第15話「爆弾魔」

 夜風が公園の隙を通り、月は少しだけ雲に隠れながら辺りを照らす。

 第一王立学園近くの噴水広場。

 昼は子ども連れや、カップルなどに人気のスポット。

 春先のこの季節の夜はランニングをする人もちらほらと見える。

 

 時刻は24時を回ったところ。

 この時間になれば人の出はほとんどなく、ベンチでイチャイチャしていたカップルも今頃はホテルにて休憩をしているところだろう。


 人気のない噴水広場に入ってきたのは、上下がジャージ姿の女性。

 ポニーテールに結んだ髪の毛を揺らしながら、ランニングをしている最中だった。


「にちゃあ」


 些細な気持ちの悪い音が噴水広場にひっそりと流れた。

 その音に全く気付かない女性は真っすぐと噴水のある中央に走り続けている。


 噴水台に腰をかけている男性が走る女性の姿をねっとりとした涎を垂らしながら見ていた。

 肥満と呼ばれる体型、禿散らかした頭。

 服はボロボロで虫食い穴が所々に開いている。

 眼鏡はふけでよごれており、いかにも不潔という言葉が似合う。

 男の名前はザック・バズ。

 またの名を、ボマー。

 

 彼の目の前にはキャンバスを固定するためのイーゼルが置いてあり、キャンバスにはめられた白い画用紙には無数の線が様々な色で描かれていた。

 まるで子供が書いたような線だらけの絵。

 絵と呼んでいいのかわからないが、その絵が持つ恐怖感は決して子供では描けないことであろう。


「でゅふ。 あの子を芸術にしたいんだな……」


 女性は中央にある噴水に着いたとき、手に持っていた小さい水筒に口をつける。

 


 それを見て、ぜえはあと息をしたボマー。

 彼はゆっくりと立ち上がり女性に近づく。

 魔力を扱えるものならば畏怖を帯びた魔力に気づけたかもしれないが、女性は背後に迫る気配には気づいていない。

 

「僕の芸術に、なってほしんだな」


「え?」


 その女性は突然あらわれた男性に驚きを隠せていなかった。

 その風貌に恐怖を覚えてしまったことだろう。

 いると思っていなかったところに、よりによって不審者という言葉が似合う男性が現れたのだから。

 突然の不審者の登場に女性は身動きが取れなかった。

 足元から伝わるようにして指にも震えが伝わっている。

 

 誰も助けがこないし、助けを呼んでも来ない。

 この時間の噴水広場に人が通らないのは、噴水広場を見渡せばわかること。


「ひっ……」


 何とか一歩だけ後ずさりをした女性。

 しかし、ボマーはニタっとした笑みを浮かべながら一歩近づく。

 両者の距離は一向に広がる気配はない。


「なぜ逃げるんだな、僕の芸術になれるのに」


「来ないで、来ないでえ!」


 ついに女性は倒れ込むようにしりもちをつく。

 喉から出た言葉はか細く、弱弱しい。


「でゅふ。 でゅふふふふふ」


 見えた白い歯はところどころに黒い点が見える。

 余計それがボマーを恐怖に魅せ、不審者という枠組みから一線を越えさせる。


 ぶるぶるとした震えは女性の全身、既に隅から隅にまで伝播している。

 逃げることもできない、反撃することもできない。

 抗えない絶望感。

 それが彼女の首元を締め付ける。

 呼吸もままならくなり、ついには呼吸が止まった。


 ボマーはゆっくりと女性の肩に手を伸ばす。

 片手で女性の全てを手に入れようとするかのようにして。


「これで君も、僕の芸術だ」


「あ、あ、ああ……」


「————『パッシオ・キック』!」


「ふがっ!」


 女性の肩にボマーが手を触れようとしたその時、誰かの蹴りがボマーの顔にクリティカル・ヒットした。


* * *


 一年Aクラスの担任、パッシオ・パンチングは夜中に噴水広場をランニングすることが日課であった。

 新入生の入学に伴い教員としての忙しくなることでランニングが出来ていなかったがやっとのことで一息つくことができ、こうしてランニングをすることが叶った。

 久しぶりの噴水広場のランニングにパッシオの足もよく回り額から流れる汗がどこかイキイキとしている。


 学園に出勤しているときはとは違いリーゼントを下ろしているパッシオ。

 長い髪を揺らしながら、かなりのスピードで噴水広場を走っていた。


「ん?」


 噴水がある場所を通過しようとしたところ、誰かがいるのを発見する。

 公園に誰がいたところで普通反応しないものだが、明らかに不穏な空気に正義感の強いパッシオは立ち止まることとなる。

 ひとまず事の流れを確認していたが、その光景は誰が見ても襲っているようにしか見えなかった。

 だからこそパッシオはすぐに男に向かって走ることができたのだ。


「————『パッシオ・キック』!」


 男の顔はぐにゃりと曲がり吹っ飛んでいく。

 パッシオは迷わず魔力を使ってその男の顔面を蹴ったのだ。

 魔力を使える者は、有事でない限り魔力を使用してはいけない。

 魔力を教わる前に教わる内容だ。

 教師であるパッシオがそれを知らないはずがない。

 しかし、パッシオはこの事態を有事と捉えていた。


 それは男が纏う魔力量。

 パッシオでさえ見たことがないほどの悍ましい魔力にパッシオは考えることなく蹴りをぶつけた。


「早く逃げるんだ!」


 叫ばれた女性はすぐさま立ち上がり、悲鳴も上げずに逃げていった。

 この状況で感謝をしている余裕もないことであろう。

 

