第一章 フラッシュモブ 四話

 銀色の、シンプルな銃……サイズも、光の照り返し方も、今朝見たものとそっくりの銃が、車両の床で輝いている。


 スーツの男は、今までと打って変わって、ひどく慌てたように叫び出した。

「だ、誰か! 誰か警察だ、警察をすぐ呼んでくれ!」

 見るからに狼狽ろうばいして、スーツが叫ぶ。

「あ、あんた、銃を持ってんのも犯罪なんだぞ……警官から奪ったんだな? この、泥棒め、殺人者め!」

「こ、これは、訳があって……」

 グレーの男は目の周りを赤くしながら、スーツの男を説得しようとした。「き、聞いてくれよ、訳があるんだ……だって、僕にだって訳が……」


「ああ、五月蝿うるさ五月蝿うるさい! この痴漢め泥棒め殺人者め!」

 スーツの男は凄まじい形相で、ポケットから携帯端末を取り出し、弄り始めた。他の乗客は呆気に取られて、事態の推移を大人しく見守っている。


「僕にだって、訳が……訳が、わかんないんだ!」

 もはや、最後は絶叫になっていた。グレーの男は絶望した顔で、頭を抱え込んだ。何か、言葉にならない叫びを挙げながら、勢いよく屈み込む。そのおぼつかない手取りで銃を取り上げると、いまだに、警察だ警察だ、と叫んでいる男に向かって、銃を向けた……顔の側面に平手打ちを食ったような音が、世界を覆った。


 気が付くと、スーツの男は、口を斜め上に開けた格好のまま、倒れていた。


 車内は静まり返っていた。

「こんな、こんなつもりじゃ……」

 グレーの男は銃を構えたまま、震えている。


 スーツの女が、崩れるように、倒れた男に覆い被さった。

「か、和也……」

 がたがた震えているグレーの男は、女の声を受けると、びくんと、大きく跳ねて、

「あ、あ、あああああああああーーーー!!」

 と叫びながら、銃の位置をほとんど変えず、乱射し始めた。


 ぽかん、と事態を見守っていた男性が二人――そのうちのひとりは、例の、細長いスーツ、金鶴だか金本だかという名前の男だった――、血を頭から噴き出しながら、電車に揺られて倒れた。もうひとりのわし鼻スーツは、相方が倒れるのを見ると、泡を喰って、人を突き飛ばして車両の前方へと逃げていった。


 車内は阿鼻叫喚あびきょうかんという言葉におよそ相応ふさわしい状態となった。


 銃の男がいまだ引き金から指を離そうとせず、弾はわし鼻スーツを追って飛んでいく――男の近くにいた乗客はその場でうずくまり、あるいは他の乗客を突き飛ばして男から離れ、はたまたグレーの男をなだめようと、両手を挙げて声をかけようとした。


 それを狭い車内で同時に、誰も彼もが行おうとしたため、タックルを受けて突き飛ばされる人がいれば、他の人につまづいて、盛大なドミノ倒しが生まれていった。

 座っていた乗客たちが無理に立ち上がって逃げだそうとすれば、赤ん坊の泣き声が空気を圧倒した。その上、騒動の発端であるスーツの女が、人殺し! と叫びながら懐から銃を取り出し、目を瞑りながら所構わずぱんぱんやって、とても収拾のつく様子はない。女性の弾は周りの人間の手足に吸い込まれ、無数の悲鳴と叫声と、さらなる怒りと銃声を生んだ。


 小春はと言うと、特に何をするでもなく、ぼうっと立っていた。……どこか、世界が遠かった。ふと、この騒ぎが、この車両だけなく、遠くの方でも起こっていることに気が付いた。

 はっ、と気付くと、佐和を見た。そして、狼狽えた。大いに狼狽えた。


 恵津子が頭を抱えてうずくまり、真也が抜かりなく周囲をうかがい、潤がぽかんと突っ立っている陰で、佐和はかつて見たことがない鋭い目をして、地獄を丹念に観察していたのである。


 佐和の厳しい瞳を見つめていると、小春はひどく不安になった(そうとも、騒動に関してはまるで不安にならなかったにもかかわらず……この今、弾が右へ左へ飛んでいくただ中でさえ、小春はまったく不安にならなかった!)……佐和の瞳を見続けていると、居ても立ってもいられなくなり、小春はとうとう声をかけようとした。しかし、それは敵わなかった。


 車内は凄惨を極めていた。車両の端にいた何人かの耳に騒ぎが届くと、その人らが大慌てで隣の車両へ駆け込もうとした……そこで悲鳴が起こったのだ。


 先頭がばたばたと倒れた。この混沌を収束したのは、果たして、新たな銃声だった。

 それは、隣の車両から騒々しくやって来た。



「まったく、ここも大概だねえ。うちら、いらないんじゃないの!」

 きんきんと鳴る、女性の高い声。


 小春から遠く、後方の隣接車両で、銃声がクラッカーのように盛大に鳴る。そして、朽ちた人々を乱暴に踏み敷いて、ぞろぞろと覆面が流れ込んできた……銃を携えた覆面である。


 明らかに異質な一団だった。

 十人はいるに違いない。

 覆面とはいうものの、シーツを継ぎ接ぎして穴を開けただけのものや、特大の靴下を縫い合わせたものばかり、非常に粗末そまつに見えた。黒や白、グレー、なかにはトラ柄のような奇抜な色まである。服装もまちまちで、電車に乗ったまま、覆面だけ被ったらしい、如何いかにも日常から切り抜いた格好がほとんどだった。それがかえって、一団を異質に見せていた。


 ドンパチやっていた乗客も、その存在に気付いた者から、飼い主に叱られた犬のように大人しくなった。

 覆面の先頭――、一際小さく、黒いガウンのようなものを羽織った、華奢な身体つきの覆面――その覆面が、片手に拡声器、もう片手に銃を上向きに構えて、割れた声を飛ばした。


五月蠅うるさ五月蠅うるさ五月蠅うるさい、静かにしなよ。そんなに五月蠅うるさいんなら、はえの仲間入りでもしたらいい!」黒ガウンの覆面は高く、けれど芯のある声だった。「もちろん、夏の火に入るはえと飛び虫ってね!」

 凄まじく大きな銃声がとどろいた。


 後ろの覆面たちが揃って銃声を鳴らしたのだ。そのうちの一発が、車内の緊急停止信号を撃ち抜いた。

 乗客は水を打ったように静まり返る。赤ん坊の泣き声だけが車内に反響し続けた。グレーの男も、スーツの女性までも、しゅんと押し黙った。


 その間も、覆面たちは、堂々と車内の中央を進み、死体があれば踏み越えていく。覆面が近づくと、その度に、乗客は道を開けた。


「良し!」車両の半ばまで進んだ頃、黒ガウンは口を開いた。


「みなさん!」黒ガウンは車両の中央でくるりとターンした。ガウンがひらりと、傘のように舞う。黒ガウンが歩く度に、特徴的な高い足音がこん、と響いた。


「みなさん! 人間の強欲なごうごうに、称賛と協賛を携えて参りました。われわれはそれに対して、実力を以て、報いるといたしましょう。もちろん、協賛で」

 黒ガウンは天に向かって一発、放った。乗客は一斉に首をすくめた。ぐるりと黒ガウンは見渡すと、銃とメガホンを見せつけるように両腕を拡げる。そして言い放った。


「じゃあ、二人一組になって、撃ち合ってください。下手なことしたら、容赦なし! 以上」

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