第四十二話 悪女エメリィ、本気出す

 ――食事はしっかりいただけたし、手足を縛られたままではあるがそこそこ柔らかいベッドに寝かせてもらった。

 フォンスト伯爵家にいた頃よりは随分マシな生活かも知れない。しかし私の周囲には常に見張りが交代制でついており、例えなんらかの方法で手足の縄を切ったとしても明らかに逃げ出せる状況ではなかった。


(決闘の際に、うまく逃げ出せるでしょうか……)


 頭が残念なのはどうやら皇太子だけのようで、兵士をはじめとしたその他帝国人は抜け目がなく、私はどんどん不安になっていた。

 もしも脱走に失敗すればタダで済むとは思えない。だが脱走しなければしないでひどい目に遭うのは同じ話だ。


 考えても考えても答えは出ない。

 しかし時間だけは過ぎていき、決闘の日時が刻々と迫る。そしてとうとうその時はやって来た。


 足の拘束だけを解かれ、後ろ手を縛られた状態で私は歩かされていた。

 すぐそこには逞しい男たち、それも五人が私を睨みつけている。その視線に思わず身をすくませそうになりながらも、私は唇を引き締め、強く気を保った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「よくぞ来たな、エメリィ・アロッタよ」

「ジェネヤード帝国皇太子殿下も、有言実行なところは尊敬いたします。うちの夫はそれすら守っていませんでしたからね」

「当然だ、あの無能男と高貴なる余を比べるでないわ。後で鞭打ちにしてやろう」

「……」


 鞭打ちに処せられる前に逃げ出すつもりですけれど、とはもちろん言わない。


 ケヴィン・ジェネヤードは赤く美しいマントを羽織り、鉛色の甲冑を羽織った姿で立っている。

 腰に立派な剣をぶら下げている彼は見た目だけでは一流の剣士のように見える。でも戦争の際に前線で戦わなかったくらいだから、そこまで強くはないのだろう。それとも逆にいざという時の切り札となるべく置かれていたかとも考えられるが。


(どちらにせよ勝ち目がないのは同じこと。逃げ出すとすれば今この瞬間だけ)


「おいそこの衛兵、その女の縄を解け」


「「「「「はい」」」」」


 兵士たちは素直に頷き、私をその場所……帝国闘技場へと放つ。

 周囲には多くの観客。貴族なのだろうか。歓声を上げ、これから繰り広げられるであろう私と皇太子との戦いを心待ちにしているらしい。帝国とだけあって血生臭いことが好きなようだった。

 さて、こんなところからはできるだけ早くに立ち去ってしまうに限る。

 私は闘技場をぐるりと見回すと――等間隔に並ぶ五人の兵士たちの隙間を狙い、そこを目指して背後を振り返ることなく走り出そうとして、


「これをくれてやろう」


 皇太子から投げられたそれ・・を胸で受け止め、無様にも地面に倒れ込んでしまった。

 呻き、強打した尻をさすりながら身を起こす。胸にのしかかるそれ・・は棒状の形をしており、武器であることはすぐにわかった。


「これは……?」


「木刀だ。貴様はそれを使え」


 そうか。自分はもしもの場合でも斬られることのないよう、こちらには木刀で戦わせようというわけだ。しかし素手でやらなければならない可能性も考えていたので、木刀だけでもあるだけマシだろうか。

 木刀を握りしめる私は必死で思考を巡らせる。


「不満げだな。でも貴様は前提条件を提示しなかった。こちらに非はないだろう?」


「そうですね。方法はともかく勝てばよし、それが決闘というものですから。――!」


 その時、私はふと閃いた。

 突然天から降ってわいたかのような考え。突拍子もない思いつきと言えたが、それを選択するのは悪くないように……どころか、このまま逃げるよりずっといいように思えた。


 どうせまともに戦うのも逃げ出すのも得策でないのだ。

 せっかくだ、この決闘、本気を出してやろう。悪女エメリィの名にかけて――。


「構いませんよ。勝負を始めていただいても」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「では」


 兵士が闘技場の出入り口を塞ぐように立ち、私から離れていく。

 真正面に立っているのは皇太子ケヴィン。彼は剣を突きつけ、こちらを睨んでいる。はっきり言って本気ではなく、遊びだという気持ちが透けて見えた。


「決闘、開始――!」


 フロー元公爵令嬢の声が響いて、戦いの始まりが知らされる。

 猛然と襲いかかってくるケヴィン皇太子、だが、次の瞬間そこに私はいなかった。


 なぜなら、試合開始が告げられる同時に、てんで違う方向へと走り出していたのだから。

 しかし警備の厚い出入り口へ向かったわけではない。全くその逆だ。そして次の瞬間――、


「――んぐっ!?」


「油断なさっていたでしょう、シェナ・フロー様。愛しい皇太子殿を応援するのに夢中だったのかも知れないですけれど、そんなのでは闘いなどできませんよ?」


 実況席に立つ彼女の口の中に、私の手にする木刀の先端が突っ込まれていた。

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