 立ち上がった男は眼鏡をかけ、顔も体もまん丸の男性。

 まだ暑い時期ではないにも関わらず、額には大量の汗を滲ませている。

 髪はぼさぼさで、ふけだらけ。

 不潔という言葉が似合う男性であるが、パッシオはその男の容姿を気にしている場合ではなかった。

 彼が持つ魔力、おそらくその量はパッシオが持つ魔力量を優に超えている。


「悪は成敗!」


 しかし、パッシオは怯まない。

 すぐに男に向かって渾身の右ストレートを放つ。

 男の腹にぶつかったパッシオの拳、しかしぼすっと音を立ててだけで男は微動だにしていなかった。


「うるさあああああい!」


「っ!?」


 男は贅肉だらけの腹に埋まっている、パッシオの右腕を掴んだ。


「っ!」


 離れようとしたパッシオだったが、男性の力が強く離れることはできない。

 パッシオも鍛えており、贅肉だらけの男性には負けない筋肉をつけているはず。

 しかし腕が言う事を聞かないのだ。

 それは男が持っている魔力のせいであるのは、パッシオが一番よくわかっている。


「許せないいいいいい」


 男は怒号に近い声を発する。

 体に何らかの魔力が入り込んだのをパッシオも悟った。

 危険を感じ、男の腹に蹴りを入れて距離を取る。


「どうやら、普通の不審者ではないみたいだな」


 不審者の時点で普通ではないのかもしれない。

 しかし、パッシオが感じた恐怖は目の前にいる男性を普通という概念から大きく逸脱させた。

 

 パッシオはポケットに携帯してあるワックスを手に取り髪を整える。

 彼なりの戦う前のルーティン。

 これによって、パッシオの戦闘力は格段に上昇する(本人談)。

 美しく尖ったリーゼントになったパッシオは一気に魔力を解放した。


「魔力を公共の場で使うのは、原則禁止だぞ」


「うるさい、うるさい、うるさいんだなあ! そういうお前も使ってるんだな!」


 男がどすどすと音を立てながら、パッシオに近づいた。

 しかしそのスピードは遅く、魔力を使わなくても躱せるほど。

 パッシオはすかさず後ろに回り込み、足に魔力を溜め解放する。


「『パッシオ・キック』!」


 魔力の籠った足で攻撃するだけの技。

 ただ、そこにパッシオの身体能力が重なることで一般的な魔力を纏った打撃よりも強力になるのだ。

 男の脇腹にパッシオの蹴撃が入り、男の腹にのめり込む。

 パッシオはクリティカル・ヒットを確信した。

 

「なんなんだな、そのへっぽこな攻撃」


 しかし男はパッシオの攻撃に膝をつくことはなく、平然とした態度で立っている。

 唯一彼の弱っている点を挙げるとするならば、「ぜえはあ」と肩で息をしていたことだ。

 ただしこれはパッシオが戦う前からのことであり、決してパッシオの攻撃により疲弊したからではない。

 

 男が纏う魔力は乱れていない。

 体力だったらパッシオに分があるようだが、魔力量では明らかで圧倒的な差がある。


「タフだな……」


 圧倒的な魔力の差。

 それを感じ、パッシオは逃げたくなる気持ちを何とか抑えつける。

 教師としてこの怪物を止めなければならない。

 そんな責任感が彼を逃がさなかった。


「これ以上、君の好きにはさせない!」


「うざいんだなああああ!」


 脇腹に当たっているパッシオの足を掴み、大きな噴水に向かってパッシオを投げ飛ばした。

 バゴン!という音を立てて、噴水台に激突したパッシオ。

 噴水が破壊され、出るはずもない量の水が噴き出す。

 

 パッシオのリーゼントにも例外なく噴水の雨が滴った。

 髪型が変化し、風呂上がりのように水に濡れた長い髪がパッシオの顔を覆う。


「くそっ!」


 ぺっ!と口にたまった血を吐き出したパッシオ。

 手ごわい相手であることは、戦う前から知っていた。

 先の脇腹に与えた攻撃も一般人ならばすぐにノックアウトされてしまう威力のはず。

 パッシオも手を抜いた攻撃をしたわけではない。

 しかし男はダメージを喰らっていない様子を見ればパッシオと男の間にある実力差は垣間見える。

 つまりパッシオの魔力量ではボマーにダメージを与えることはできない事実が判明してしまったということだ。


「まあ、やるしかないな!」


 パッシオは立ち上がり、ファイティングポーズを取る。

 頭を使わない戦いをするのが彼の中で短所でもあり長所。

 男は何かをぶつぶつと呟いていたが、切り替えができているパッシオの耳には届かない。


「行くぞ! 『パッシオ・パンチング』!


