第一章 フラッシュモブ 五話

「何? なんで誰もしないの」

 しばらく経って、一向に動こうとしない周りを怪訝けげんに(と言っても、顔は見えないので声音から判断する限り)眺め回し、黒ガウンは、たまたま近くにいた男性に銃を向けた。


 スーツ姿の、四十路よそじ頃の男性だった。

「ねえ。何でしないの」

 銃を向けられた男は、しどろもどろに首を振った。

「ねえ、訊いてるでしょう。なんで答えないのさ。あんた口利けないの」

「そんな……できませんよ」

 男は、声を震わした。


「片方が片方を撃てばいいのよ、自分が撃ちたくなければ、撃ってくださいって頼めばいい。簡単なことよ」

 男の顔が戦慄で引きつった。

「あんた、狂ってる……そんなの、できるわけない……」

「どうしても無理って?」

 男は青ざめた顔で、怖々と首を振った。

 すると、覆面の銃が火を吹いた。

「なんてひどい!」

 頭から赤い液体を垂れ流すスーツを見下ろしながら、近くの老人が叫ぶ。さらに何か言おうと大きな口を開けた途端、その額に風穴が空いた。老人の頭は窓に当たって激しく跳ねた。


「言ったでしょう、五月蠅うるさいなら火に入るはえの仲間入りって」

 銃をぐるっと周囲に向けて、黒ガウンは言った。銃口が自分の前を通る度に、乗客は目を強く閉じ、首を縮めた。

「なんでこんな簡単なこともできないのかしら! 小学生でもできるのに、二人一組を作るなんてさ!」

 その言葉を皮切りに、覆面たちが乗客に向かって、指図を始めた。


 覆面のひとりが小春の方へと向かってくると、小春は途端、佐和のことが気にかかった。

 左手――佐和のいる方を向こうとして、ふと、首が止まった。

 小春は驚愕した。


 というのも、小春の前、車窓の下に並んだ緑の長椅子に、覆面の姿があったのだ。


 確かに、そこには女性がひとり座っていたはずだった。けれど今は、穴を開けた白いセーターを被った覆面が、銃を小春たちに向けていた。

 確かに、服装は同じに見える。小春は必死に思い出そうとした。赤いエナメルの靴を履き、同じく赤い、フリルのついたドレスのような服を着た人だった……確かにそう記憶しているのだが、どれほど懸命に思い出そうとしても、覆面の下の顔は思い出せなかった。覆面から、豊富な金髪が溢れ、はみ出していた。


 今や佐和は、先ほどの厳しい視線を解いていた。いつもの、老犬のように優しげな、けれど緊張の走った目を浮かべている。恵津子はもううずくまってはいず、両腕で自らの身体を抱いて、潤とちらちら目を合わせていた。真也だけが恐怖を目の中に湛えながらも、油断なく辺りに気を配っている。

 真也はちらと、小春の方を見た。小春は視線を感じると、努めて惨状に視線を戻した。


 こちらへやって来た覆面は、小春たちを通り過ぎると、そのまま前方の乗客へと向かっていった。車内を良く見渡せば、確かに、覆面の数は増えているらしい。明らかに元は乗客だったはずの、椅子や窓際に、覆面が出現している。


 ふと、小春は気が付いた。

 近くの扉に、五十を越え、頭頂の薄くなっている男性がいた……その男性が、他の覆面に何か言付けている黒ガウンを厳しく睨みながら、ポケットをごそごそとやっているのだ。

 小春は瞬時に悟った。

 おそらく、真也も気付いたに違いない。

 真也は声を上げようとした――が、その一瞬早く、男は拳銃をポケットから取り出し、女に向けた。途端、乾いた銃声がすぐ後ろで小春の耳を殴った。


 振り向くと、小春の前に座っていた赤ドレスの銃口から、白い煙が細く、棚引いていた。

「ああ、勿体もったいない。命をこんなに粗末にして」

 黒ガウンの覆面は、倒れた白髪の男に近づくと、その顔を覗きこんだ。あんたが言うことか……乗客をそう怒らせることが目的の発言だったらば、彼女は誠に上手くやってのけたことになるだろう。

 けれど鼻息を荒くし、目を尖らせる乗客も、黒ガウンが傍に通りかかると、たちまちそっぽを向いた。


「あんた銃は?」

 黒ガウンの覆面は、車両の奥にいた太った男に、銃口を突きつけた。

「あ、あります」

 声をかけられると、太った男の頬は強張った。

「何で出さないの」

 黒ガウンが苛立たしげに毒づくと、太った男は焦った様子で、背負ったバッグを下ろし、中をいじった。


 しばらく経ってもなかなか見つからないのか、

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 と、男は涙声で言った。電車が曲がりにさしかかり、がくんと揺れる。黒ガウンは長いため息をつくと、そのすぐ傍の女性に向き直った。

「あんたは?」

 女性は手の中で銀色に光る武器を、恐る恐る見せた。

「じゃあ、それでやりな」


 太った男性は、とうとうバッグを逆さにして、中身を全部出そうとしていた……その男性に向けて、黒ガウンはあごをしゃくった。女性は目に涙を浮かべた。

「で、できません……」

 女性はあっ、と小さく声を上げ、すすり泣いた。黒ガウンがため息をつき、太った男を背中から撃ったのだ。ばくん、と一度しなった太った男の、上着のポケットから、銀色が零れ落ちた。

「あんた来な」


 まだ涙ぐむその女性を引っ張り、黒ガウンは向かいの席にいた男性のもとへと連れて行く。その男は既に一悶着ひともんちゃくあったと見え、額から一筋、血を流し、左腕を押さえている。


「そこの、撃つの」

 女性はぷるぷると震えていた。銃を危うく取り落としそうになった。

「あのデブみたいに死にたくなかったら撃つの!」黒ガウンは声を張り上げた。


「あんた、この先も生きたいんなら、ここで強くならにゃ、しゃーないのよ!」

 黒ガウンは震える女性の手を取って、物言わず、動じず事態の成り行きを見守っている男へ銃口を向けさせた。女性の指先を、銃の引き金に押しつける。男は、黙って黒ガウンと女を交互に見つめている。

「撃て!」黒ガウンは女性の耳元で大音声を上げた。


 びくりと身をすくませて、その拍子に引き金は引かれた。女性は泣き崩れた。

「ほら、次」

 黒ガウンは苛立たしげに首を振った。その目線の先、長机の上には、見るからにホームレスの男がいた。すすけた緑のジャケットに、よれたキャップを頭に引っかけて、髭はアマゾンの雨林のように生えていた。


 男の両腕は力なく垂れ、膝の間に埋もれている。

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