1-2 呪文教

 それが四日前の話である。

 プラチナは今、蒸気機関車の一般座席の窓際に座って外の景色を眺めながら目的地に向かっていた。


 ここまでの旅は滞りなく進んだ。

 ずっと座り続ける移動が多くなるため暇になると思ったけど、窓から見える景色は森林や湖、畑など自然風景が流れていく様が新鮮でなかなか退屈しなかった。それに飽きてくれば持ってきた本を読んだり、各駅で停車した際に売店で購入したお菓子や弁当、新聞や雑誌で時間を潰した。

 ただ尻に敷く自前のクッションくらいは持ってこればよかったと後悔した。


「もう少しで着くのかな……?」


 腰を叩いていると、次第に景色は雑木林から人の手が入った土地に変わっていく。

 周りを見れば他の乗客たちも荷物をまとめ降りる準備をしている。

 タミヤの街はもう近くなのだろう。

 プラチナも座席の傍に置いていた本や雑誌を鞄にしまい、やや緊張気味に帽子を被り直して到着するのを待った。


「わあ……!」


 初めて見る光景に目を奪われたプラチナは嘆声をもらした。


 前の駅まで停車してきたプラットホームとは違う。

 人も積荷の数もそれを運ぶ人も大勢が出入りしていて賑やかだった。

 人の出入りが活発なためか、駅のすぐ側に街の名産品をお土産に売り出している大きな売店や服屋、多くの馬車がある停留所、ついには石畳の道路を走る自動車まであった。

 アルマンと住んでいる田舎の駅とは雲泥の差だ。


 タミヤの街は元々、宗教の街ではなく既に滅んだ国の一地方都市であった。

 しかし五年前の戦争の戦火で被害を受け、半ば人が住める状態ではなくなってしまう。

 そこに現れたのが呪文教の教主カーネであった。

 彼は引き連れてきた信者と共に戦争で苦しむ人たちを助け、タミヤの街の復興に励み、結果街は戦争前より大きくなった。


 それ以降、呪文教という宗教は街に定着した。

 勿論住民全員が呪文教を信仰しているわけではないが、今なお戦争後の余波で苦しんでいる人や困っている人を援助し、慈善活動に勤しむ彼らの存在は好意的に見られ受け入れられている。


