第3話「可愛がり」

 アンは静かに体育館の上空を見渡していた。

 シャボンとなって浮かぶ生徒。

 そのゆらゆらと動く風船に、アンは少しだけ嫉妬していた。

 

(私の目的を果たしたら、シャボンとなってどこかを旅するのもいいですね)


 自分の心で呟いた言葉に、口角を少しだけ上げたアン。

 家に縛られている人生とはいえ、彼女もまた新入生。

 年相応のことを考えるのも自然なことなのだろう。


「えー、ごほん。 ではここまで残っている新入生諸君に儂からのとっておきのサプライズを届けよう」


 スピーカーから聞こえてきたのはレイドの言葉。

 しかし、アンはその声に反応するよりも先に壇上から飛び出してきた何者かに視線がいってしまった。

 明らかにシャボンに浮かぶ生徒と一線を画した魔力量。

 ここにいる生徒の誰よりも速い速度。

 

 そして桃色髪の女性が一直線にアンの元へ向かって来た。

 片手に持っているのは女子に似つかわしくないゴム製のコンバット・ナイフ。


「あ、アン・スカーレットちゃんだね。 私お姉さんにお世話になってるよ~」


 おっとりとした声で一気に近づいてくる女性。

 先ほどまで司会を務めていた、生徒会副会長サクヤ・スターダスト。

 彼女の可愛らしい見た目とは裏腹に、彼女が纏う魔力量にアンは思わず席を立った。

 

 椅子を掴み、椅子に魔力を注いで投げつける。

 魔力は多種多様な性質に変わることができ、アンが行ったのは物質の強化。

 鉄よりも硬いものがかなりのスピードでサクヤに向かっていた。

 よっぽどの緊急時でない限り、人間に向かって魔力で強化した物を投げつけるなどしない。


 しかし、アンは手加減をすることなく投げたのだ。

 防衛本能と呼ぶべきか。

 サクヤは間違いなく、アンを仕留めようとしている。

 その心意気がアンの心の奥底にまで届いたからこそ、椅子を思い切りよく投げたのだ。


「よいしょ!」


 アンが投げた椅子を跳び箱の要領で軽々と飛び越えたサクヤ。

 ひらりと舞ったスカート、覗いては行けない絶対領域が

 さらに詰め寄ったサクヤ。

 今ここにアンが携えている武器はない。

 それもそのはず、入学式に武器を持ってくる人間などまずいない。


「んじゃ、先輩からのプレゼント~!」


 サクヤは笑顔のままコンバット・ナイフを振り回す。

 ゴム製のナイフであるのに、アンは切れ味を感じずにはいられなかった。


「っ!」


 アンは命の危機を感じ咄嗟に横へ飛び込んで、サクヤの攻撃を躱す。

 ギリギリのところでナイフの攻撃を躱したはずだが、サクヤの魔力によって拡大したゴム製のナイフアンの肩に僅かながらダメージを与えた。

 掠っただけの攻撃、それでもアンのヘルスは残り八〇となってしまう。


(掠っただけでこの威力、この人強い!)


 アンは近くにあったパイプ椅子の脚をへし折って一本の鉄パイプにする。


「お、考えたね」


 ニヤッと笑ったサクヤに対し、アンは戦う意思を示すかのように鉄パイプの先端を向けた。

 サクヤもそれに呼応したようにアサルトライフルを投げ捨て、パイプ椅子をへし折って一本の鉄パイプを作る。

 同じ土俵で戦ってやる、そんな言葉がサクヤから聞こえてきそうだ。


「いいよ、本気で」


「言われなくてもそのつもりです」


 先に動いたのはアン。

 鉄パイプを腰の横に仕舞い、サクヤの元へ前傾姿勢で駆けだした。

 床にアンの髪がくっついてしまいそうなほど、低い姿勢を保ったまま走り続ける。

 

