して奪うことの容易さを味わってしまった。その味を忘れることはできないだろうね」
ユエは穏やかな口調だった。
「君は、結局どうするんだい。われわれと一緒にいるかい?」
小春は川を見つめて、黙っていた。誰かの言葉が、ふと、蘇った。
「無理強いするつもりはない。が、君さえよければ、歓迎するよ。それも、大のつく歓迎さ。君の誠実さはみな良く理解したことだろう」
小春は、それから更に数分ほど、黙っていた。
「ここまでしてくれたことは感謝してる。けど、私、もう行かなきゃ。あんまり、居すぎちゃったから……」
「何かあるようだね」
「私、ひとりの友達を探してるの。すごく、すごく、仲の良かった友達……『歯車』にいるって」
すると、ユエは目を光らせた。
「いや、そういうことなら、むしろ、君はここにいるのが良い。
なあに、僕らは、いつかは奴らと接触しないといけないと思っていたのだよ、どんな形であれね。丁度いい機会さ」
「でも、私はお尋ね者よ?」
「さっきも言ったろう? ここにいるのは、みんなそうさ」
「話すことはまだあるの」
「はっは。なかなかどうして、君はたくさん抱えているんだね」
「私の本当の名前はサラじゃない」
ユエは笑った。
「いや、君の本当の名前はサラさ。君がそうだと思うなら。そして私も君と同じ意味で、ユエが本当の名前だよ。もっとも、名付け親が名付けた名前が本当の名前だとするなら、私の名前も、ユエじゃない」
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