第26話「自分の羽」
アンとドッグは武道場を上り、屋根の上で戦闘をしていた。
凄まじい剣劇を披露するアン、しかしドッグの硬い魔力はアンの刀を体まで通さない。
防具も何一つつけていない、軍服を着ているだけのドッグ。
つまり、純粋な魔力のみでアンの斬撃を防いでいるのだ。
「へっ! こんなもんか、お嬢ちゃん!」
「くっ!」
近づいているアンを弾き飛ばすドッグ。
これまで数百の攻撃を繰り出しているアンの攻撃は、ドッグの体にかすり傷一つも負わせられていなかった。
「もっと攻めてこいよ!」
今度はドッグからアンの元に攻めてくる。
アンは抜刀の構え、ドッグの攻撃に対してカウンターを仕掛けるつもりのようだ。
アンが向かってくるドッグを斬ろうとした瞬間、眼前からドッグの姿は消える。
アンは後ろに気配を感じて振り返り刀を振るったが、そこにもドッグの姿はなかった。
「こっちだよ!」
アンの死角、足元まで身をかがめていたドッグは溜めた魔力を全て放出するかのようにアンの顎目掛けて殴りかかった。
「っ!」
上空に吹き飛ばされ、ふわりと落ちていく。
ドッグは獲物をゆっくりと仕留めようとする獣のようにじっとりと笑うのみで、そこにドッグは追撃はしなかった。
(強い…!)
武道場の屋根に大の字で落ちていったアンは刀を杖にして立ち上がる。
今の一撃は確実に彼女のダメージとなっていた。
焦点を合わせることができず、視界もぼやけている。
体が疲弊していると同時に心も擦り減っていたのだ。
ダメージを与えることができない攻撃、ドッグからの強大な魔力への防御。
戦う時に注意する点が多すぎる。
頭を回転させるが、ドッグに対して有効な手段は一つも思い浮かばない。
戦力差を自覚しつつも、戦うことから逃げることはしたくなかった。
負けていないと言い張るように、アンはドッグを睨みつける。
ここで人生を終わらすわけにはいかないのだ。
「まだ終わりじゃねえよなあ、お嬢ちゃん」
「子供扱いは、やめてください」
アンは刀を腰に差し、抜刀の構えを見せた。
刀を握る力もいつもの半分以下。
それでも逃げるわけには、戦わないわけにはいかない。
アン・スカーレットの意地に懸けても、この場でドッグを斬る。
この威勢だけで彼女は今、立っている。
「そうか、じゃあ本気で殺しに行くぞ」
へっと笑ったドッグに魔力が集中した。
アンも反応し、体に残っていた全ての魔力を解放する。
「『ファローシャス・ドッグ』」
ドッグは掌を向かい合わせ、牙のようにして構えた。
その両手から放たれた肉食動物のような凶暴性を持った魔力は漂う風を巻き込むようにして、アンの元に向かっていく。
対するアンは鞘に収まった刀を半分露見させた。
刀身には炎が竜巻のように巻き起こっている。
「ウノ・スタイル、『ホムラ』!」
刹那、両者の魔力が激突した。
激しい光と突風。
武道場のトタン屋根がギシギシと音を立てて、ついには空へと飛んで行くものもある。
土煙が巻き起こる中、立っていたのはドッグ。
「が、あ……!」
アンは口から血を吐き出し、その場に倒れた。
アンは先の衝突で肋骨が折れていることを自覚する。
息をする度に内部から刃物で刺されている感覚。
意識を保っているのが精一杯、知ったことのない激痛が彼女の体を襲っている。
「へっ、所詮はガキ、大人ぶるんじゃねえよ。 俺に勝てると思ったか?」
未だもがき苦しむアン。
所詮は子供。所詮は学生。所詮は、妹。
何度もその言葉を聞いてきた。
そして何度も悩んだ。
「命がけの戦いを知らないお前に何ができるっつーんだよ」
なぜ、アートの妹という枕詞がついてしまうのか。
なぜ、誰もアンのことをアンとして見てくれないのだろうか。
まるで檻に入れられた鳥のよう。
自由に空を飛ぶことができない、自分の力で空を飛ぶことさえ許されない。
生き物として不完全な状態のアン。
「……命を懸けています」
だから、必死にもがき続ける。
だからこそ命を、人生を懸けられる。
いつか姉を超えて、スカーレット家と言ったらアンと呼ばれるようになるために。
アン自身を見てもらえるように、自分の羽で飛んでみせて実力を証明する。
それだけが彼女の、アン・スカーレットの、生きる意味であるから。
「私が、私らしくあるために。 今日、あなたに勝って、私自身を証明する。 それに私は命を懸けています」
悔しさを胸に、アンは再び立ち上がった。