「ふふふ、若くていいね」


 アンと同世代のサクヤであるのに、なぜか達観した様子でアンの攻撃を待っていた。

 サクヤは魔力を纏ったアンが迫って来ていても、慌てる様子はなかった。

 この落ち着きこそが、第一王立学園の最高戦力と言われている所以なのだろう。

 新入生が本気を出してきたところで、彼女からしてみれば子供の遊びに付き合う程度のこと。

 アンのスキルがどんなものなのか、アンの実力がどれほどなのか。

 そんなことを知らずとも、サクヤは勝てるという余裕がある。

 

 アンはサクヤのその態度に少しだけ怒りを覚えた。

 舐められてもらっては困る、姉を知っているのであればなおさらだ。

 その心の隅に沸いた怒りがアンの魔力を高めた。

 鉄パイプに魔力を注ぎ、鉄パイプが一本の火柱のように燃え盛る。

 

「ウノ・スタイル、『ホムラ』!」


 アンは居合斬りの要領で鉄パイプを振るう。

 鉄パイプは炎による熱により、銀色だった部分が橙色に染まっていた。

 風をも切り裂く速度。

 魔力でできた炎を纏い、アンの武器である鉄パイプが猛威を振るう。

 

 アンの頭に手加減という言葉は浮かんでいない。

 少し戦っただけであっても、サクヤから感じる魔力は姉であるアートのように圧倒的で高圧的なもの。

 可愛らしい見た目から想像もできないほどの魔力。

 だからこそアンは全力をもってして、サクヤを倒すのだ。 

 

「えいっ!」


「くっ!」


 サクヤはアンの鉄パイプに自身が持つ鉄パイプをぶつけた。

 アンの炎を纏った鉄パイプは体育館の床に打ち付けられ、床には鉄パイプが突き刺さる。

 一撃で仕留めるはずの魔力を込めたはずの攻撃。

 それをいとも簡単に防がれた。


 ただ、攻撃を一回防がれただけで心を折るわけにもいかない。 

 アンは次の攻撃に展開しようとしたが、右手に持つ鉄パイプがピクリとも動かすことはできなかった。

 

「ふふふ。 降参する、アンちゃん?」


 華奢な体のサクヤ。

 しかし、魔力によって何倍も何十倍も自身の力を増幅させることによってサクヤの持つ鉄パイプは成人男性を優に超すほどの力が込められていた。


 サクヤ・スターダスト、三年。

 三大貴族スターダスト家の娘にして、第一王立学園生徒会副会長。

 そんな実力者が、新入生の攻撃如きに臆することはない。

 

「降参なんて、するわけありません」


 アンは鉄パイプを持つ右手を離すわけにはいかなった。

 彼女の戦い方は自身が持つ刀を使って居合斬りで敵を攻撃する戦闘スタイル。

 今ここで刀の代わりとなる鉄パイプを手放してしまえば、アンは戦えないに等しい。

 加えて、サクヤの魔力はアンを優に圧倒しているのもまた事実。

 アンのスキルによる攻撃をただの魔力だけで防ぐことができた。

 この現実は変えようがないものだ。

 

 現状、アンは鉄パイプを動かせない。

 純粋な力比べであれば、サクヤとアンの間にあまり違いはないはず。

 しかし、アンの動きを止められているといことはサクヤの魔力量や魔力の扱い方ががアンよりも長けているということ。

 その事実は不変のものだ。


「ふふふ。 武器に拘っていると頭がお留守だぞ?」


 左の手のひらをアンの顔面に向けた。

 その手には魔力が集中している。


「…っ!」

 

 サクヤからの魔力弾アンはとうとう鉄パイプを手放し、横に回避した。

 実力差は今嘆いても仕方のないこと。

 今はどうやって勝つかを考えなくてはならない。

 まずは生き残ることを第一優先にしたアンの決断であろう。


「これから学園でいっぱい努力してね、アン・スカーレットちゃん。 また戦えることを楽しみにしているよ」


 目尻を下げ、にこやかに笑ったサクヤ。

 その言葉からはまるで勝ちを確信したような意味も込められているようにも思える。


「え?」

 

