第二章 サイレントナイト 十三話

「われわれは、三日前の主犯たちを複数、捕らえた」


 低く、静かで、しかし不思議とよく通る声だった。


 黒コートがそう言った直後、画面の三辺に、男女入混いりまじった全身の写真と名前が映し出された。覆面がかけられていて、名前には全て、(偽名)と書かれている。


「われわれの同志が、多数、各電車に乗り合わせ、各々の判断で、主犯たちの跡をつけたのだ。現場に居合わせた者たちは、この写真の人物が主犯たちだと気付くだろう。

 何せ、事件の現場では覆面を被っていたのだし、服装は当時と同じなのだから。


 だが、われわれは警察に引き渡すつもりはない。


 確かに、彼ら彼女らは、無差別に殺し過ぎた。それを擁護するつもりは全くない。今後、彼ら彼女らによって、しんに正しき人間が不当に殺されることがないよう、万全を期そうと思う。そのため、もう誰も電車ジャックに怯える必要はない。


 ただ、私はあんたたちに問いたい。


 彼ら彼女らがあのような行動を取ったのは……いやもっと言えば、あのような行動を取らざるを得なかったのは、何故なのか。あるいは、彼ら彼女らをあそこへ追いやったのは、一体誰なのか。


 そう、真に罰を受けるべきなのは、誰なのか。


 結論から言おう。それはあんたたち、ひとりひとりだ」


 黒コートの男は、淡々と語った。まるで、清水きよみずが泉に落ちるように、静かに画面のなかに零れていく。


「例の事件から今日まで、警察の大半は要人と大企業の護衛、銃の回収に集中していた。そして拒んだ者たちに精神的な苦痛を負わせた。


 あんたたちから身を守る道具を奪い、大人しく従順な歯車の一部にするために、四苦八苦しているわけだ。彼らは今後、テロリストという口実を旗印に、あんたたちをひっ捕らえようとするだろう。


 率直に言おう。今後警察は不平等の盾となり、不正義の烙印らくいんとなるだろう」


 黒コートはそこで、声のトーンを変えた。


「ある人間が富めば、同じ分だけ誰かが貧しくなる。蹴落とされる者がいなければ、上に上がる者もいない。


 つまりピラミッドだ。ピラミッドにならなければ、これまでの社会は成立しなかった。


 歴史をひけらかしたい人間は言うだろう。『いや、みんなが豊かになった時代があった』。


 が、それは、高度経済成長期に日本全体が富んだ代わりに、他の国の人々が損失や貧困を抱えた、それだけのことだ。加えて、資源がこれからも見いだされようとしていた。今や資源は減る一方だ。


 しかし、資源がうなぎのぼりに掘り起こされている時でさえ、貧富というのは生まれるものだ。いや、生まれなければいけない。この経済体制を取っている限り。


 資本主義は恐ろしいほどの強欲と傲慢によって支えられている。貧富の差が生まれなければ、資本主義が成り立たない。


 小学生でも知ってることだ。誰かが得をするには、誰かが損をしなければいけない。誰かが一億円の資金を作ったその裏で、数十人が飢えて死ぬ。この前提でなければ、資本主義は成立しないのだよ。


 これに気づいた人間の取る態度は、己の利己に従って事実を無視するか、その是正ぜせいに苦心するか、絶望して死ぬか、だ。


 歳を取って生き残った人間は言う。

『そうは言っても金は大切。自分だって生きなきゃいけない……』


 そして、その事実をなかったことにする。しかし、この言葉には続きがある。

『車はないと困るし、ちょっとくらいの贅沢はしたいし、やっぱり、一日に一回はチョコを食べたいし……』


 彼らは言う。『自分は努力してきたのだから、その当然の恩恵を受けているだけだ』と。『貧しい人間は努力しなかったその報いを受けているだけなのだ』と」


 その声に、次第に熱が籠もっていく。


「努力というのはずいぶん便利な魔法の言葉だ。いかにも公平に見えるし、可能性と未来があるようにさえ見える。そう、複雑な世界を正当な建前で覆い隠し、世界を単純にするのに、これほど役に立つ言葉はない。


 が、その実、都合の良い言葉で不都合な事実を覆い隠し、目を背けているだけに過ぎない。いやもっと言えば、己の自尊心と利益を守るために、張りぼての言説を作り上げている。


 努力はみんな公平には、決してできない。子どもでも知っていることだ。


 みんなが努力したとすれば、努力は根本からその価値を失ってしまう。努力したことを誇ることもできなければ、努力していない人間を蔑むこともできない。そして、努力によってもたらされると言われていることを、保証できなくなる。


 つまり、『努力すれば報われる』、この嘘の言説がいかにも本当であると一般人に思わせておくことで、利になる人間がいる!


 そしてそれはまた、貧困も同じことだ。貧しいひとがいるから、富んだひとは誇り高くあれる。貧しいひとがいるから、裕福なひとは存在できる」


 黒コートは、懐から折りたたんだ紙を取り出し、拡げた。

「ここに、一通の手紙がある。

 

『わたしのお父さんは、会社をかいこされました。なんでも、ロボットの方がゆうしゅうなんだって。


 わたしのお母さんは、そんなお父さんにあいそをつかして、毎ばん、他の男のひとと出かけて行きます。


 でもしょうがないね。私、なれてるから。しょうがないね、って、そう思う。


 でもみんな、辛そうです。がまんするために生まれてきたみたい。


 みんな言います。世の中には、もっと辛い思いをしてるひとがたくさんいるんだよって。だから私は幸福だし、がまんしなさい、だって。


 じゃあ、この先、生きてても、おんなじかな。


 なんでずっと、大変な思いして生きるんだろう。


 バカらしい。とってもバカらしい。


 別にもう、そんな辛くもないんだけど、だって、あんまりにもなれすぎて。

 

 でも、生きててもしょうがないなって……これはほんと。


 つかれちゃった。


 ねえ、なんで?


 なんで死なないの、みんな』


 この少女は、あの日の朝、自殺した。


 何歳だと思う? 八歳だ。いいか、八歳の少女だよ。


 彼女を自殺に追い込んだのは、あんたたち、ひとりひとりなんだよ。いいか、ひとりひとりだ。そこには、私も含まれている」


 黒コートの熱を抑えた声はマイクの上を、矢のように飛んで、画面のこちら側へと届いてくる。


「これは過去の話か……?


 これは将来の話か……?


 違う。今、この現代の話だ。この社会で、間違いなく起こっていることだ。


 今この時でさえ、混乱に乗じて儲けている人間がいったい何人いると思っている?


 あんたたちがテロリストと呼ぶ、彼ら彼女らもまた、少女と同じ、犠牲者のひとりに過ぎない。この現代社会の。あんたたちの。


 今一度問おう。真に罰が下されるべきは、誰なのか。


 われわれは、罰が下るべき相手のために、号砲を鳴らそうと思う」


 声明はそこで終わっていた。


 その男は、確かに佐和が付いていった……そして何年か前に小春が出会った、あの男だった。


   *

 

 その日の小春の日記は次の文で締めくくられていた。

 

 私は二つのことを誓おう。


 1、佐和を絶対に取り戻す。


 2、佐和をたぶらかしたあの男を許さない。

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