 旅の途中で購入した雑誌に書いてあった教主の特集を思い出しながら、街中をプラチナは歩いた。

 歩く地面にはレンガが敷き詰められていて、その色で歩道と車道が区別されて分かりやすい。

 また大きな街だからだろう、矢印の形をした案内の立て札をそれなりに見かけるため迷う事なく呪文教の教会に辿り着ける。


「…………」


 段々と目的地に近づいていくほどプラチナは緊張していった。心臓の鼓動が早くなっている気がする。

 もう少しで父が自分を幽閉した理由が分かるかもしれない。そう思うと進む足も早くなる。


 田舎でも噂されるくらいだし、教主カーネはそれなりの回数、死者と対話して有名になっているのだろう。自分の願いもおそらく聞いてくれるはずだ。


 しかし死者との対話は実際にどうやってやるのだろうか、とも思う。いや呪文教の教主なのだから呪文を唱えて発現するはずだ。

 呪文は特定の不思議な言葉。才能がある者がその言葉を声に出して超常現象を発現する。

 もし自分が死者と対話できる呪文を知って発現する事が可能ならば、母とまた話す事ができる。そうなったらいいなと思う。



 そんな事を考えていたら教会に到着した。


「お、おお……おー」


 プラチナは本日二度目の嘆声を漏らした。


 首を伸ばすくらい見上げないと天辺まで目にする事ができないほどの建造物がそこにはあった。

 白亜の壁には独特の装飾が施されており、高低差のある塔が何本も立ち並び、後方には宿舎らしき建物も見える。

 教会というより大聖堂だ。清浄で静謐があって、しかし壮大な城を彷彿させるような印象も受ける。


「結婚式場みたいな小さい教会を大きくしたイメージだったけど……」

「そこのお嬢さん。少々よろしいですか?」

「わっ!」


 物珍しげに眺めていたら背後から声を掛けられてしまった。驚き慌てて振り向く。

 そこにいたのは枯草色の髪を短くした男だった。

 首から足元まで宗教の黒の服を身に纏っていて、日用品らしき物が入った紙袋を持っている。買い物帰りの信者の人だろうか。


「この教会にどんな御用件で?」

「え、あっ……その……教主、様にお目に掛かりたいのですが……」

「教主カーネ、ですか?」

「は、はい……」


 首を少しだけ傾げた男の訝しげな視線を向けられてプラチナは焦った。

 よくよく考えてみたら、事前の約束がないのに教主に会えるわけがない。しかも今の自分は大聖堂の前に立っている不審者に見られたかもしれない。どうしよう。


 どう言葉を続けたらいいか悩んでいたら、目の前の男が紙袋を右手から左手に持ち替えた。


「ちょっと失礼」

「えっ」


 俯いていたプラチナの頭にある帽子をひょい、と取り上げたのだ。

 全体が露わにあったプラチナの顔を男は目を細めて見据えてきた。


「……全く見ない顔ですが、旅行でこの街に?」

「そう、です……あの帽子を」

「ああ、申し訳ありません」


 帽子を返してもらったが、枯草色の髪をした男の目はなおプラチナに注がれていた。


 本当にどうしよう。上手い言い訳が用意できないためプラチナは口をもぐもぐするしかなかった。

 すると男は嘆息した。


「金髪のお嬢さん、こちらへ」

「へ?」

「教主カーネの元へ案内します」


 くるりと踵を返して男は続けて言った。


「教主は今、礼拝堂で教義をなさっています。この街の住民に対しての教義ですが、まあ旅行の方でも問題はありません」

「いやでも……」


 教主に会えるのなら願ってもない事だが、先程の不審に訝っていた態度から何故、心変わりをしたのだろう。

 そんなプラチナに男は歩き出して口を開いた。


「呪文教の教えに従っただけです。この世界を発現した呪文神のために」

「呪文神、ですか?」

「ええ……いや、詳しくは教義を拝聴してください。途中からになりますがパンフレットもお渡しするので」


 そう言って枯草色の髪をした男は黙ってしまった。


 一時はどうなるのかと緊張したが、成り行きで教主に会える事にプラチナは内心ほっとした。

 しかしこちらの都合で相手に時間を使わせてしまうのだ。死者との対話はお願いするけれど、相手の迷惑にならないようにしないといけない。

 プラチナは頭に被っていた帽子を鞄にしまい男の後を歩いた。



 呪文教の教会は外から見た以上に広く大きい事が分かった。

 入口前の階段を上がって中に入り奥の扉を開けば、見えてきたのは大きな庭。

 四角い園内には手入れをされた花や草、木々が綺麗に整えられていて、太陽の光を受けた噴水の水がきらきらと光っていた。


 そんな庭を横目で見つつ、白亜の円柱が立ち並ぶ回廊を歩き木の扉の前に辿り着いた。絢爛な教会内にしては取っ手だけついた簡素な扉だ。


(この中に教主が……)


 息を呑むプラチナに三つ折りの用紙が手渡された。


「こちらパンフレットです」

「あ、どうも……」

「教義中のため静かに入って空いている席にお座りください」

「分かりました。席、空いてますか……?」

「満席だった記憶はないのでおそらくは大丈夫かと」

「そうですか……」


 よかった。流石に心の準備が必要だ。一人で立って居たら嫌でも目立ってしまう。


「それでは私はこれで」

「あっ」


 枯草色の髪をした男はその場を立ち去ろうとした。

 しかしプラチナがそれを止めた。ここまで案内してくれたのだ。素気ない人だったが親切な人でもあった。

 プラチナはぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございました」

「…………いえ、呪文神の加護がありますように」


 そう言って今度こそ男は去っていった。

 男の後ろ姿が見えなくなって改めて、礼拝堂の扉に向き合う。

 なんだか簡素な木の扉が重厚な鉄扉に思えてきた。

 プラチナは胸に手を当てて二回深呼吸をした。


「よしっ……!」


 そして手渡されたパンフレットを片手に扉をそっと開けた。



 なるべく音を立てずに静かに中に入った。初めての礼拝堂は横幅より奥行きがある部屋だった。

 木で造られた長椅子がいくつも並べられており、そこに老若男女の街の住人が腰を下ろし、奥から聞こえてくる声に耳を傾けていた。

 部屋の奥には段差があって、そこに声の主が机に分厚い本を置いて喋り続けている。


(あれが……)


 先程案内してくれた枯草色の髪をした男と同じ、首から足下まで黒の服で身を包み、タミヤの街に来るきっかけとなった男。髪の毛が一本もないハゲ頭で、雑誌の写真通りに眼帯を左目につけている。

 呪文教の教主カーネが教義を行っていた。


 (確か復興の途中で左目が見えなくなっちゃったんだっけ……)


