後編
「ウェルシー、やっと見つけたぞ!」
アタシたちが木の実の採取をしていた時、森のはずれにてその声は聞こえてきた。
聞き間違えるわけがない。アタシに婚約破棄をした張本人がなぜかこの森にいる。そのことがわかったアタシは、ガバッと身を起こした。
「汝の客人……というわけではなさそうだな」
「なんであいつがここに?」
アタシを追い出し、あの名も知らぬ令嬢と仲良しこよしやっているだろうと思っていたのに、今更アタシを訪ねてくる意味がわからない。
黒馬にまたがり、ずかずかと森の中に足を踏み入れたその招かざる客人が姿を現した。やはり王太子レイダールだった。
彼を前にすると黄金聖女だった時の記憶が蘇り、ピンと背筋が伸びる。
そしてなるべく丁寧にと心がけていた時の言葉遣いが久々に口からまろび出た。
「いらっしゃいませ、とは言いたくないですね。アタクシはあなた様をお招きした覚えはないのですけど?」
「なんだその口のきき方は。俺がわざわざ会いに来てやったのだぞ!」
顔だけ王太子が整った顔を存分に歪めてがなり立てた。
「お招きしていないので歓迎もしてもいません。ところで何用ですか?」
「そろそろ懲りた頃だろうと思ってお前を連れ戻しに来てやったんだ! 感謝するんだな」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつは。
あまりに意味不明な言葉に、アタシは気の抜けた声を出さずにはいられなかった。
連れ戻しに来た? 感謝しろ? わけがわからない。
アタシを国外追放したのはアタシが王家から金を搾り取るから。それは今戻ったところで変わることではないし、何のための茶番だったのかという話にもなる。
しかし冗談にしては王太子の目が本気だ。というか、自分が正しいと信じて疑っていない者の目だ。
その目のままで彼は続けた。
「グリフィンス王国の危機なのだ。聖女たるお前がそれを救うのは当然のこと! さあ来い!」
黒馬から降りた彼はグッとアタシの手を掴んだ。
「何するのっ!」
「俺はお前に再びの機会を与えてやろうと思って――」
と、その時、アタシはふと背中に冷たいものを感じて振り返った。振り返った先に佇んでいたマイロは口からのぞく牙をギラつかせている。
威嚇、なのだろうか。普段のもふもふで癒される彼とはまるで印象が違っていた。
――そして。
「女神の愛し子に何をしている」
鉤爪のあるたくましい大型猫の腕が振るわれ、王太子の体を大きく弾き飛ばしていた。
「なんだ……!?」
地面に仰向けに倒れ、情けなくも悲鳴を上げる王太子レイダール。
そんな彼を覆うようにマイロは立ち、威圧の声を放った。
「汝が女神の愛し子を傷つけた不届き者か。私の森に侵入し、女神の愛し子へ再び危害を加えようとしたこと、許しはせぬぞ」
下がっておくようにと言われアタシはマイロの背後にいるのでその表情は窺えないが、さぞ恐ろしい顔をしているのではないかと思う。
「うわあああっ、来るな化け物! これはお前の仲間なのか、ウェルシー! それなら今すぐやめさせろぉ!」
「私は神獣マイロ。女神の愛し子を守る神獣である。汝は何をしにここへ来た」
王太子は全身をガクガク震わせている。鉤爪に抉られて足から血を流しているのだが、本人はその痛みもあまり気にならないほど恐怖しているらしい。
「お、俺は、ウェルシーを連れ戻しに来たと言っているだろうが……! 怪我人や病人が手に負えなくなったのだ! このままでは国が滅ぶ! だからっ」
「女神の愛し子を道具としてしか見ぬ者に、私は彼女を渡したりはせぬ。しっかりと彼女を見つめておれば事態に至らなかったであろうに、それも理解できぬ愚か者めが」
「だが悪いのは彼女だ! 平民のくせに王家より偉そうな顔をするから……ぎぁぁぁぁぁ!!!」
腕を振り上げる素振りをするマイロを見て、王太子が悲鳴を上げる。
先ほどまで彼に対して怒りを抱いていたものの、こうなると少し哀れになってきた。
もっとも、因果応報なのだが。
「マイロ、そこら辺にしといて。ちょっと話したいことができたから」
「このような性根の腐った男と話しても何も徳はなかろう」
「いいの、お願い」
お尻の毛をもふもふしながら頼めば、「仕方ないな」と言ってアタシが前に出ることを許してくれる。
マイロは優しい。たとえ神獣だろうと関係ない。アタシはマイロとずっと一緒に過ごしたいと、そう思った。