 その表情を見た瞬間に、アンの左右から魔力弾がぶつかった。

 照明からの魔力掃射。

 意識はしていたつもりであったがサクヤとの戦闘に脳のリソースを割かれてしまっていたため、魔力弾に気づくこともできなかった。


 アンの周りにシャボンが展開され、ふわふわと体育館の上空に向かって浮いた。

 これが第一王立学園の最高戦力と言われている人物、サクヤ・スターダスト。

 サクヤをシャボンから見つめたアンは悔しさを募らせることしかできない。


(恐ろしい人ね……)


 アンと戦っていながらも、魔力弾の着地点を考慮しこの場所に自然と誘導していた。

 まるでこの体育館を俯瞰視していたような戦い方。


 明確な戦力差をアンは自覚する。

 刀がなかった、予期していなかった、戦う気がなかった。

 言い訳をしようと思えばキリはない。

 

 だがアンは自身の心に沸き上がるその感情に怒りを覚えていた。

 負けたという事実、その結果だけが全て。

 言い訳など成長の妨げでしかない。

 

(私自身、侮っていたのかもしれません。 第一王立学園は一筋縄ではいかない…!)


* * *


 第一王立学園の新入生、ヤスケ・ガーファンは一足早く照明が設置された体育館上のギャラリーにいた。


「なんで講堂があるのに体育館で入学式やるんだと思ってたが、こういうことか」


 ふむふむとヤスケは体育館の下を眺めながら思考を巡らせていた。

 第一王立学園は一つのテーマパークのように広く、施設も多い。

 そのうちの一つに、観覧席が設置された講堂がある。

 入学式のように特に生徒が動くことはなく話を聞くのには適した施設だ。

 しかし、第一王立学園はわざわざ広い体育館を入学式の会場に選んだ。

 簡易的に設置されたパイプ椅子。

 上から見ればボール一つ分、綺麗な等間隔で配置されているのがよくわかる。


「毎年入学式は何かあるって聞いてたが、それにしても今回の入学式は大がかりだな~」


 ニタっとした笑みをこぼしたヤスケ。

 たった今、体育館ではアン・スカーレットが副会長サクヤの手によってシャボンになったところだ。

 体育館に残っているのは、三人。

 ヤスケが見ていた一人の男子生徒は寝ているため、カウントしていいものか悩んだが一応生き残っているということでカウント。

 そして、戦っていた男女のペアも生徒会長ダオレス・シルバーの手によってシャボンに浮かび上がった。


「お、これで今この場にいるやつで入試ランキングに入っているのは俺だけか」


「ヤスケ・ガーファン君だね?」


「おっと……」


 ヤスケはすぐに両手を挙げた。

 背中に感じるのは、圧倒的な魔力。

 魔力を解放していなくとも、この威圧感を出せるのはさすが生徒会長と言ったところだろう。

 

「降参。 俺じゃああんたには勝てねえよ」


 いつの間にか後ろに立つ生徒会長に対して、即座に負けを認めたヤスケ。

 彼は別にこの入学式をシャボンにならず生き延びたいわけではない。

 この学園の新入生のレベルを確かめたかっただけだった。

 別にシャボンになったところで繰り広げられる戦闘を見ることはできる。

 しかし、肌で感じたかった。

 それぞれが纏う雰囲気、魔力量、そして心の強さを。

 サクヤとダオレスが登場するまで、生き残っていた新入生は五人。

 たった一人だけこの場所から自身の双眸で見られなかったのは、ヤスケの中で少しだけ悔いとして残ってしまった。


「ふっ、達観しているね」


 パン!と放たれた魔力弾によってヤスケもシャボンになって浮かび上がった。


 残った新入生はたった一人。

 こんなにも戦闘が繰り広げられているなかでずっと椅子の上でアホ面をだして寝ている、ロイ・アルフレッドのみとなった。

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