1-4  地下通路の逃走劇

 案内された病院は呪文教の教会のような立派さはなかったが、広さ大きさはそれなりにあった。

 街の喧騒も遠くに聞こえる一画に、鎮座するように建造されており、周囲の景観も良くゆっくりと時間が流れている感じがする。

 六階建てで多人数を収容・治療する事ができ、怪我人を運ぶ救護車も見受けられた。


 プラチナは一階の待合ロビーの椅子に腰を下ろして待っていた。隣にはテッカも座っている。

 信者のウベラは教主との取り継ぎのためここにはいない。病院に入ってすぐに教主に会えると思っていたプラチナは少しがっかりした。

 テッカがきょろきょろと首を動かして病院内を見回している。


「ふうん……人が少ないねえ。大病院なのに」

「え?」


 言われてぐるりと見回してみる。ウベラと同じ呪文教の信者が二人遠くに見えた他は、確かに患者や外来の人の数はそれほどで閑散としていた。街の中でもおそらく一番大きな病院なのに。


「外傷の患者が少ないのは分かるけど、風邪とか内科の患者がもっといてもいいはずで……」


 テッカは訝るように口元に手をやった。プラチナは首を傾げた。


「どうかしたんですか?」

「まあ、色々と考える事があってね」

「考える事……?」


 テッカは静かだった。出会った直後の快活さは鳴りを潜めており、何かを警戒しているように見えた。プラチナはその変わりようを疑問に思ったが、ウベラが戻ってきて思考は中断された。


「お待たせしました。こちらへ」


 プラチナ、テッカ、ウベラの三人は連れ立って病院の階段を下に降りていく。


「え、下ですか?」


 てっきり上の病室に行くのだと思っていたプラチナの質問に、地下への扉の鍵を解錠したウベラが答えた。


「緊急の案件が発生したようで教主は今教会にいます」

「……病院にいないんですか?」

「申し訳ありません。どうやら入れ違いが起こってしまいました」


 くるりと回り深々と頭を下げられると喉まで上がってきた不満を吐き出す事はできなかった。

 プラチナは不承不承の気持ちを表に出さずに尋ねた。


「でもどうして地下に?」

「この地下通路は教会に通じています。自然災害など有事の際に解放し、物資運搬や呪文使いを派遣するために造られました」


 そう言ってウベラは扉を開けた。


「教主カーネに地下の方が地上より早いから案内せよと申し付けられたので」


 地下通路はコンクリートで造られていた。

 壁や天井に等間隔に灯りが設置されているため、薄暗いが内部の様子は視認できた。通路の幅は割と広く左右に道が続いていて、上を見るとパイプが三本天井に張り付くように延びている。


 確かに教会に直結しているのなら到着は早い。だか地上とは違って人の姿や喧騒がない分、灯りがあってもこの地下通路の薄暗さは不気味に見えてくる。プラチナは別に地上からでもよかったなと思った。


 ウベラが左に歩き出し先導した。少し歩いてその後ろ姿にテッカは声を投げ掛けた。


「という事は街の各方面の施設に同じような地下通路が張り巡らされているって認識でいい? 物資とか運搬するんだし」


 テッカの声音に優しさは含まれていない。敬語でもない。この地下の空気と同じぐらい冷たかった。

 前を歩くウベラは淡々と答えた。


「ええ、学校など緊急時に人々が避難する場所には特に」

「それ、知ってるの呪文教だけ? 街の住人は?」

「我々と住人のごく一部だけですよ」

「……」

「テッカさん?」


 テッカはプラチナの方を向いた。


「いやね、私がタミヤの街に来たのは何も死者との対話だけじゃなくて、この街で消息を絶った団員の調査も兼ねてたんだよ」


 ウベラは変わらず腰の後ろに手を組んで先を歩いている。


「で、それを調査してると街での行方不明者が結構多くてね……まあ、五年前の戦争で国とか滅んでその余波で暴れる馬鹿とかコミタバとかいるし呪文教がやったとは断定はできなったけど……」