 パッシオは左右にステップを踏みながら、男に近づいた。

 そして魔力の籠ったパンチを男の顔にヒットさせる。

 男はそれを防ぐことはなく、パンチを受けた。

 眼鏡が飛んだ、そんなことはお構いなしにパッシオは殴り続ける。


「おらおらおらおらおらおら!」


 魔力の籠ったパンチを男に入れ続けるパッシオ。

 

 パッシオは元格闘家である。

 格闘家としての道を諦め、教師としての道を歩み出した経歴がある。


 格闘家としては大成しなかった、才能の壁にぶち当たることなど日常茶飯事。

 それでもパッシオは練習することをやめず、地道に努力を続けた。

 それでもアスリートの道は険しいもので、格闘家としての終わりは唐突に訪れてしまう。

 そして引退を懸けた試合で、自分が教えていた新進気鋭の若手と対戦することになった。

 これこそが神様による悪戯か、パッシオは戦う前にそんな感情を抱いていた。

 

 結果は呆気なく敗北。

 嬉しいような、悲しいような、パッシオの弟子は最速でプロの道に入ることになった。


 引導を渡された、そんな感覚になったパッシオの心に格闘家への未練はなかった。

 格闘家としてはいまいちの結果しかなかったが、パッシオは指導者としての才能があった。

 引退してから若手を積極的に指導していたパッシオ。

 次々とパッシオが教えていた若手が台頭していき、今では若手でパッシオの指導を受けたことがない人物などいないほどにもなった。

 パッシオの指導により若手の才能が花開くことに嬉しさを覚えていたある日、第一王立学園から教師としての依頼が届く。

 パッシオは迷う事なくその依頼を快諾した。

 彼にとって若い才能を指導することは何よりも楽しいことだったから。

 生徒が壁を乗り越えて成長する、この感動はパッシオの中で代えがたいものとなっていたから。

 要領が悪かった彼だからこそ、苦難の道を数多く歩んできた。

 その経験があるからこそ、丁寧に生徒を指導できる。

 できない生徒の気持ちを理解できる。


 そのおかげか第一王立学園の生徒からの評判も高かった。

 神様が与えたのは悪戯ではない。

 教師は神が与えてくれた天職である、そんなふうに思え順風満帆な毎日を送ることができていた。



「……はあはあ、まじか」


 パッシオが殴り続けていた男の顔は無傷。

 パッシオは攻撃を繰り出しながら、その事実に気づいていた。

 今自分の持つ魔力ではこの男の魔力を上回れないと。

 自分の力ではこの男に勝てないと。


 そして、最終的には殺されてしまうと。


 パッシオの額に嫌な汗が滴る。


「僕の邪魔をするやつは皆殺しなんだな!」


 パッシオの顔面に、男の平手打ちが激突する。

 鼓膜が破れ、顔が骨折。

 自分でそうわかるほどの痛みと音がパッシオを襲った。


「ぐっ!」


 パッシオの顔半分は備えられた機能を失ってしまう。

 パッシオの前に立つボマーの体はゆらゆらと霞んで見え、震え上がるほどの魔力だけが唯一ボマーだと認識できる。


「…くっ、うおおおおおおお!」


 パッシオは気合を入れなおし、魔力を練り上げた。

 パッシオにとって担任を任されたのは初めてのこと。

 一年Aクラスの生徒の顔がパッシオの脳内に浮かぶ。

 格闘家を引退し、教師という仕事に就くことができたのだ。

 だからこんなところで死ぬわけにはいかない。

 今まで苦労続きだった彼が真っ先に思った事は……。


「まだ死にたくないいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 

 パッシオの本能が選んだ道は、男と反対方向に踵を返すことであった。

 本能がパッシオを逃がした。

 正義感に溢れ、人情深い彼。

 格闘家だった頃も一度もギブアップをしたことがないほどのメンタリティを持っていたはずだ。

 それでも、彼の本能が逃げを選ばしたのだ。

 涙と鼻水を大量に流しながら、藁にも縋る思いでとにかく走った。

 全速力で走った。

 痛みで顔が壊れそうになっても、肺が爆発しそうになっても走った。


「あんなやつ芸術にするまでもないんだな」


「うわあああああああ!」


「爆ぜろ、『アート・ボム』」


 逃げ続けるパッシオの腕が風船のように膨らむ。

 その瞬間、噴水広場に爆発が起こった。


 黒い爆発痕だけがその場には残っただけ。

 そこにいたはずのパッシオは生徒たちのことを最後まで考えた気持ちと共に跡形もなく消え去った。

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