母さん
日曜日。ベッドから起き上がる。田村の顔を思い出して気分はよくないが、体の調子は悪くなさそうだ。
服を着替え、洗面所で身なりを整えてから、リビングに入る。
「おはよう」
「はよ」
「コーヒー飲む?」
母がキッチンでコーヒーを淹れながら、先にできた一杯分を飲んでいた。母の視線は自然と俺の全身をなぞる。こうしてその日の体調を確認するのは、もはや癖のようなものだろう。
「一杯だけもらう」
「うん」
母は返事を聞いて、安堵する。大袈裟だ。
ピッチャーからドリッパーを一回外すと、別のカップに注ぐ。俺にカップを差し出して、ドリッパーを元に戻した。そしてやかんからお湯を注ぐ。先より減ったピッチャー内のコーヒーに、ぽたり、ぽたり、と液体が垂れていく。
受け取ったカップを手に、ダイニングテーブルに腰掛ける。
「今日は出かけるの?」
「うん。このあとね」
「体は……大丈夫?」
母の言い方に、一瞬息が詰まる。コーヒーと共に、全部飲み下す。
「ばっちりです」
顎に右手を当て、にやりと笑ってみる。ふざけた俺の姿に、母は遠慮がちに笑んだ。
「あの、次の検診」
「大丈夫。一人で行くよ。俺が勝手に決めたことだから、迷惑かけたくない」
「迷惑なんて……。母さんも父さんも千春の気持ちはわかっていたし、美晴ちゃんのことは、残念だけど、でも、ご縁っていうか……ごめんなさい。言葉選びが下手ね」
母はそう言って黙ってしまう。気持ちを伝えようとして、うまくいかなくて、結局諦める。母は昔からそうだ。
「コーヒーありがとう。行ってくる」
「いってらっしゃい……」
カップをキッチンのシンクに入れ、水を注ぐ。母の見送りの声を背に、家を出た。
両親は俺のために、昔から移植の意志を示していた。だけど俺は拒み続けていた。体から臓器を取り除いても、死ぬわけではない。でも、迷惑はかけてしまう。だからずっと拒んでいた。もう亡くなった人からであれば、罪悪感も少しは減る。
きっと両親の中の俺は、そういう考えを持っている。それもたぶん間違いではないけれど、美晴姉ちゃんを受け入れたのは、そうじゃない。
空に向かって、舌打ちをしていた。
俺自身にも、息子の顔色を窺ってばかりの両親にも、苛立ちを覚える。両親の態度の原因が俺の病気であることに、さらに苛立つ。
こういう時、美晴姉ちゃんなら何て言うのだろうか。
病院への道をたどりながら、あの笑顔が眼裏に浮かんでくる。
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