 プラチナは入室時と同じように音を立てずに空いている後ろの椅子に座った。

 扉を開けた時一瞬目が合ったが、教主は何事もなかったように続けてくれた。


 パンフレットを読むふりをして遠目に教主を見てみる。

 糸目で大柄な中年の男。

 眼帯もあるから近くなら威圧感があるかもしれない。しかし語り掛けてくる声には優しさと柔らかさが含まれている。

 さらに窓から入ってくる陽の光が礼拝堂内を明るく照らしているため、不思議と親しみやすい雰囲気がそこにはあった。


(これなら緊張しないでお願いできるかも……)


 プラチナは誰にも気付かれないようにほっと息を吐いた。


 教義はまだ終わりそうになかった。

 途中からの入室だったが、いつまで続くのか分からない。

 教義を聞こうにも宗教に関心がないプラチナでは手持ち無沙汰になってしまう。手に持ったままだったパンフレットを眺める事にした。


(そうだ、呪文神の事書いてあるかな?)


 誰もが容易に読めるように作られていたため、プラチナも何となく理解できた。呪文神の説明も書かれてあった。


 パンフレットによると、この世界は呪文神という存在が発現した世界であるという。

 空も海も大地も、そして人間も呪文神によって創造された。

 この世界全ての起源は皆同じなのだから呪文神を崇め喧嘩しないで隣人に優しく平和に暮らそう、とそういうわけである。


(だからあの人は案内してくれたんだ)


 プラチナは先程の枯草色の髪をした信者を頭に思い浮かべ、不審に訝っていても親切に導いてくれた理由を理解した。

 だがもし自分が悪い人だったら危ないんじゃないかとも思う。この街の住人じゃない人間を入れて犯罪でも起こされたら……。


「それでは本日の教義はこれまで」

「はっ!」


 教主の教義終了の声が聞こえたかと思ったら、礼拝堂内は拍手に包まれていた。

 街の住人らしき人達が席を立ち教主の元に集まって何やら談笑している。


「教義もう終わって……」


 どうやら既に教義は終了間近だったようだ。他の人達がそれぞれ後ろの扉から退出していっている。


 少々面を食らったプラチナだったが、もう準備はできていた。

 教主と住人の話が終わったら死者との対話をお願いしよう。


 住人が教主から離れた後、プラチナは椅子から立ち上がり教主の元へ歩いた。


「あの、教主様……」

「ん? ああ、ようこそ神聖なる我が教会へ」


 教主カーネは暖かく応対してくれた。


「見ない顔だね。旅行の方かな?」

「あ、はい、そうです」

「そうかそうか。ならば是非、この街の感想を聞かせてもらえないかね? これからの街の発展には客観的な意見が必要不可欠だからね」

「えっと、すみません。まだ全然見てないのですが……」

「む、そうか。先にこの教会を目指したわけかね。おおそれはそれは嬉しい限りだ。ならば改めて……ようこそ神聖なる我が教会へ」

「あ……はい」


 そう言って教主は本を持ったまま両手を広げて少し大袈裟に歓迎の意を示した。

 話のペースを握られてプラチナは切り出せなかった。すると教主は察したように話を進めた。


「して、何用かな?」

「あ! その……教主様にお願いがありまして」

「お願い? ふむ、私にできる事なら。とりあえず話してごらんなさい」


 プラチナは呼吸を整えて言った。


「教主様は死者との対話ができるとお聞きしました。それで、死んだ私の母と対話してほしいのです」

「………………………………ん?」


 教主は数秒の間固まったかと思うや、こめかみに手をやり少しだけ顔を伏せた。

 しかしすぐに顔を上げてプラチナを見据えた。


「すまないね……年を重ねると耳が不自由になってきてね。もう一度言ってもらえるかな?」


 声は小さくなかったし聞こえたはずだけど、と思いつつもプラチナは繰り返した。


「教主様に死者との対話をお願いしたいのですか……」

「……アノマ……いや……」


 プラチナには聞き取れなかったが、教主は小声で何かを口にしようとしてやめた。

 眼帯をつけてない方の目が礼拝堂内に残っていた数人の信者に向けられて動いたような気がした。


 プラチナははてと首を傾げた。

 教主が死者との対話ができるのは有名なはずじゃなかったのか。だが今の教主はまた、こめかみに手をやって何かを考え込んでいる。

 なんだか悪い事をしてしまった気がしてきた。


 やがて教主は言った。


「すまないね。ちょっと身体の調子が悪いみたいだ。私は失礼させてもらうよ」

「えっ?」


 教主はそそくさと礼拝堂を後にしようとする。

 プラチナは慌てて呼び止めようとした。


「え、あの教主様……?」

「教主は体調がすぐれないようです。ご退出を」

「「ご退出を」」


 しかしいつの間にか近くにいた信者たちに止められて、それは叶わなかった。

 プラチナは半ば強制的に教会の外に退出させられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る