第二章 サイレントナイト 十五話

 この二週間という期間、食料の確保に出向く必要がなかったのが果たして幸か不幸かはわからない。


 けれど、ともあれ小春が出歩かずに済んだのは、親が常日頃から家にいないことが多く、小春がひとりで食べるに十分な食料を買い貯めていたことによる。


 いよいよ外に出ないわけにはいかなくなり、小春が重い腰を上げた……その時、スマートフォンが身震いした。


 真也からだった。小春もまた、身震いした。

 佐和の名前が、そこにあったのだ。


 恵津子が『歯車』に入っただの、いろんな集団が乱立と抗争を繰り返して危険だの、株価の暴落と暴騰だの、興味と関係のないものの中に、佐和の名前があった。


「ここに、佐和ちゃんが……」


 メッセージには、動画が送付されていた。

 例の、小春が見たあの男の演説を、別の角度から取ったものだった。以前の動画では映らなかったマイクの陰で、侍従のように、佐和が控えていた。


   *


「こんな近いの。知らなかった」


「まあ、同じ電車を使ってるんだから、そんな遠くはないだろ」真也は苦笑した。「君の知らないことは多そうだけど」


 そこは、佐和とよく歩いた長細い公園だった。桜は枯れ、金網が空を覆っているかのようだった。公園に着くまで、道端にはゴミの山が連なり、鼻がへし折れてしまいそうな強烈な臭いが充満していた。


「それで、佐和のことで知ってることって?」


「君の場合、教えたらさっさといなくなりそうだね。君から教えてよ。知ってること」


「でも、なんにもない。ずっと家に籠もってたもの」


「佐和ちゃんとの連絡は? 君、幼馴染みなんだろ?」


「あったら……」小春は苦々しく答えた。「あったら、わざわざ来ない」


 真也もまた、苦笑した。

「君、ほんとに歯に衣着せぬ言い方するよ」


「それで、教えてくれない? 佐和について知ってること」


「おれだって知らないよ。送った以上のことは」


 街が死に絶えたように人通りはなかった。もっとも人影があれば、二人はこれほどのうのうと話してはいられなかっただろう。


 石垣に座って、真也は銃を取り出した。

「これについても、何か知らないの?」


「知らない。そんなの」


 真也はため息をついた。

「まったく、非協力的だな」


 真也はもう一度、ため息をついた。

「ずっと聞きたかったんだけど」真也は銃を眺め、ちらちらと小春を見た。「君、どう思ってるの……その、銃を使った時のこと」


 小春はきょとんとした。というのも、今の今まで、まるで意識してこなかったからだ。ほとんど忘れてしまっていた、と言っても良い。

「さあ」


「『さあ』って」真也は声に怒りを滲ませた。「人を……しかも同級生を殺しといて、『さあ』はないだろ。『さあ』は」


「そんなこと言われたって、どうしようもなかったんだから、仕方ないじゃない」思わず小春も言い返した。「私が撃たなかったなら、みんな死んでたか、私が死んでたわ。多数決で選ばれて」


「それはそうだけど」と真也。「それと、撃った後にどう思うかは別の問題だろ」


「あなたは立派だったわ。何もできなかったけど」


 真也は再三のため息をついた。

「やっぱり、君とはわかりあえないな」


 真也は自分の銃を弄るように眺め回した。

「恵津子は、『歯車』に入ったよ」


「へえ」


「よっぽど関心がないんだな。クラスの一員なのに」


「クラスのほとんど話したことがない人なんて、他人と変わらない。卒業したら会うこともない他人のことを、いちいち気にする人なんていない」


「そうは言っても、恵津子はあの時、一緒にいたじゃないか。ただの他人じゃ、ないだろ」


「あなたにはそうでも、私には他人よ」


 真也は目尻を釣り上げて小春を睨み、声を荒らげた。

「恵津子はな、潤が死んだのをひどく苦しんで、結局、『歯車』に入ったんだよ。どこが君と無関係なんだ?」


 段々、小春も苛立たしくなってきた。

 なんでこの男はこんなにやかましいんだろう……視界に目障りなんだろう……耳に五月蠅うるさいんだろう。

 そう思うと、小春の中で、これまでずっと抑えていたものが噴き出すような感覚があった。

「それこそ、あなたには関係ないでしょ? 私と彼女の関係よ。なんであなたがそんなにわーわー言わなきゃいけないわけ?」


「だから、関係なくはないって言ってんだよ、あの場にはおれも居たし、潤を撃ったのは君だし、潤も恵津子もおれの友達だ。どこが無関係なんだ?」


「じゃあ、どうしろって? そんだけ血気逸って私に食ってかかってきて、私にどうしろって?」

 小春は強く睨み付けた。


「私を責めたいだけ? 日比谷ひびやを撃ったことを反省して欲しいって? 私が死んだかもしれないのに? あなたの傲慢を私に押しつけないでよ。正義感振りかざして、結局、何もできなかったくせに!」


 小春が冷たく見下ろすと、真也は言い淀んだ。

「おれはただ……」その視線は路上に注がれていた。「おれはただ、こうなったからには、ひとりじゃ生きてけないって、言おうとしただけだよ……」


「忠告ありがとう。でもひとりじゃ生きていけないからって、群れる必要はないわ」


「無理さ。こんな世の中じゃ、無理……」真也は、何かを理解したような顔をした。「君、もしや、人を信じ過ぎてるんじゃないのか?」


「それはない」

 そうとも、それはあり得なかった。


 真也は目を細めて小春を見た。それから、首を振った。

「……それで、これからどうするんだ? 誰かに殺されるか、飢えて死ぬまで、じり貧で生きるのか?」


「私は佐和を探すわ」小春は自販機でペットボトルを買いに行くような、軽い調子で答えた。「それで、会うの。会って話をするの」


「やけに簡単に言うもんだ。もう世の中、外を出歩くのさえままならないってのに」真也は首を振った。「どこかの集団なりグループなりに、入れば良い」


「群れるのは苦手だから」


 真也は苦々しい顔を一層渋く、歪めた。

「どうしてそんなに頑なになる? 今じゃ、数少ない、信頼できる人間だぞ……そんな相手に心を開こうとか思わないの?」


「こういう風にしか生きられないんだから、仕方ないじゃない!」

 小春はそう言い切って、公園を飛び出した。


「そんな風に生きてると、いつかすべてを失うぞ!」


 真也の大声は、小春の背中には届いたが、決して追い越すことはなかった。

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