 ウベラの歩く速度が徐々に遅くなっていく。同時に地下通路内に反響する三人の足音も徐々に響かなくなっていく。


「別に地上から教会に行けばいいのに……五分や十分早く到着するくらいでわざわざ人気の無い地下通路を使うとなると口封じを疑うわけで」


 ウベラの足はもう止まっていた。テッカが通路の壁をノックするように叩いた。


「便利だよねここ。行方不明にはもってこいだ。拉致、やってる?」


 ウベラは組んでいた手を解いてぽんっと両手を叩き合わせた後、振り返った。


「そう言えば教主カーネからの指示をもう一つ、思い出しました」


 その声は冷たかった。


「あなた方を神聖なる呪文教を貶める犯罪者として処刑しなければ」


 瞬間、ウベラの姿がプラチナの視界から消えた。直後二つの声が地下通路内に響き渡る。


「メラギラ」

「ブロレジ!」


 後方で呪文同士が発現し激突し合っていた。対象を焼き殺す炎とそれを防ぐ半透明に明滅する障壁呪文だ。

 燃え盛る火炎は周囲を熱く明るく照らすためプラチナは何とか状況を理解できた。テッカがウベラから自分を守ってくれたのだ。


「プラチナ、すぐ走るよ!!」

「えっ!?」


 しかし突然の戦闘にプラチナの反応は遅れてしまった。状況が理解できても自分がどうしたらいいか分からない。こんなのは初めてだ。

 テッカはそれに構わずもう片方の腕を上げ別の呪文を発現する。


「バルガライ・ブラストホウ!」


 唱えたと同時にテッカの手から縦に通路中央を埋め尽くす黒紫極太の光線が放たれた。拮抗していたブロレジの障壁もメラギラの火炎も飲み込み真っ直ぐにウベラに襲い掛かる。


「むっ」


 そして光線は通路の遠く向こうまでウベラを吹っ飛ばしていった。


「ガンゲ・ペルツド!」


 瞬く間にテッカが三人に増えた。その内一人がどんな呪文か知らないプラチナの手を掴んだ。


「さ、ここは分身に任せて走るよ」

「え……あ、はいっ!」


 目まぐるしく変化する状況下でも、直前と同じ指示だったため今度は何とか反応する事ができた。


 テッカの後に続いて薄暗い地下通路内を疾走する。周囲には靴が地面を叩く音が反響し、はるか後方ではおそらく呪文同士がぶつかり合う音が聞こえる。

 体力に自信があったプラチナは速度を落とす事なく追従し尋ねた。


「テッカさん、今のは!」

「ショートワープの呪文で後ろに回りこまれたね。割とギリギリだったよ今の防御」


 途中三つの分かれ道に差し掛かったが、テッカが左端を即選択したためそれに従う。


「あの、そっちじゃなくて」

「いきなり攻撃してきた理由?」

「そ、そうです」

「そりゃ口封じに決まってるでしょ。あのハゲ教主の命令で処刑するって言ったんだし」


 さも当然のような口振りだった。

 しかしプラチナには理解できなかった。今日初めて会った教主に処刑される事をした覚えはまったくない。死者との対話のお願いをしたくらいだというのに。

 テッカが続けて言った。


「原因は死者との対話。あれがトリガーかな」

「えっ!?」

「プラチナが教義の後にお願いしたでしょ。多分あれが教主の琴線にふれて抹殺に踏み切ったんじゃないかな。人気の無い地下に誘導してきたし」

「……それはどうして?」

「さてね、詳しくは教主ボコって聞く事にするかな」


 テッカは安心させるようにウインクをした。


「安心してプラチナ。何も私一人で調査しに来たわけじゃないから。それに向こうから殴って来たから正当防衛で殴り返せて調査できるし」


 曰く、この度の調査はテッカ以外に四人タミヤの街に派遣されているとの事だ。それも全員が太陽の騎士団設立当初のメンバーで実力派揃い、今は逆にこの地下通路を利用して合流を目指している。


「扉が封鎖されてたら呪文でぶち開ければいいしね」

「でも、どうやってそこまで行けば……?」


 プラチナも勿論、テッカにとってもこの地下通路は初見のはずた。なのにその走りに迷いはない。


「それはここを使って」


 テッカは右目付近を指で軽く叩いて言った。


「千里眼の呪文を既に唱えているからナビゲートは問題ないよ」


 そんな便利な呪文があるのかとプラチナは思った。


 自分が使えるのは暗闇を照らす光球呪文と電撃を発現する呪文だけだ。後者は護身用にアルマンから教えてもらった。でもこんな事が起こるなら他の呪文も発現できるようなった方がいいかもしれない。いや違う、そんな事よりも早くここを脱出してアルマンの元に帰りたい。


 プラチナがそう願って数秒後、とても大きな振動が地下通路内を揺らした。二人の足はその衝撃でよろけてしまう。


 まるで物と物が何度もぶつかり壊れていくような音だ。断続的に聞こえる。そして段々とその音は接近して来ている。テッカはすぐにプラチナを庇うように後方に移動した。

 コンクリートの壁が突き破られる。破壊音と砕けた瓦礫と共に現れたのは巨大な四足歩行の生物だった。


「うげっ、コモドドラゴン原種。誰が召喚したんだか……」


 テッカが顔を引き攣らせて呻いた。

 プラチナが目にしたのは全身が赤い鱗で覆われている大きなトカゲだった。今いる場所の天井までその巨体を誇り、横幅が広く地面につく四肢はがっちりしていて太い。地下通路の灯りで鱗は宝石のように綺麗に輝いて見えるが、凶暴凶悪な顔面のせいで台無しだ。その瞳はプラチナとテッカをしっかりと捉えている。


