第27話「影の忍者」

「ちょこまかと!」


 ヤスケとバードは、校舎の壁で激突していた。

 彼らが立つ位置は魔力の持たない人間からしたら平衡感覚を失わせることだろう。

 彼らは今、校舎の壁と垂直に立っている。

 校舎が上にそびえたつならば、彼らはそこに張り付いている突起物のようだった。


 ヤスケは飄々と走り続けていた。

 壁を走ることは決して簡単な技術ではない。

 魔力を磁石のように変換する作業を、走っている間はずっと行っている必要があるのだから。

 ただ彼は疲れた素振りも見せず、平然に壁を走り続けている。

 

 なぜこのような習得に時間がかかる小技を新入生である彼が使えるのか。

 戦闘が苦手なヤスケは必死に練習するしか生き残る道がなかったから、というのが正解だろう。

 その生き残る道とは戦うことではなく、逃げること。

 そのためには基礎となる練習は欠かせなかった。

 地味で楽しくもない練習をヤスケは丁寧にやり続けてきのだ。

 その地道な練習があったからこそヤスケの動きに無駄はなく、まるで学園生の手本となるような魔力操作を身に着けることができている。


「動くな!」


「あぶねえええええ!」


 しかし、心までは鍛えられなかったようだ。

 彼の精神は異常なまでの逃走状態になっており、バードから遠ざかる足がぐんぐんと動いている。


 バードから放たれたのは、鳥の形をした魔力。

 一つ一つに強大な魔力が込められており、衝突するたびに校舎の壁が壊れていく。


「あんなのくらったら、俺死ぬぞ?」


 焦り顔を浮かべてしまっていると自覚しているヤスケ。

 いくら地味な練習を重ねていようが、戦闘が上手くなったわけではない。


 これまで一度たりともバードと正面を向いて目を合わせていないヤスケは常に背を向けてバードから逃げている。


 しかし、焦れば焦るほど、ピンチになればなるほど彼の動きは軽やかになる。

 所謂、逃げ足が速いというやつだ。

 そして彼の頭にはプライドという言葉はない。

 例え相手が女性だろうが子供であろうが、きっと同じような戦い方をすることだろう。


「うぜえんだよ!」


 バードから三羽のトリが放たれた。

 先までのトリとは違い、今度はヤスケに追いつくような勢いで飛んでいる。


「あーあ、なんかあいつ怒ってるし、なんか今日ついてないぜえ」


 ヤスケは溜息とともに、後ろを振りむいた。

 迫りくる鳥の魔力。

 それを避けるためには、スキルを発動するほかない。


「忍法、『シャドウ・ポート』」


 ヤスケの影が円のような形となり、彼の体がするりと丸い円影の中へと潜り込んだ。

 ヤスケとバードが走っていた校舎の壁は、第一王立学園の三つある校舎のうちのちょうど真ん中に位置する棟である。


 太陽が顔を出している間でも影が作られる、学園の中でも特異な場所。

 だからヤスケはここに来ていた。

 影さえあれば、自由自在に影の中を移動できる。

 本人曰く、魔力のリソースを割くわりにはそこまでの強さはないというが、彼が会得したスキルである以上使わないわけにもいかない。


「影の中に潜めるスキルか。 ただ燃費が悪いだろう」


 バードはスキルの本質を一瞬で見抜いている。

 一見便利で使い勝手がよさそうな能力。

 しかし、スキルというものはそれ相応の対価を必要とする。

 影の中を移動し続けることは、その間常に魔力を消費し続けてしまうのだ。

 

 走っていた方向を九十度傾け、屋上まで一気に駆け上ったバード。

 影から逃げるように、太陽がある方向に向かってバードは進み続けた。


 屋上に辿り着き、周辺を確認したバード。

 真上に太陽が位置し、屋上に存在する影は最も少ない時間帯。

 

「さあ出てこいよ、ビビり野郎!」


 バードのスキル『ウォッチ・バード』。

 鳥型の魔力を放出するスキル。

 バードが展開した三匹のトリが自由に空を飛びまわる。

 この数が自由に操れる限界。

 これ以上のトリを展開することはできるが、一直線に飛ばすぐらいのことしか指示はできない。

 一直線に飛ばすだけであれば十匹ほどのトリを同時に展開できるが、数を多く出したからといって威力が減るわけではない。

 トリ一つ一つに大きな魔力を込められる、それだけバードの魔力量があるということだ。


「——捕まえた」


 バードは右足を掴まれた。

 確認すると、バードの影から右手だけが飛び出している。

 屋上には校舎によってできた影はない。

 しかし、屋上に影が一個もないわけではなかった。

 その影はバード自身が作り出していたものだ。


「そんなことだろうと思ったよ」


 その奇襲を狙ったかのように、バードは右足を大きく上に蹴り上げる。

 釣りのようにして影の中からヤスケが飛び上がって屋上に全身を現した。

 

