第三章 ユエと結え 二話

「ここは再開発地区でね、少し特殊な立地なのだよ。緑も多い」


 悠々と一面を見回しながら、ユエは小春の前を滑らかに歩いていく。


 その足の向かう先には、腕を百二十度毎、三方に伸ばした特徴的な建物がある。

 その頭から突き出た、空を支配するような絶壁……空まで届くマンションが、さらに向こうで幾つも連なっているのだ。


 それが彼の言う特殊な立地なのだろうかと、小春は漠然と思い巡らした。

「それに、空が広いんだね……都内にしては」


「それも、われわれがここに居を構えた理由のひとつさ」

 ユエはその若干古風な物言いといい、泰然たいぜんとした調子といい、どこか人の目を惹かずにはおかないところがあった。その横を、ゼンが頭ひとつ分高く、のっしのっしと歩いていく。


「ユエ!」

 一行が振り向くと、真っ直ぐな黒い髪を綺麗に流した、若い女性の姿がある。女性はユエとゼンの後ろに控える小春に気が付くと、足先から頭のてっぺんまでじろじろと眺め回した。


「やあ、シナ。ごくろうさま。変わりはあったろうか」


「あるよ、今この瞬間ね。住民の方はないけれど」


「ああ、彼女は例の彼女さ」


 シナは納得したように頷いた。

「ああ、例の……」


「ところで、話があってね。タカのことさ……」

 二人が何やら顔を突き合わせて話し出してしまうと、小春はゼンと二人、渡り廊下に取り残された。


 小春がちらと見上げると、ゼンがちらと見下ろし返す。けれどゼンが見下ろす時には、小春はもうそっぽを向いている。ゼンの暑苦しい視線を感じて、小春は言った。

「何よ」


「いや、そりゃ、こっちの台詞やって」

 ゼンは気怠そうにため息をついた。


「言いたいことあるなら、言えばええねん」

 その言い草にむっ、として、しばらく黙っていた。が、それも馬鹿らしくなった。


「彼は、リーダーなの?」

「彼? ユエか? ちゃうで」


 十二月に相応ふさわしい木枯こがらしが、渡り廊下に小さなつむじを作った。

「……なんで言わないのさ」


「何をやねん」


「彼が何してるのか、ここで。まさか、風が答えてくれるとか言うんじゃないでしょうね」


「おれは訊かれたことに答えただけやろ。そんな牙を向けられる覚えはないで」


「……早く言いなよ」

「……ようそんな言い方で話してくれると思うわな。だいたいそれはおれの言うことちゃうよ。訊きたきゃ本人に訊き」


「でも彼はあなたの他己紹介をしたわ」

「それはおれがすぐにすべきやった自己紹介ができとらんかったから、ユエが代行でやっただけ。そういう調整も彼の為すべき分のうちよ」


 小春はため息をついた。

「あなたたちって、いつもそんな面倒臭い話し方するの? よく一緒にいられるもんね」


「おれたちは正しいことを正しい仕方で話してるだけや。それを面倒思うんは、君がおかしい世界でおかしい話し方に慣れ過ぎとっただけよ。それに、君みたくいちいち棘をぶつけんだけずいぶんマシやと思うけどな」


「あなたも大概よ」

 二人がそう続けていると、ユエとシナの二人が戻ってきた。


「二人とも、待たせて悪かったね」


 シナは見るからに眉根を寄せた。

「なあに、この二人。よっぽど仲が悪いみたい」


「はっは。二人とも、思う道に真っ直ぐなだけさ。紹介するよ、こちら、シナ。憶えておいてくれ。こちらはサラ」


「よろしく、サラさん」

 シナはにこりと笑った。


「よろしく」

 シナの笑顔は向日葵ひまわりほがらかさだった。その笑顔に当てられて、小春はここに来て初めて笑顔を見せた。


 

「え?」

 特徴的な形の校舎に入り、白い廊下をずんずん進んで行く最中さなか、シナは気さくに小春に話しかけてきた。


「サラ、まだなんにも聞いてないの? 嘘でしょ?」シナはじとっとゼンを睨んだ。「ゼン、ほんと何やってんの。これだから男は……」


「仕方ないやん」ゼンは決まり悪そうに答えた。

「ずいぶん喧嘩腰やってんから……こいつが」


「当たり前でしょう!」

 シナは叫んだ。


「起きたら右も左もわからない病室に連れ込まれてて、男と二人、警戒しないわけないでしょう! 馬鹿じゃないのあんた? ほんと男ってのは、気が利かないね。サラ、もし今後失礼なことゼンがしたら、うちに言いなね。ほんと信じらんない!

  でもサラ、訊くことはちゃんと訊かなきゃ駄目、サラ自身の身を守るためにね」

 小春は頷いた。シナはいまだに、ほんと信じらんないわ、と呟いている。


「でも、訊いていいことなの?」


 それには、前を歩くユエが答えた。

「世の中に訊いてはいけないことなんてないさ」


 小春は隣のゼンを上目で睨んだ。ゼンはさっ、とそっぽを向いた。


「訊き方を変えるわ……訊いたら教えてくれることなの?」


「それを当の相手に尋ねる辺り、君はやっぱり独特なセンスをお持ちだよ」ユエは笑った。


「確かに、訊き方とタイミングは注意しなければならない場合もある、相手がどういう相手かによってね。そして今回の場合、確かにその判断は微妙なところだった。事情がわかっている者でさえ、微妙な判断に迫られる状況なのだよ。つまりね、」


 ユエは突き当たりの扉を開いた。

「君は今もそうであるように、なかなか警戒を緩めなかったけれど、その姿勢は全く正しい。なんなら、今この瞬間でさえ、君はまだ安泰あんたいの場所にいるとは、決まっていないのだから」


 不可解かつ不審な言葉と共に、促されるまま、小春は扉の中に入っていった。

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