それより前に、この王太子を片付けなくてはならないけれど。
「レイダール殿下。お困りなのでしたら、アタクシに提案があります」
「提案、だと……?」
「そうです。いくらアタクシを裏切った国とはいえ、癒した人々には思うところがあったのです。ですから、条件付きで、救って差し上げてもよろしいですよ?」
アタシはまさに聖女のような笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アタシが今滞在しているこの国は皇国であるらしいことはこの森に来る前、街で聞いて知っていた。
皇国は豊かで過ごしやすい国だという。そこでグリフィンス王国を皇国の属国とし、皇国の手によって統治するようにしてはどうかとアタシはレイダール王太子に提案した。
癒しを求める者はこの森に連れて来させ、ここで治療すればいい。
属国になれば国境という観念もないから、平民でも行き来しやすいだろう。
「な、何を言う! つまり実質俺たち王家は」
「皇国に屈する形になります。ですがどうです? 国ごと滅ぶよりは、属国として存続した方がいいでしょう。
アタクシは再びレイダール殿下の婚約者になるのはお断りですので、ご期待には添えません」
「……そんな」
王太子は蒼白になった。
「アタクシの財産があるでしょう? 金貨も屋敷ももういらないのでそれをばら撒いて民の貧しさを和らげてあげてください。言っておきますけど、私服を肥やすために使ったら承知しませんからね」
世の中、金が全て。
あの時はそう思っていたけれど、今のアタシにはもう必要なくなった。だから、豊富にあった資産は民のためなら使わせてやろうと思う。
さすがにいくら愚かでも、アタシが提示した道しか希望はないと理解したのだろう。レイダール王太子は項垂れ、黒馬で道を引き返していった。
そうして、森に平穏が戻って来る。
「ただで返してしまうとは、汝は優し過ぎるのであるまいか?」
「属国になるのは結構過酷だと思うよ、あの王家にとっては。でも仕方ないよね、アタシっていう聖女を追い出したんだから。――そんなことより」
もふもふなマイロに抱きついたアタシは、彼の顔を見上げる。
巨大な猫というだけなのに、とても凛々しさを感じる顔。それでいてもこもこで思わず撫でたくなってしまう。
「アタシ、マイロの花嫁になってあげる」
「本当に良いのか? 王太子を退けるための言い訳ではなかったのだな」
「そんなわけないでしょ。だって毎日もふもふして癒され放題だなんて控えめに言って幸せじゃない?」
幸せになりたい。その願いは、たった五日で叶えられてしまった。救われてしまった。
だから約束通り、花嫁になってやろうと思うのだ。
「そうか。汝は……ウェルは、私の花嫁になってくれるのか。それはとても、喜ばしいことだ」
優しい声音でそう言いながら、とても愛しそうに名を呼んで、抱き寄せてくれる。
そしてアタシの全身をもふもふで包み込んだ。
その日、アタシは神獣の花嫁になった。
それから数ヶ月後。
グリフィンス王国が帝国となり、その結果、アタシの要望通り国境が開いたおかげで森の中でひっそりと人々を癒すようになった。
今のアタシを黄金聖女と呼ぶ者はもういない。
髪はもう染めていないから、元々の茶髪に戻った。ドレスももうとっくの昔に売り払い、森の環境に適した薄手の布一枚だ。
それでも人々――グリフィンス王国も、それだけではなく皇国の人たちまでやって来るようになった――は、アタシを以前と変わらず慕ってくれていた。
黄金聖女じゃなくてもアタシを求めてくれる者がいる。それは非常に嬉しいことだ。
以前までならば仕事の報酬は王家からぶんどっていたが、今は違う。
仕事終わりのご褒美は――。
「マイロ、キスして?」
「本当に可愛いな、私の花嫁は」
木々の影に隠れ、ずっと遠くから見守っていたマイロが姿を現し、アタシはその胸に飛び込む。
マイロの穏やかな笑顔がアタシに迫り、口を閉じたままでアタシの唇と触れ合った。
マイロは人間ではないから濃厚なキスなんてできない。けれど彼の口元は湿っぽくて柔らかく、心地良いのだ。
それからあとはひたすら互いの体を重ね、愛を確かめ合うのだった。
国外追放された黄金聖女はもふもふ神獣に溺愛される 柴野 @yabukawayuzu
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