骨が折れようが、いくら相手が強かろうが、アンにとっては小さな悩みのはずだ。
こんなところで立ち止まっていられるほど、現実は甘くない。
自分の羽で飛ぶために目の前の敵を飛び越えてみせる必要がある。
「はっ! ガキの癖に偉そうにしてんじゃねえよ」
天を見上げながら笑ったドッグ。
その顔をアンは睨みつけた。
「死という恐怖を持ったまま死ね」
「私は負けません」
ふうっとアンは息を大きく吐いた。
これを行うことにより体内に流れる魔力を正確に掴むことができる。
アンが見つけた、戦闘時のルーティンのようなものだ。
魔力を右腕に集中させ、左足を後ろに引く。
「かかってこいよ、お嬢ちゃん!」
ドッグは最大限の魔力を解き放った。
一撃で仕留める、そんなドッグの覚悟を魔力が現しているようだ。
先ほどまでのドッグが子供のように思えるほどの魔力。
しかし、アンは怯まない。
例え骨が折れようが、恐怖に苛まれることになろうが関係ない。
彼女が成そうとしているのは、世間の目を変えること。
そのためにはどんな困難が立ち塞がっても自分の足で歩いて行かなければならないから。
「私の名前は、アン・スカーレット。 それだけ覚えて倒されなさい」
「その言葉、死んでから後悔しな、お嬢ちゃん!」
アンはまだ一から七まであるスタイルを三つしか使いこなせない。
練習はしているが、実戦で試したことはなかった。
ただ、アンより格上の相手との戦闘。
間違えれば死という極限状態が、アンの集中力を高める。
今ならできる、今だからこそできる。
その思いがアンの限界を超えさせた。
「『ファローシャス・ドッグ』ゥゥゥ!」
ドッグが放った魔力がアンを喰らうかのように近づく。
ただアンの目には、そのスピードがなぜかゆっくりと見えていた。
走馬灯の類か、そんなことを考えている時間もない。
今は目の前に立ち塞がる敵を斬ることだけに集中できていた。
重傷という極限状態のおかげか、体の力が抜け刀を握る感覚が研ぎ澄まされている。
そしてアンは刀を抜いた。
ドッグに斬るための抜刀ではない。
魔力を放出するための、抜刀。
その所作は美しく洗練され、まるで手本であるかのように見事なものだった。
「クワトロ・スタイル、『フブキ』」
アンがまだ会得していない四つ目のスタイル。
死という極限状態がアンの成長を早めた。
アンが放った言葉と同時に白い吹雪がドッグの元へ飛ぶ。
ドッグの放った魔力を無効化し、その氷はドッグの元に届いた。
足元から徐々に氷漬けになっていったドッグ。
アンはドッグをじっと見つめていた。
まだ、生きている。
彼の魔力はまだ死んではいない。
「ガキが、あんまり俺を、怒らせるんじゃねえええええ!」
強靭な精神力、生きることへの執着。
氷を蹴破って出てきたドッグの表情は怒りに満ち溢れていた。
アンが戦ってきた中で一番生を実感できた相手だ。
だからこそ、戦ってよかったと本心から思える。
「ありがとうございました。 あなたと戦えたから、この先の修練を死ぬ気になってできます」
「おいおい! 俺が負けたみたいな言い方するんじゃねえよおおお!」
アンは何も言う事はなく、後ろを振り返った。
刀を最後まで仕舞い、鞘と鍔がカチッと音を立てる。
「んあ?」
その瞬間に、ドッグの体や顔から血が噴き出した。
「——トレス・スタイル、十連『イカヅチ』」
ドッグが氷漬けになっていた瞬間、アンはすでに自分の技を打ち込んでいた。
わずか、三秒。
ただし三秒もあれば、アンは百の傷を相手に付けることができる。
体の十か所、そこを集中的に斬ることでドッグの強靭な魔力を破る。
だから鋼のような防御力を持つドッグに傷を付けることができたのだ。
「が、あ……」
ドサッと音を立てて倒れ込んだドッグ。
この戦いは死の恐怖を乗り越え、自分の翼で飛んだアン・スカーレットの勝利。
視界がぼやけながら、刀を杖にして歩き続けたアン。
まだ人質を助けられていない、その正義感が彼女を歩かせていた。
ただ、とっくにアンの魔力は尽きている。
自分よりも格上の相手と戦った代償は彼女の体に重たく圧し掛かっていたのだ。
そして息を引き取るように、ばたりと道端で倒れてしまう。
「まだ、私は……」
スカーレット家の次女にして、姉という光に埋もれたダイヤの原石。
彼女が本当の意味で羽ばたける日は、そう遠くないはずだ。
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