「うわあ!」


 ヤスケが女の子のような悲鳴を上げて、宙を舞った。

 そしてバードが展開していたトリたちがヤスケに向かって飛んでくる。


「くたばれ、ビビり野郎」


 三匹のトリも獲物を狙うかのように、勢いよくヤスケに衝突。

 激しい光と、重厚な爆発音。

 ヤスケからは悲鳴や痛みの声を上げることはなかった。

 屋上にばたりと倒れ、ピクリとも動かない。

 

「雑魚が」

 

 眼鏡をくいっと上げ、バードはうつ伏せになったヤスケを睨みつける。

 

「スキルが使える程度で、俺とやり合おうとするんじゃねえよ」


 右足でヤスケを蹴飛ばし、まるで汚いものを見るかのような目を向けた。

 ごろごろと転がった生気のないヤスケが仰向けになって止まる。


 しかし、バードはその顔に驚くことになった。

 魔力で作ったトリをぶつけたはずなのに、出会ったときのままの顔だったのだ。

 顔面が粉砕され、体には血や傷跡がついていてもおかしくはないはず。

 それなのに、肌白の顔や明るい橙色の髪は綺麗に整えられていた。

 この異常なヤスケの状態に思わずバードの体が固まる。

 

「————デリート・リミテーション、『影分身シャドウ・クローン』」


「なっ!」


 その瞬間ヤスケの体が爆発した。

 


「敵の戦力を見誤るなよって俺の師匠が言ってたぜ」


 影からひょこっと姿を現したヤスケ。

 倒れたバードは黒こげになっている。

 

「にしても、学校支給の武器って意外に役に立つんだな」


 学校支給の武器は殺傷用に作られたものではない。

 あくまでもフラッグ・ゲームの為に作られた武器。

 しかし、数を増やせば必然と殺傷力は増す。

 ヤスケは自身の魔力で作った分身に、トラップ・グループの武器である『梱包爆弾パッキングボム』を十個取り付けていた。

 こんなこともあるかもしれないという、ヤスケの天性の危機管理能力。

 そのおかげでこういう非常事態でも武器を持ち合わせていた。

 

「……クソガキがっ!」


「やっぱり簡単には倒されてくれねえか」


 立ち上がったバードは顔中が黒焦げで、服もところどころに破けている。

 服の隙間から見える素肌さえも、黒い爆発痕が残っていた。

 痛々しい姿のバードだが、黒くなった顔面でも彼の怒りが前面に出ているのがわかる。

 

 バードの表情にやれやれという感じで、ポケットに手を突っ込む。


「舐めてんじゃねえぞ、ガキがあああ!」


 普段冷静なバードからは想像もできないほどの怒号が飛んだ。

 怒りはピーク。

 馬鹿にしていたはずのガキにこてんぱんにされた経験はバードの経験上ないのだろう。

 冷静さを失うほどの怒りがバードの魔力を歪なものに変化させていく。


「もう決着はついてるよ、俺とお前が戦うってなったときからな」


「あん?」


「いや、もっと前だな。 が授業をサボろうって言ったときからか」


「何言ってんだ、てめえええええ!」


 ヤスケが取り出したのは一つのライター。

 彼がカチっとライターに火をつけ、床に放り投げる。

 その瞬間、ぼうっと音を立てて一直線にバードの元まで炎が辿り着いた。


「が、あ、ああああああ」


 ヤスケの分身には二つの準備が成されていた。

 一つは学校支給の武器、トラップ・グループに分類される『梱包爆弾パッキングボム』。

 あくまでもそれはフェイクに過ぎない。

 このテロ行為を知っていたからこそ、二つ目の罠を仕掛けることができた。

 その二つ目の罠とは、油。

 爆発と同時にドッグに撒くようにして、設置されていたものだ。


 まるで屋上で行われたキャンプファイヤー。

 ヤスケに楽しいという様子はもちろんない。

 当たり前のように仕事をし、当たり前のように敵を殺す。


「ていうかよ、これやべえか?」


 ぼろぼろになった屋上、加えて燃え盛る炎。

 もう屋上と呼んでいいかわからないほど、荒れ果てていた。

 屋上へと通じる扉、それを囲う壁は破壊され屋上全体を囲むフェンスも穴だらけだ。


「まあいっか、どうせアルフレッド家が全部出すだろうしな。 それにしてもあの御曹司は仲間を集めるだけでこんな大がかりなことをするかね」


 バードとヤスケの戦いは、用意周到だったヤスケの勝利。

 まるでこの戦いを知っていたかのような装備をしていたヤスケ。


「さ、道端で寝ている姫様でも助けにいこうかね」


 「ふあ~あ」と欠伸をしたヤスケは影の中へと入り込む。

 まるでのらりくらりの気分屋忍者。

 彼が本気を出すときは、一体いつになるのだろうか。

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