「ガンゲ・ペルツド」


 その呪文がコモドドラゴン原種の戦闘開始の合図だった。テッカの分身が一人発現したと同時に、強烈な咆哮を上げて真っ直ぐに襲い掛かってきた。


「バルガライ・ブラストホウ!」


 正面から極太の黒紫光線でそれを迎え撃つ。しかし勢いは止まらない。簡単に吹っ飛ばされウベラとは違い、発現する光線を浴びながらも徐々に徐々に、その巨体を前に動かして距離を詰めていく。踏ん張る右前足の赤い大爪が鈍く光る。


テッカは分身に向かって叫んだ。


「もう一人の私! プラチナを!」

「ラジャー!」


 分身テッカはプラチナを方を向いた。


「さ、あと少し走るよ」

「で、でもテッカさんが……!」

「さすがにコモドドラゴン原種相手じゃ本体じゃないと勝負にならないから」


 ここは任せて、と分身テッカは言い聞かせる口調で言った。

 プラチナは本体のテッカを見た。すると呪文を発現していない右腕を横に伸ばし親指を上に立てた。プラチナは踵を返して駆け出した。


 再び地下通路を駆け抜ける。ウベラの時と同様、激烈な戦闘音が後ろから聞こえてくる。

プラチナは心配して聞いた。


「テッカさん大丈夫でしょうか……」

「大丈夫だって!」


 分身テッカが朗らかに答えた。


「むしろプラチナがいない方が守る対象がいない分戦いやすいからね。それに……」

「……それに?」

「これだけ大きな戦闘が繰り広げられてたら他の太陽の騎士団員が駆けつけて来るし」

「あっ、そうでした……」


 確かにそうだった。太陽の騎士団はテッカだけじゃないのだ。他にも四人いる。呪文同士の激突音とあの大トカゲの動く音。誰かしら気付くはずだ。


「本体の私も引き気味に戦うし時間を稼げるだけ稼いで……っ!!」


 唐突に分身テッカが走るのを止めた。段々とその身体が薄れていく。プラチナが驚愕に目を見開いた。


「テッカさん、何で……!?」

「ごめん。本体が殺されちゃった……口の中に信者がいてね」


 さらに驚くプラチナを無視して前方を指差した。


「このまま真っ直ぐに走ればT字路になっていて、それを右に行けば着くから!」


 そう言って分身は最初からいなかったように消えていった。


「…………」


 薄暗い地下通路にぽつんと取り残されてしまったプラチナは少しの間停止していた。一緒に駆けたテッカは死んでしまった。

 不意にひゅっ、と空気が通る音が聞こえた。自分の喉から出た音だ。不気味な場所に一人だけでいる。今となってその現実が恐怖になり身体全体に行き渡っていく。


「お父さん、お母さん、アルマン……」


 その声は震えていた。

 さっきまではテッカがいたからウベラの襲撃もコモドドラゴン原種の登場も焦らず怯えずに済んだのだ。テッカが守ってくれたから何とかなる、まるでこれは夢みたいだと、どこか他人事に思っていた。でも現実だ。敵意を防ぐ手段はもうない。


 急に壁に設置された灯りが自分を見ているように感じた。灯りが届かない暗がりに正体不明の化け物がいてこっちの様子を窺っている気がする。死の気配が漂っているように思えた。

 それが嫌で、恐怖に駆られてプラチナは走り出した。


「T字路を右、T字路を右、T字路を右」


 普段なら必要のない呟きを何度も繰り返す。今この瞬間にウベラやコモドドラゴン原種が後ろから迫ってきているかもしれない。そう思うと余計に力が入る。

 テッカが言っていたT字路に到着した。左右に分かれている道を迷わず右に疾走する。


 全速力で走って来たから、もう呼吸は乱れまくりだ。吸う息は喉に冷たく刺さり、肺は悲鳴をあげている。けれどその甲斐があって出入り口らしきものが見えてきた。もうすぐだ。早く外に出て他の太陽の騎士団の人に会ってテッカの事を伝えなくては。


 プラチナは地下の広い空間に出た。まだ地下だ。必死に首を動かして上に向かう階段を探す。

 ふと、見覚えのある人物が階段を上がった手すりに右手を置いていた。プラチナより高い位置にいるため当然見上げる形になる。


 首から足元まで黒の服を身に纏い、左目に眼帯、そして髪の毛一本もないハゲ頭の大柄な男。


「ようこそ我が神聖なる教会へ」


 教主カーネが目を細めてプラチナを歓迎した。

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